望月優大のブログ

見えているものを見えるようにする。

根本的で、予期できなかった出来事の証人。5回目の3.11に寄せて。

2016年3月1日
仕事から家に帰ってテレビをつけると、5年前に現地で津波を経験し、いまだその苦しみと付き合い続けている青年についての特集が流れていた。雁部那由多さん、いま高校1年生で当時は小学校5年生。
そのとき自分が遭遇してしまった経験を自分以外の誰かに吐き出すことができず、かといって自分一人の中で消化することもできず、永続する苦しみの時間を過ごし続けている。そんながんじがらめからどうにか這い出ることについての困難と希望が番組では語られていた。 

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彼について気になって調べると、『16歳の語り部』という本を出版したばかりということがわかった。そして、その一部がsynodosで公開されていることも。そこでは、雁部さんがテレビで語った「その体験」についても触れられていた。

僕は、たった1メートル先を流れていく波を前に、逃げもせずただその場に立ちつくしていました。避難途中だった大人が5人ほど、僕の目の前で黒い津波にさらわれていったのです。

あのときの光景は、今でも目に焼きついています。

そのうちのひとりに、僕のいる玄関口まであともう少しのところに来ていた50代くらいのおじさんがいました。その人は波に足を取られながらも、僕の目を見て、僕に向かって手を伸ばしていました。

でも僕は、手を伸ばすことができませんでした。おじさんの手をつかんだら、自分が助からない。直感でした。我に返った僕は口をぎゅっと結び、片手に外履きを抱え、波に胸までのみ込まれて流されていくその人から目をそらし、図書室に向かって全力で走り出しました。その間、一度も後ろを振り返りませんでした。

1987年4月11日
一人のイタリア人作家が自宅アパートの階段から転落して亡くなった。プリーモ・レーヴィ、アウシュヴィッツの強制収容所を生き残ったユダヤ人だ。
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彼が死の前年に書いた『溺れるものと救われるもの』の冒頭には、19世紀イギリスの詩人コールリッジによる一節の詩句が引かれている。

それからはある不定の時に、
その苦しみが戻ってくる。
そしてこのひどい話を語り終えるまで、
心は身内で焼かれ続ける。

レーヴィはアウシュヴィッツの地獄を生き延び、そこでの出来事について思考し、「証言」を重ねた。しかし、レーヴィの思考の中心には、自分が「溺れたもの」ではなく「救われたもの」であることから来る「代理」の意識が、真正の証人では「ない」という意識がつきまとっている。
私たち幸運に恵まれたものは、多少の差こそあれ、知恵をふり絞って、私たちの運命だけでなく、他のものたちの、まさに溺れたものたちの運命をも語ろうと努めてきた。しかしそれは「第三者の」話、自分で経験したことではなく、近くで見聞きしたことの話であった。最終段階まで行われた破壊、その完成された仕事についてはだれも語っていない。それは死者が帰って語らないのと同じである。溺れたものたちは、もし紙とペンを持っていたとしても、何も書かなかっただろう。なぜなら彼らの死は、肉体的な死よりも前に始まっていたからだ。彼らは死ぬ何週間も、何ヶ月も前に、観察し、記憶し、比べて計り、表現する能力を失っていた。だから私たちが彼らの代わりに、代理として話すのだ。
2014年8月8日
ポーランド、クラコフ郊外にあるアウシュヴィッツ・ビルケナウ強制収容所の跡地にて撮影。よく晴れた日でとても暑かった。
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1961年12月15日
ハンナ・アレントによる『イェルサレムのアイヒマン』という本がある。アイヒマンはナチス政権の中枢で、アウシュヴィッツを含む数多の収容所へのユダヤ人その他の移送を指揮した人物だ。1961年12月にイスラエルでの裁判で死刑を宣告された。
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ドイツからアメリカに亡命したユダヤ人哲学者であるアレントは、この裁判を現地で取材し、1963年にニューヨーカー紙上での連載へと結実させた。英語での連載、母語のドイツ語ではなく。
全体主義的支配が、善悪を問わず人間の一切の行為がそのなかに消滅してしまうような忘却の穴を設けようとしたことは事実である。しかし殺戮のすべての痕跡を除去しようとするーー焼却炉で、また露天掘りの溝で屍体を燃やすことで、あるいはまた爆薬や火焔放射器や骨を粉砕する機械の使用によってーーナツィの一九四二年六月以降の熱に浮かされたような試みが失敗を運命づけられていたと同じく、反対者たちを<言葉もなく人に知られぬままに消滅させ>ようとするすべての努力も空しかったのである。忘却の穴などというものは存在しない。人間のすることはすべてそれほど完璧ではないのだ。何のことはない、世界には人間が多すぎるから、完全な忘却などというものはあり得ないのである。かならず誰か一人が生き残って見て来たことを語るだろう。従って何ものも<実際問題として無益>ではあり得ない、すくなくとも長い目で見れば。(中略)このような話に含まれる教訓は簡単であり(中略)人間的に言えば、この地球が人間の住むにふさわしい場所でありつづけるためには、このような教訓はこれ以上必要ではないし、またこれ以上求めることは理性的ではあり得ないということだ。
2016年3月11日
毎年、この日を特別な日として神妙な顔で過ごすようになってからもう5年がたった。溺れたものでもなく、救われたものでもない、ただそのとき同じ国に住んでいた自分にとって、この日に思い出すべきこと、この日に考えるべきこととは一体なんなのだろう。そう考えていたら、どうしてもレーヴィのこと、アウシュヴィッツのことを思い出してしまった。
それが正しい連想であるとか、正当な比較であるとか、そう考えているわけではもちろんない。ただ、5年前のあの日の出来事、そしてそのあとに続いたいくつもの出来事について思い返すとき、それが単なる天災であり、自分たち人間にはどうにもできなかった、ほかにどんな可能性もなかった出来事として記憶することは避けなければいけないと思えたし、レーヴィが生きて伝えたかったこと、溺れたものの代理として証言したかったことから、2016年のいまこそ学ぶべきことが多くあるようにも思えたのである。 
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私たちには、若者と話すことがますます困難になっている。私たちはそれを義務であると同時に、危険としてもとらえている。時代錯誤と見られる危険、話を聞いてもらえない危険である。私たちは耳を傾けてもらわなければならない。個人的な経験の枠を越えて、私たちは総体として、ある根本的で、予期できなかった出来事の証人なのである。まさに予期できなかったから、だれも予見できなかったから、根本的なのである。それはいかなる予見にも反して起こった。それはヨーロッパで起こった。信じ難いことに、ワイマル共和国の活発な文化的繁栄を経験したばかりの、文化的な国民全体が、今日では笑いを誘うような道化師に盲従したのである。だがアドルフ・ヒトラーは破局に至るまで、服従と喝采を得ていた。これは一度起きた出来事であるから、また起こる可能性がある。これが私たちが言いたいことの核心である。
5年前の今日、根本的で、予期できなかった出来事が起きてしまった。起きるはずがないと思っていた出来事がこの日本という国で起きてしまった。そして、まだまだ終わることのない余波のなかで日々を暮らしている人たちの姿を想像する。
5年後の今日、様々な証言、代理で語られる言葉を前にして、自分たちが思い出すべきこと、考えるべきこととは何だろう。一度起きた出来事は、また起こる可能性がある。賭けられているのは、常にいま、そして未来のほうだ。

 

プロフィール

望月優大(もちづきひろき)

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慶應義塾大学法学部政治学科、東京大学大学院総合文化研究科修士課程修了(ミシェル・フーコーの統治性論/新自由主義論)。経済産業省、Googleなどを経て、現在はIT企業でNPO支援等を担当。関心領域は社会問題、社会政策、政治文化、民主主義など。趣味はカレー、ヒップホップ、山登り。1985年埼玉県生まれ。
Twitter @hirokim21
Facebook hiroki.mochizuki

 

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