望月優大のブログ

見えているものを見えるようにする。

3つの薬物中毒に侵された街(『ローサは密告された』ブリランテ・メンドーサ)

もしまだ観ていなかったらこの映画を観てほしい。きっと圧倒されるはずだから。

ブリランテ・メンドーサ監督の『ローサは密告された』はフィリピンの日常に深く根付いた麻薬と人々との関わりを描く。登場人物がすべて実在するかのように感じられるほどにリアルだが、フィクション映画だ。

この映画を観ると、マニラの底の底まで一気に連れて行かれる。現地をふらっと訪れてもこの深さまで入れるはずもないし入るべきでもない。リアルなフィクション映画にしかなしえないことが、2時間弱の映像のあちこちに埋め込まれている。

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昨年のドゥテルテ大統領の就任によって、フィリピンの麻薬事情はより多くの人の知るところとなった。調べてみると彼の「麻薬撲滅戦争」で昨日も多くの死者が出たようだ。

フィリピン警察の麻薬摘発で32人死亡 1日で過去最多 - BBCニュース

この映画の構想自体は氏の大統領就任の前にあり、ドゥテルテを人々が呼び寄せる理由となった現実の一旦がここに映っていると捉えることもできるだろう。

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劇中「アイス」と呼ばれる覚せい剤がこの映画の主役である。

貧しいスラムの一角でキヨスクのような店を営む主人公のローサは夫のネストールと覚せい剤を販売するビジネスに手を染めている。彼らは販売ルートの末端の一つであり、定期的にバイクで訪れるジャマールからアイスを仕入れ、街の人々に売っている。彼らもその一部を自ら利用している。街を歩くローサにどこからともなく「アイスはないか」という声が聞こえてくる。

彼らには4人の子どもがいる。男と女が2人ずつ。通りに面した店の奥のスペースと2階で暮らしている。湿気がものすごく、洗ったTシャツはなかなか乾かない。夕食のために近くの屋台で焼き魚などを買う。同じ屋台で小分けのビニール袋に詰められたご飯を5つ大鍋から取り出して買う。それを持ち帰ってテーブルに広げると家族が集まる。

血のつながりはないものの長い付き合いがありそうなボンボンという名の青年が家に入ってくる。薬が切れたのか、ローサに対して執拗にアイスをねだる。ローサは最初は断るが、何度もねだり続けるボンボンに根負けして棚の奥に隠してあるアイスを一つだけ渡す。渡して帰るかと思いきや追加で小遣いまでねだられる。ローサはポケットから小銭を渡す。

後になってわかるのだが、彼は麻薬所持で警察につかまる。そして、警察から釈放されるため、警察にローサを売る。雨の夜、警察が大挙してローサの店を訪れる。

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ここまでが、この映画の舞台設定である。逮捕されたローサたちは、警察署の奥にある部屋でほかの売人の密告や高額の現金を要求される。そして、親たちの釈放を求める子どもたちが金策のために町中を走り回るのだが、その詳細はぜひ映画を観てほしい。

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手持ちカメラの躍動的な映像で一つの時間をいくつもの異なる場所から切り取りながら、ひどく日常的で、それゆえとても力強いラストシーンにいたるまで一直線につながっていく。ラストのあと、自分が震えていることがわかる。

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最後にもう少し。なぜこの街では人々が麻薬をやめることができないのかということについて言葉を継いでおきたい。

この街には3つの薬物中毒がある。快楽への中毒、金への中毒、腐敗への中毒だ。

快楽への中毒は一番わかりやすい。アイスの効き目に対する中毒ということである。ローサからアイスを買っているスラムの庶民がこの中毒に侵されている。

金への中毒は、アイスの売上に生活が依存するということである。この中毒がスラムでアイスを売るローサのような末端の売人たちを蝕んでいく。純粋な貧困状況のなかで、ほかの確固たる生活手段が確保できなければ、薬物販売から得られる利益を簡単に捨て去ることができない。

そして、この街の最も深いレイヤーを蝕んでいるのが腐敗への中毒だ。それは、違法な薬物取引を取り締まるはずの警察組織そのものが深く侵されている中毒である。彼らは、密室での暴力を背景に、逮捕した売人からドラッグの売上である現金とドラッグそのものを押収する。加えて、警察署からの釈放と引き換えにさらなる現金を用意させる。

このようなプロセスののちに、腐敗した警察組織は売人たちから奪った現金やドラッグを私的な仲間内の論理で分配する。現金を分け合うだけでなく、売人を通じて押収した薬物を今一度市場に還流させ、その取引からさらなる現金を得る。こうした腐敗のルーティンから得られるブラックマネーに警察組織が芯から蝕まれている。アイスは再び人々の元へと戻っていく。

この映画を観てわかることは、末端の売人や薬物利用者をどれだけ殺しても根本的な解決には決してならないということだ。最も深いレイヤーにある暴力の支配、警察機構の腐敗、法の支配からの逸脱に手を入れない限り、蔓延する貧困状況を背景に薬物への依存は再生産され続けるのだろう。

街の構造そのものが腐敗への中毒を頂点とする薬物中毒に侵されている。密告も、暴力も、すべてその一部としてある。

 

プロフィール

望月優大(もちづきひろき) 

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慶應義塾大学法学部政治学科、東京大学大学院総合文化研究科修士課程修了(ミシェル・フーコーの統治性論/新自由主義論)。経済産業省、Googleなどを経て、現在はIT企業でNPO支援等を担当。関心領域は社会問題、社会政策、政治文化、民主主義など。趣味は旅、カレー、ヒップホップ。1985年埼玉県生まれ。
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