すべての家族は家族ごっこ。是枝裕和『万引き家族』を観て
『万引き家族』を観た。話題の映画なので、前置きはせずに書きたいことだけを書いておこうと思う。
この映画では「偽物の家族」のことが描かれている。今風の言葉で言えば「フェイクな家族」とでもなるだろうか。それには2つの意味があって、「血」が繋がっていないということ、そして「戸籍」で繋がっていないということ、この2つが包含されている。
この映画ではこうした「偽物の家族」がはらむ「本物っぽさ」についても描かれている。むしろ彼らの繋がりは「血」や「戸籍」で繋がった「本物の家族」よりもよほど本物っぽいものとして描かれていて、映画を観る者に「血」とは何か、「戸籍」とは何かということを考えさせる。家族とは一体何なのだろうかと。
多くの人たちは、彼ら万引き家族のことをこの社会が生み出す澱のようなものとして捉えるかもしれない。つまり、社会の表面をなぞっているだけでは見えないけれど、その奥で秘かに沈殿する少数派として想像するかもしれない。
それは、ある意味では正しいだろう。つまり、血縁や戸籍関係がぐちゃぐちゃで、窃盗と非正規労働と年金で生計を立てていて、子どもは学校に行っておらず、誰もが複数の名前を使い分けている。そんな家族は少数派だろう。
しかし、万引き家族のあり方は、あらゆる価値判断を排した上で、この社会が進んできた道のりの帰結のようなものとしてある。つまり、それは家族の自由化という長い長い道のりだ。その道のりは、家族の喪失とも、家族の脱自明化とも言い換えることができる。
映画を観ればわかる通り、彼らの関係は恋愛に似ている。それも、昔ながらの恋愛ではなく、近代型の「自由恋愛」だ。血や戸籍で繋がっていない彼らは、互いが互いを「家族」として認めているかをぎこちなく、いじらしく、確かめ合う。その仕草は、相手が自分のことを好きであるかの確認に飢えた、付き合いたてのカップルの仕草にとてもよく似ている。
血縁や戸籍のくびきから解放された自由な家族は、その入会にも、そしてそのメンバーシップが今もなお生き生きと存続しているかの確認にも、いくつもの小さな儀式を必要とする。それは「誰がこの家族のメンバーなのか」が全く自明ではないからだ。いかなる論拠もなく、ただこれまで過ごしてきた時間と、これからの時間に対する意思の確認だけが、万引き家族とその成員の維持を可能にする。
先ほど「家族の喪失」と書いた。万引き家族のメンバーは一人ひとりがそれぞれの形で家族を喪失した者たちである。彼らは家族喪失者の群れとして、万引き家族を構成した。なぜかと言えば、彼らにも家族は必要だったからである。ただ食べていくだけなら一人でもできる。生活保護もある。年金もある。それでもなお、彼らは必要としたのだ。安定した人間関係を。予測可能な明日を。つまり、今日も明日も帰るべき故郷を。
この映画を観て希望を感じただろうか。それとも、絶望を感じただろうか。
初枝(樹木希林)が言うように、万引き家族は「長続きしない」。何十年も続く一人ひとりの人生の中で、家族はもはや果たして何年持つかも分からないほど脆弱なものになってしまった。安定の基盤として希求された家族は、明日突然なくなっているかもしれない。昨日確認した絆が、明日一方的に打ち切られているかもしれない。
その恐れを抱き続けながら私たちは生きていく。
私たちは自由になったのだ。あらゆる自明性の闇から解放されたのだ。そして、私たちはこれほどまでに寂しくなってしまった。弱くなってしまった。元々弱かったことが、あからさまになってしまったのだ。逃げられなくなってしまったのだ。
血が繋がっていようがいなかろうが、親は子どもを虐待する。子どもは親を切り捨てる。それが異常なのではない。それが当たり前なのだ。私たちはいとも簡単に家族を喪失する。些細なきっかけで、それまで大切だと確認し合ってきたものを手放してしまう。そして、家族をつくることを恐れ続けるだろう。家族の失敗を、恐れ続けるだろう。
それでもなお、私たちが家族ごっこをやめることはない。恋愛ごっこをやめることがないのと同じことだ。一人で生きていくことなどできはしないのだから、人間は。金では解決できないのだから、人間の寂しさは。
すべての家族は家族ごっこ、私たちはみなそのことに気づいている。万引き家族が描いたのはそういう時代の一風景である。私たちは本当に本当に一人なのだ。一人であるにも関わらず、家族をつくるのである。
プロフィール
望月優大(もちづきひろき)
ライター・編集者。日本の移民文化・移民事情を伝えるウェブマガジン「ニッポン複雑紀行」編集長。寄稿|現代ビジネス/BAMP(連載企画:旅する啓蒙&社会を繕う)/本がすき。/など。経産省やグーグル、スマートニュース等を経て独立。株式会社コモンセンス代表取締役。東京大学大学院総合文化研究科修士課程修了(地域文化研究専攻)。旅、カレー、ヒップホップ。1985年生まれ。
Twitter @hirokim21
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note 望月優大
hiroki.mochizuki[a]cmmnsns.jp
過去に書いたもの
映画評『ラッカは静かに虐殺されている』
試写で『ラッカは静かに虐殺されている』(原題:CITY OF GHOSTS)を観た。一般公開は4/14からとのことだ。観た方が良い。
映画の邦題「ラッカは静かに虐殺されている」は、ISの首都となったシリアの都市ラッカの状況を発信する市民グループの名前「Raqqa is Being Slaughtered Silently(RBSS)」を日本語に訳したものだ。
「静かに(Silenlty)」という言葉には、ISによって市民の情報発信が著しく統制され、それをくぐりぬけようとする者は命の危険に晒されるというニュアンスが込められている。実際にRBSSのメンバーや家族はその活動の代償として何人もが命を落とした。
ISによる統治の根幹には「情報の統制」がある。人間に対しても、都市に対しても、その姿勢は共通している。外部との関係性を断ち、情報も断つ。外部からの情報入手を妨げ、外部への情報提供を妨げる。
支配領域の内部に対しても、外部に対しても、ISは自らの都合に合わせたプロパガンダだけを浴びさせられるような状況作りに腐心する。内部からは支配に対する忠誠を、外部からは新兵の候補者を、調達しようとする。
ISがつくる映像の技術的なレベルの高さは相当なものだ。それは外国人を含めて多くの映像制作者が彼らに技術を提供していることを意味する。
RBSSの活動は、こうした情報の統制に風穴を開けようとする。現地の取材者が命を賭して撮影した写真や動画、「静かに進む虐殺」への抗議はこれらの情報をSNSを通じて世界に向けて発信するという形を取る。
それは、シリアやラッカの惨状に無関心な世界に対する、静かな抗議にもなっているだろう。
RBSSは彼らが実際に通過した死の危険の結果として、「ラッカに残った者たち」と「トルコやドイツに逃れた者たち」に分かれ、それぞれが互いに情報をやり取りし連携するという形を取ることになった。
「ラッカの中に残った者たち」は匿名で写真や映像を撮り続ける。そこでは自分たちの故郷をスマホのカメラで写真に納めることが罪となり、彼らの日常は盗撮の緊張感を常に帯び続けることになる。
この盗撮は見つかったが最後、即座の死を意味するようなそれだ。
彼らと緊密に連携しながら、「トルコやドイツに逃れた者たち」は日々現地にてかき集められる情報の発信源となる。シリアの外で、彼らは自らの名を明かしながら活動をする。
しかし、それはシリアを出たからといって彼らの身の安全が確保されているということを意味するわけではない。ISによるRBSS殺害の呼びかけに共鳴し連動する人々はそこかしこにいて、RBSSに関わった者たちが実際に殺されてもいる。
脅迫の知らせも、日々届いている。
印象に残った言葉があった。
多くの子どもたちがISの兵士として育て上げられていく様子を伝えるシーン。無邪気な笑顔の子どもたちが、大人のIS兵士と一緒に街を歩く映像が流れる。その映像に被さるような形で、RBSSのメンバーが放った言葉だ。
ラッカでは日常がキャンプと化している。
そこでは軍事キャンプの緊張感が日常を支配している。日常であればありえなかったはずのことが、日常の中で当たり前のようにして起こってしまう。日常であれば簡単にできたはずのことが、命を奪われるほどの大罪として扱われてしまう。
そのありえなさ、意味のわからなさを伝えるためにこそ、RBSSは命をかけて情報を届けようとする。誰に?私たちにだ。
恐怖と日々戦いながら。そう言葉にすれば簡単だが、彼らの身体的な震えや嗚咽が、映像を通じて実際にそこにある恐怖の深度を訴えかけてくる。
この映画の最も恐ろしい点は、RBSSの活動、彼らを取り巻く恐怖、そして何よりもシリアでの惨状が現在進行形(Being)であり続けているということだ。
この映画はよく出来すぎていて、あたかもそれがフィクションであるかのように錯覚をしてしまうかもしれない。あるいは、「過去になった出来事」を扱ったドキュメンタリー作品であるかのように、見えてしまうかもしれない。
だがひとたびRBSSやそのメンバーたちのSNSを見れば、彼らの活動が今日も明日も変わらず続いているという圧倒的な事実を突きつけられることになる。シリアの惨状とともに、彼らの活動は更新され続けているのだ(RBSSのウェブサイト)。
ISの支配はひと時と比べてその規模をだいぶ小さくしたと言われている。
しかし、その情報と入れ違いになるかのように、アサド政権による東グータへの攻勢が勢いを増し、その戦闘の中で多くの人々が命を失い続けている。
内戦の開始から7年がたった今もなお、あらゆることが過去になっていない。
Raqqa is Being Slaughtered Silently.
ラッカは静かに虐殺されている。
プロフィール
望月優大(もちづきひろき)
ライター・編集者。株式会社コモンセンス代表取締役。日本の移民文化・移民事情を伝えるウェブマガジン「ニッポン複雑紀行」編集長。BAMPで2本の連載(旅する啓蒙・社会を繕う)を執筆しつつ、現代ビジネス等にも寄稿している。経済産業省、Google、スマートニュース等を経て独立。東京大学大学院総合文化研究科修士課程修了(地域文化研究専攻)
Twitter @hirokim21
Facebook hiroki.mochizuki
hiroki.mochizuki[a]cmmnsns.jp
僕が『複雑』に込めたもの。日本の移民文化・移民事情を伝えるウェブマガジン「ニッポン複雑紀行」をはじめます
こんにちは。望月優大です。今日12月1日は私の独立以外にもう一つお伝えしたいニュースがあります。色々重ねすぎて最近はあまり寝れませんでした・・・笑
なお、独立についてはこちらにまとめていますのでぜひご覧になってみてください。
ニュースというのはこちらです。
難民支援協会とウェブマガジン「ニッポン複雑紀行」をはじめます。
プレスリリース:
難民支援協会、日本の移民文化・移民事情を伝えるウェブマガジン『ニッポン複雑紀行』をリリース。外部より望月優大氏が編集長として参画|ニュースリリース|難民支援協会の活動 − 認定NPO法人 難民支援協会 / Japan Association for Refugees
ウェブサイト:
ニッポン複雑紀行 presented by 認定NPO法人 難民支援協会
大事なことは3つです。これを覚えてください。
ニッポン複雑紀行は・・・
- 日本国内にやってきた難民の方を支援する団体である「認定NPO法人難民支援協会」による事業としてのウェブマガジンであること。
- コモンセンス望月が編集長に就任すること。
- 取り上げるテーマは「日本の移民文化・移民事情」であること。
この3つです。
さらっと読んでしまうと思うんですが、これ、本当に凄いことなんです。
NPOがメディアをやるということのハードル
まず一つ目に寄付など歳入への貢献が見えやすいいわゆる「ファンドレイジング」ではない情報発信にNPOが本腰を入れて取り組むということ。これ、やりたいと思っているNPOはたくさんあります。でもやっぱり踏み込めない、そういう団体が多いのが事実だと思います。
だって、すぐに寄付が増える訳ではない。認知啓発は新聞がやってくれる、ブロガーがやってくれる。自分が限られたリソースを使ってやる意味なんてあるんだろうか。自分たちは資金調達・ファンドレイジングに集中しよう。こういう風に思うのは不思議ではありません。
メディアをやるってスキルとか知識だけの問題ではなくて、それらももちろん大事なのですが、やはりマラソンであるし、気力と体力がみなぎっていないとできない。そして、そのマラソンを支える資金面での裏付けが必要なんです。支え続けるんだという意思が必要です。
メディアをやるということは、コミュニティをつくるということだと思うし、もっと言えば文化をつくるということだと思っています。そこを見据えて、最後に問われるのは「本当にやりたいの?」これだけだと思います。
最後に乗り越えるのは「やりたい」という意思
難民支援協会の広報部には田中さんと野津さんという女性がいるのですが、彼女たちはここが完全にはっきりしていて。「やりたいんだ」とそれだけは揺るがなかった。「メディアやるって簡単じゃないですよ、わかってますか?」って詰めてもそこは揺るがなかったです。
田中さんに至っては「一緒に複雑紀行をやりたさすぎたのか、夢に望月さんの実家に行くシーンが出てきました」とぶっ飛んだ発言をされていました。意思というのは、無意識の領域すら侵食していくわけです。
田中さん
ただ、やはり予算はそんなに潤沢にあるわけではないのも事実です。営利企業でもオウンドメディアへの予算配分を正当化できていない企業はいくらでもあります。その中でNPOですから、よほど難しい。でも、ギリギリの予算を捻出してくださいました。自分もギリギリでお受けしています。本当にお互いギリギリの世界がここにあります笑
だから、読者のみなさん、応援してください笑。いや、質が低いのに応援してくださいとは言いませんよ。つまらなかったら大丈夫です。ただ、他のメディアよりちょっとだけ余計に愛を持って見てほしい。そうしたら、ちょっとでも面白いなとか引っかかりがあったら、いいねとかシェアとか自然にしてあげようという気持ちが湧いてくるのではないでしょうか。奇跡のギリギリバランスで成り立っている、そのことを忘れないでいただけたら・・・笑
ウェブのデザインは良く言えばミニマム、悪く言えば物足りなく感じられるかもしれません。でも、そこにこのコンテクストと味わいを読み取ってもらえたらと思います。事務局長の吉山さんという男性の方がいらっしゃるんですが、事務局長直々にサイトを作ってくれました。そういう手弁当の情熱で出来上がっています。ミニマムだけど体温は確かにある。
体温という言葉が好きなんですが、意思のことなんですよね。意思と必要性は違いますよ。必要でもやりたくないことってありますよね。やりたいことはやりたいことなんです。必要性だけから生まれてくるものではありません。
体温のある人間からのみ生まれてくるんです。「はじめたい」という意思にちょうどいい形を与えるのが編集長をお受けした自分の仕事だと思っています。はじめたいので。
「子どもの貧困」も「ローカル」もなかった時代があった
そんな時代があったんです。
いま「当たり前」のことがそうでない時代がありました。思い出せると思います。確かにあったんです。10年くらいかけて、その境界線を僕たちはまたいできている。多くの人は意識しないうちに。
でも、固有名を出すことはしませんが、「あえて」一つの問題、一つのカルチャーにコミットし、その存在をメインストリームへと押し広げようとしてきた人たちがきっといたんです。「子どもの貧困」でもなんでもそうです。自分たちはその人たちがうううーっと手を伸ばした先に立っていたんだと思います。そして、僕らのうちの何人かがその手を掴んだ。
ニッポン複雑紀行が焦点を当てるのは日本の移民文化・移民事情です。「在留外国人」という呼称で括られる人たち、彼らの数は年を追うごとに増えています。昨年末で238万人ですが、今年はもっと増えているのではないかと思います。
この数字そのものに「良い」も「悪い」もありません。ただ、どんどん個別の現場に『複雑』が入り込んできているのだろうとは想像します。街に、学校に、不動産屋に、コンビニに、工事現場に、色々なところにです。単純な当たり前が幻想となり、複雑な現実に少しずつ置き換わっていく。
その一つ一つをミクロな視点でまずは見てみよう。そして、できうるならば、「複雑なほうがもっといい」と高らかに言ってのけながら新しい当たり前へと更新していきたい。移民文化に対する真っ当な関心と、より多くを知った人たちによるリスペクトが重なっていく地点を見据えたい。
もちろん摩擦やネガティブなこともあるでしょう。そこから目を逸らそうとは思いません。きちんと見る必要がある。とはいえ理想というものを心のどこかにきちんと持っておきたいということです。
プレスリリースに編集長として寄せた言葉を紹介します。
ニッポン複雑紀行のスタートに寄せて
2005年、19歳のとき、生まれて初めて日本の外に出ました。パリ北駅のCD屋で、移民とその子孫たちが紡ぐフランス産のヒップホップアルバムを買い込みました。ラテン地区にあるベトナム料理屋で、絶品のフォーを食べました。移民の人々が集住するサンドニスタジアム近くの団地のそばで、粉々のガラス片と骨組になった電話ボックスの残骸を見ました。
2017年、東京で暮らしていて、あのときのことを思い出します。難民支援協会のように、この国の中で日常的に外国人の方たちと接し、その生活を支えてきたNPOだからこそ見えること、社会に対して発信できることがあるはずです。その知恵と外部の力を掛け合わせて、読者が移民文化や移民事情の現実に触れるきっかけとなるような記事を少しずつ丁寧につくっていけたらと思っています。
こんな気持ちで、当たり前を少しずつ更新していけたらと思っています。ちっぽけな存在なんだから、ゆっくりで構わない。でも温度だけは失わないように。
僕が『複雑』に込めたもの
さて、改めてですが、このウェブマガジンは「ニッポン複雑紀行」と名付けました。ニッポン、複雑、紀行、どれも大切なのですが、どれが一番大事かと言えば『複雑』ですよ。これが一番大事。タグラインはこうです。
"ニッポンは複雑だ。複雑でいいし、複雑なほうがもっといい。"
言い切ってみました。だから、気に入っています。
『複雑』ということで一つ思い出すことがあります。
Funky DLというイギリス出身の黒人ラッパーがいて、
なかでも好きだったのは “Simply 2 Complicated” という2001年の曲で
「
サビの最後でDLは
“If you don’t walk in my shoes, don’t tell me how it is”
とシャウトします。
「自分と同じ立場に立つのでないなら、
という意味です。
”Don't judge a man until you have walked a mile in his boots.”
要は「他人の立場で勝手に裁くな」
知らない人ほど単純化しようとします。
ニッポンは複雑だ。複雑でいいし、複雑なほうがもっといい。
他人の立場で勝手に裁かない。
当たり前は必ず誰かが更新していくんだ。
ニッポン複雑紀行
日本の移民文化・移民事情を伝えるウェブマガジン
- 企画主催|認定NPO法人 難民支援協会
- 編集長|望月優大(株式会社コモンセンス代表)
- ロゴデザイン|中屋 辰平(グラフィックデザイナー)
- 協力|ゴールドマン・サックス証券株式会社
1本目の記事は来週12月6日にお届けする予定です。
プロフィール
望月優大(もちづきひろき)
ライター・編集者。株式会社コモンセンス代表。日本の移民文化・移民事情を伝えるウェブマガジン「ニッポン複雑紀行」編集長。BAMPで「旅する啓蒙」連載中。経済産業省、Googleなどを経て、スマートニュースでNPO支援プログラム「ATLAS Program」のリーダーを務めたのち独立。低所得世帯の子どもたちに教育機会を届ける「スタディクーポン・
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お仕事の依頼等 hiroki.mochizuki[a]cmmnsns.jp
スマートニュースを卒業します。独立してコモンセンスという会社をつくります
こんにちは。望月優大です。ご報告があり、少し長めのブログを書いていきます。
(Photo by 松岡宗嗣)
スマートニュースを卒業します。
私は2017年11月末をもって、2014年から3年強在籍させていただいたスマートニュース株式会社を卒業し、12月1日に小さな自分の会社をつくって、そこを拠点に新しい取り組みを始めることに決めました。独立することに決めたということになります。
こちらは11月30日の夕方にお別れ会を行っていただいたときの写真です。そこでスマニューへの思いを述べさせていただく機会をいただいたのですが、思いがけずやや瞳が潤ってしまった後の集合写真なので、顔がぐしゃっとしています。そんなつもりではなかったのですが、涙腺が勝手に反応してしまいました。昔から泣き虫なんですよね。
2017.11.30
スマニューをつくってくれた健さん・階生さんはじめ、スマニューの大切な仲間のみなさん、本当に本当にありがとうございました。自分の人生を変えてくれたチームであり、3年間という時間でした。
続いてこちらは同日24:30ごろにオフィスを去るときの写真です。最終出社日にも関わらず、一番遅くまで会社に居残ってしまいました。しかも、顔が猛烈に疲れています。頭もボサボサ。それには理由があって。
スタディクーポン、1400万円超の寄付を集めることができました。
実は、この11月30日は、私がつくってリーダーを務めていたNPO支援プログラム「SmartNews ATLAS Program」の枠組みを通じて支援していた「スタディクーポン・イニシアティブ」という取り組み、その大型のクラウドファンディングの最終日だったんですね。
スタディクーポン・イニシアティブ x 渋谷区(10/12文部科学省での発足記者会見の様子、私は右上に)
23:59までチームのみんなでクラウドファンディングを走り切り、解散した後に燃え尽きているのが上の写真になります。
最終的に731人の方から、総額1400万円以上の寄付をいただく、集めることができました。元々の目標額が1000万円の設定だったので大幅に目標を超えての達成をすることができてとても嬉しかったです。
CAMPFIREのソーシャルグッドカテゴリーで史上最高の調達金額を大幅に更新したようです。
自分自身、そこまで裕福ではないひとり親家庭の出身だったので、この企画にはことさら思い入れを持って取り組みました。こちらの記事にもそのことは書いてあります。
これまでの経験の集大成として。
スタディクーポンのプロジェクトに対して自分が実際にどんな価値を提供できたかと考えていました。6つの価値に整理できるのではないかなと思ってまとめたのが以下の図になります。
スタディクーポン・イニシアティブに提供した6つの価値
- チームビルディング/モチベーション
- コンセプトメイキング
- ネーミング
- クリエイティブ
- クラウドファンディングLPの制作
- ローンチ後のコミュニケーション全般のデザイン
自分で言うのも大変おこがましいですが、プロジェクトの基礎になる部分をしっかり定義しつつ、それを具体的な形のあるものへとデザインすることで、チームの一人一人が共有できる土台づくりができたのではないかと思っています。
思いを持ったメンバーがそれぞれ全速力で走り抜くために必要な条件を片っ端から整えていくような、そういう作業だったと振り返って思います。
色々な場所で働いてきました。
このスタディクーポンの支援という仕事は、「Google for Nonprofits」や「SmartNews ATLAS Program」でこれまで取り組んできたNPO支援という文脈だけではなく、経済産業省で働いた経験や、コミュニケーションやマーケティングに関わってきた経験、そして個人としてもブロガー・ライターとしての動きを地道に続けてきた経験、そのすべての積み重ねの集大成のような仕事だったと思っています。
独立をする節目に自分の体温を乗せられる素晴らしい仕事と出会うことができて本当に良かったと思っています。
チャンスをくれた変な人たち(aka 恩人)
この3年間、スマートニュースにいた期間の中で自分の人生が大きな変化を通過したと思っているのですが、やはり人との出会いが一番大切だったと思っています。
全員をここで列挙することはできないのですが、特に大事な出会いだったと思う人たちを3人(3組)紹介させてください。
①健さん・階生さん(鈴木健・浜本階生)
"「自由にやる方がいい」ということを教えてくれた人"
入社当初にサンフランシスコに行ったときの写真(2014年冬)。アプリアイコンも古いバージョン。
スマニューをつくったこの2人は相当に変な人たちです。仕事上の個別の場面で考えがぶつかることも何度もありました。
でも、自分がこの3年間自由演技をどんどんできたのは、やっぱりこの2人がいてこそ、この2人がつくった会社と文化があってこそだったと強く思っています。変な学校の変な校長先生のような、そんな2人がいたからこそ、自分もヘンテコなことにたくさん挑戦できた。そのことをとてもとても感謝しています。
学校と言えば、実は自分がスマニューに入社して最初に打診された仕事は「本棚をつくる」という仕事でした。今思い返してみてもだいぶぶっ飛んだ仕事だと思うのですが、出来上がったものがこちらになります。
独立研究者の森田真生さん、クリエイティブ・ディレクターの小石祐介さん、大ベテランの編集者、そして社内の有志でこの本棚を作りました。血の通った選書を進めるために、森田さんと社員みんなで講演会や読書会を繰り返し、そのプロセスを記録した冊子まで制作しました。
スマニューでは本当に色々な仕事をしましたが、この会社らしい、印象に残っている仕事の一つです。変な仕事でしたが、とても楽しかったです。
②柿次郎さん(徳谷柿次郎)
"「楽しくやる方がいい」ということを教えてくれた人"
ジモコロ/BAMP編集長の柿次郎さんとは出会ってまだ2年くらいなのですが、とても大きな影響を受けている少し年上の先輩です。
Photo by 鶴と亀の小林くんでお送りします。
二人とも寝てる。
柿次郎さん寝てる。
自分寝てる。
それぞれ個性を持った仲間たちが、ジャンルを超えてお互いを支え合っていくようなビジョンだったり、ウェブコンテンツでも一つの作品のようにじっくり取り組む姿勢など、2年という時間のなかで教えてもらったこと、共感するポイントがたくさんあります。
文化への愛やこだわりを仕事に持ち込もうとする姿勢もとても近い気がします。これからも関わり合いの中で色々なことを一緒にやっていけたらいいなと思っています。
③そうし(松岡宗嗣)
"「チームでやる方がいい」ということを教えてくれた人"
そうしは元々ATLAS Programの支援先団体の大学生メンバーだったのですが、その後インターンとしてスマニューで働いてもらえるようになりました。
スタディクーポンを含むATLAS Programの様々な場面で、自分の「こんなことがしたい」というイメージを形にしてくれたり、ディスカッションを深めていくパートナーとしてとても大きな役割を果たしてくれました。
スタディクーポン・イニシアティブはそうしと2人で支えました。
ATLAS Program第2期の支援メンバー(松岡宗嗣、中井祥子、望月、紫原明子)
自分は細かいところにもこだわりが強いタイプなのですが、チームで分け合っていくことで全体としてできることが増えていくことも実感させてもらえたし、いいチームというのはこういうことなのかなということを理解させてくれたと思っています。ありがとう。
2年近い時間の中で、互いに多くのことを学ぶことができたのではないでしょうか。
「コモンセンス」 という会社をつくります。
未来について少し書きます。
私がつくる小さな会社の名前は「コモンセンス」と言います。直訳すると「共通感覚」ですね。好きなラッパーの名前でもありますし、アメリカ独立革命に繋がったトマス・ペインの有名な著書の名前でもあります。
コモンセンスは「会社」というよりは「レーベル」のようなイメージでつくりました。今のところ自分しか所属していないわけなのですが笑、書き手、作り手に肩入れして一緒に育っていくような関係性を築いていきたいと考えています。
(何を言っているか抽象的でよくわからないと思うので、この部分は自分が色々やっていく中で感じていただけたらと思います。)
ロゴは中屋くん(中屋辰平)がデザインしてくれました。とても気に入っているので、スウェットやステッカーをつくろうと思っています。
"Use your common sense." のような言葉づかいがありますが、全ての知識をかき集めて「正しく判断する」ことが原理的に不可能であるなかで、それぞれのちっぽけな人間が日常の中でどうやって良いこととそうでないことを判断していくことができるか。この問いはとても重いと思っています。
政治哲学者のハンナ・アーレントにこんな言葉があります。
共通感覚を奪われた人間とは、所詮、推理することのできる、そして「結果を計算する」ことのできる動物以上のものではない ーー『人間の条件』
共通感覚とは何か?
これからの活動を通じて、考え続けていきたい問いだと思っています。
何をするのか?ーーー批評・編集・企画のハイブリッド
最後に、今後の仕事の一部をご紹介します。
何かを考える、話す、書く、編集する、面白いことやかっこいいことを企画する、といったことが基本になると思っています。ソーシャルセクターに限らず、色々な領域の方たちと面白い取り組みを一つずつつくっていけたらと思っています。
「望月と一緒にこんなことをしてみたい」ということがありましたら、ぜひご一報ください。
▶︎ 日本の移民文化・移民事情を伝えるウェブマガジン『ニッポン複雑紀行』の編集長に就任します。
認定NPO法人難民支援協会の情報発信を編集の力でサポートすることで、『日本における「移民」』というテーマに関してじっくりコトコト記事をつくっていきます。自分以外の相性のいい外部ライターにも参加してもらえたらと思っています。
こちらのロゴデザインも中屋くん(中屋辰平)にお願いしました。
ウェブマガジン『ニッポン複雑紀行』企画の詳細についてはぜひこちらのプレスリリースをお読みください。
難民支援協会、日本の移民文化・移民事情を伝えるウェブマガジン『ニッポン複雑紀行』をリリース。外部より望月優大氏が編集長として参画
(12/1 20:13追記)ブログを書いたのでぜひご覧ください。
▶︎ BAMPで「旅する啓蒙」の連載を継続します。他媒体での執筆も始めます。
連載「旅する啓蒙」お待たせしてしまっていますが、ウイグル自治区篇を完成させたのち、キプロス篇に突入できればと思っています。
また、今後はより硬めの媒体でも、連載などの形で書き物を積み上げていければと考えています。
▶︎ inquire / soar チームと実験的なゼミ=学びの場を営んでいきます。
モリジュンヤさんが声をかけてくださり、若手や同年代のライター・編集者の方々と「すぐに役立たない」ことについて考える、話し合うためのゼミ形式の時間を継続的につくっていくという取り組みを始めています。
▶︎ NHK「ニッポンのジレンマ2018元日SP」に出演します。
テーマは「根拠なき不安」を超えて、とのことです。討論型でしかも長尺の番組に出演するのは初めてですが、がんばってみます。
今後やってみたいこと、やっていきたいこと
- 本をきちんと書きたい/つくりたい。
- ラジオなど継続的な対話の場所を持ちたい/つくりたい。
- 可能性を感じる組織や書き手、つくり手とともに試行錯誤していきたい。
時間の使い方がこれまでと大きく変えられるタイミングではあるので、新しい挑戦を色々としていきたいと思っています。
だいぶ長くなってしまいましたが、ここまで読んでいただきありがとうございました。これから新しいスタートになりますが、自分なりに楽しんでいけたらと思っています。ぜひ応援いただけたら嬉しいです。
▶︎今後の動きは個人のSNSなどで都度発信していきますので、よかったらそれぞれフォローをお願いします。
- Twitter @hirokim21
- Facebook hiroki.mochizuki
- Instagram hiroki.mochizuki
- NewsPicks 望月優大
- note 望月優大 (新しく始めてみることにしたので良かったらフォローください)
▶︎ご連絡やお仕事のご依頼はこちらまでお願いします。
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頑張るぞー!!!
プロフィール
望月優大(もちづきひろき)
ライター・編集者。株式会社コモンセンス代表。日本の移民文化・移民事情を伝えるウェブマガジン「ニッポン複雑紀行」編集長。BAMPで「旅する啓蒙」連載中。経済産業省、Googleなどを経て、スマートニュースでNPO支援プログラム「ATLAS Program」のリーダーを務めたのち独立。低所得世帯の子どもたちに教育機会を届ける「スタディクーポン・
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お仕事の依頼等 hiroki.mochizuki[a]cmmnsns.jp
本気で一つの始まりに賭けてみた話。スタディクーポンのこと。自分のこと。相談を受けてから、これまで。
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この記事は昨日10/12にFacebookで投稿した内容を再構成したものです。
https://www.facebook.com/hiroki.mochizuki/posts/10101573520299511
スタディクーポン・イニシアティブの最新情報は
Facebook:https://www.facebook.com/studycoupon/
Twitter:https://twitter.com/studycoupon
で発信していきます。ぜひフォローください。
小さな変化に、参加しましょう。
プロフィール
望月優大(もちづきひろき)
経済産業省、Googleなどを経て、現在はスマートニュースでNPO支援プログラム《ATLAS Program》のリーダーを務める。関心領域は社会問題、社会政策、政治文化、民主主義など。趣味は旅、カレー、ヒップホップ。BAMPで「旅する啓蒙」連載中。東京大学大学院総合文化研究科修士課程修了(後期フーコーの自由論)。1985年埼玉県生まれ。
Twitter @hirokim21
Facebook hiroki.mochizuki
『アメリカを動かす「ホワイト・ワーキング・クラス」という人々』(ジョーン・C・ウィリアムズ)
とても面白く読んだ。著者はアメリカ人全体を所得でざっくり3つに分類する。エリート、ワーキングクラス、貧困層、この3つ。
基本的に彼女が話しているのは階級(class)や階級文化(class culture)のことで、ワーキングクラス(白人が多い)の状況とそれに紐づく一般的な感情や考えを理解しよう、そして共生していく道を探ろうという趣旨になっている。
アメリカを動かす『ホワイト・ワーキング・クラス』という人々 世界に吹き荒れるポピュリズムを支える"真・中間層"の実体
- 作者: ジョーン・C・ウィリアムズ,山田美明,井上大剛
- 出版社/メーカー: 集英社
- 発売日: 2017/08/25
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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言い換えれば、それは貧困層やマイノリティのほうばかりを見て、真ん中の層を真剣に見てこなかったリベラル勢への(自己)批判としての意味合いを帯びる。文中では、著者自身が一流大学の白人の女性教授として、「エリート」に属していることを意識しながら書いていることを示している。
所得の中央値で3つの階級(class)に分類を行っている。
ワーキングクラスの人々が何を大切にし、何に不安を感じ、エリートのどんな生き方を侮蔑し、貧困層のどんな振る舞いに怒っているのか、理解せずに彼らを馬鹿にしたり批判したりしてきたのではないかと、自身も属する(そう分類される)リベラルエリートに対してのそうした問いかけをこの本は行っている。自分たちの「よい文化」を「悪い文化」をもった人々に押し付けようとするな、そういうメッセージとも取れる。
専門職階級にとってもワーキング・クラスにとっても、階級文化の隔たりを埋めるのは難しい。その隔たりを埋めるにはまず、エリートの生活・思考・行動様式を「よい趣味」として認識するのではなく、それも一つの様式でしかないと認識することだ。(62頁)
エリートの潜在的な尊大さ、利他的な振る舞いを身にまといつつわかりやすい弱者以外を敗者として片付けてしまう精神性、そういった構造的な問題のありかを、この本は指し示している。そして、著者がこの状況について感じているのは、それが倫理的に正しくないと同時に民主主義の危機でもあるということだ。
話は単純だ。「大学を卒業していない全国民の三分の二はよい人生を送れない」と誰もが思っていることに、ワーキング・クラスは気づいている。しかもエリートは、他のグループには平等な立場を約束しておきながら、「地方のキリスト教原理主義者は救いようがないほど頑固だ」などと傲慢にも言い放つ。白人のワーキング・クラスが世の中から疎外されていると感じるのも当然だろう。苦しい生活を送っている白人たちは、「政治的公正」への批判を通して、裕福な白人たちを利口ぶっていると攻撃する。こんな状況を見て、それでも何の問題もないと思う人がいるのなら、どうぞこれまでどおりのやり方を続けていただきたい。(220-221頁)
世界を見渡したとき、この危機がアメリカだけの話だとは到底思えなかった。
プロフィール
望月優大(もちづきひろき)
慶應義塾大学法学部政治学科、
Twitter @hirokim21
Facebook hiroki.mochizuki
関連エントリ
3つの薬物中毒に侵された街(『ローサは密告された』ブリランテ・メンドーサ)
もしまだ観ていなかったらこの映画を観てほしい。きっと圧倒されるはずだから。
ブリランテ・メンドーサ監督の『ローサは密告された』はフィリピンの日常に深く根付いた麻薬と人々との関わりを描く。登場人物がすべて実在するかのように感じられるほどにリアルだが、フィクション映画だ。
この映画を観ると、マニラの底の底まで一気に連れて行かれる。現地をふらっと訪れてもこの深さまで入れるはずもないし入るべきでもない。リアルなフィクション映画にしかなしえないことが、2時間弱の映像のあちこちに埋め込まれている。
昨年のドゥテルテ大統領の就任によって、フィリピンの麻薬事情はより多くの人の知るところとなった。調べてみると彼の「麻薬撲滅戦争」で昨日も多くの死者が出たようだ。
フィリピン警察の麻薬摘発で32人死亡 1日で過去最多 - BBCニュース
この映画の構想自体は氏の大統領就任の前にあり、ドゥテルテを人々が呼び寄せる理由となった現実の一旦がここに映っていると捉えることもできるだろう。
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劇中「アイス」と呼ばれる覚せい剤がこの映画の主役である。
貧しいスラムの一角でキヨスクのような店を営む主人公のローサは夫のネストールと覚せい剤を販売するビジネスに手を染めている。彼らは販売ルートの末端の一つであり、定期的にバイクで訪れるジャマールからアイスを仕入れ、街の人々に売っている。彼らもその一部を自ら利用している。街を歩くローサにどこからともなく「アイスはないか」という声が聞こえてくる。
彼らには4人の子どもがいる。男と女が2人ずつ。通りに面した店の奥のスペースと2階で暮らしている。湿気がものすごく、洗ったTシャツはなかなか乾かない。夕食のために近くの屋台で焼き魚などを買う。同じ屋台で小分けのビニール袋に詰められたご飯を5つ大鍋から取り出して買う。それを持ち帰ってテーブルに広げると家族が集まる。
血のつながりはないものの長い付き合いがありそうなボンボンという名の青年が家に入ってくる。薬が切れたのか、ローサに対して執拗にアイスをねだる。ローサは最初は断るが、何度もねだり続けるボンボンに根負けして棚の奥に隠してあるアイスを一つだけ渡す。渡して帰るかと思いきや追加で小遣いまでねだられる。ローサはポケットから小銭を渡す。
後になってわかるのだが、彼は麻薬所持で警察につかまる。そして、警察から釈放されるため、警察にローサを売る。雨の夜、警察が大挙してローサの店を訪れる。
・・・・・
ここまでが、この映画の舞台設定である。逮捕されたローサたちは、警察署の奥にある部屋でほかの売人の密告や高額の現金を要求される。そして、親たちの釈放を求める子どもたちが金策のために町中を走り回るのだが、その詳細はぜひ映画を観てほしい。
手持ちカメラの躍動的な映像で一つの時間をいくつもの異なる場所から切り取りながら、ひどく日常的で、それゆえとても力強いラストシーンにいたるまで一直線につながっていく。ラストのあと、自分が震えていることがわかる。
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最後にもう少し。なぜこの街では人々が麻薬をやめることができないのかということについて言葉を継いでおきたい。
この街には3つの薬物中毒がある。快楽への中毒、金への中毒、腐敗への中毒だ。
快楽への中毒は一番わかりやすい。アイスの効き目に対する中毒ということである。ローサからアイスを買っているスラムの庶民がこの中毒に侵されている。
金への中毒は、アイスの売上に生活が依存するということである。この中毒がスラムでアイスを売るローサのような末端の売人たちを蝕んでいく。純粋な貧困状況のなかで、ほかの確固たる生活手段が確保できなければ、薬物販売から得られる利益を簡単に捨て去ることができない。
そして、この街の最も深いレイヤーを蝕んでいるのが腐敗への中毒だ。それは、違法な薬物取引を取り締まるはずの警察組織そのものが深く侵されている中毒である。彼らは、密室での暴力を背景に、逮捕した売人からドラッグの売上である現金とドラッグそのものを押収する。加えて、警察署からの釈放と引き換えにさらなる現金を用意させる。
このようなプロセスののちに、腐敗した警察組織は売人たちから奪った現金やドラッグを私的な仲間内の論理で分配する。現金を分け合うだけでなく、売人を通じて押収した薬物を今一度市場に還流させ、その取引からさらなる現金を得る。こうした腐敗のルーティンから得られるブラックマネーに警察組織が芯から蝕まれている。アイスは再び人々の元へと戻っていく。
この映画を観てわかることは、末端の売人や薬物利用者をどれだけ殺しても根本的な解決には決してならないということだ。最も深いレイヤーにある暴力の支配、警察機構の腐敗、法の支配からの逸脱に手を入れない限り、蔓延する貧困状況を背景に薬物への依存は再生産され続けるのだろう。
街の構造そのものが腐敗への中毒を頂点とする薬物中毒に侵されている。密告も、暴力も、すべてその一部としてある。
プロフィール
望月優大(もちづきひろき)
慶應義塾大学法学部政治学科、
Twitter @hirokim21
Facebook hiroki.mochizuki