「投票率がとても低い」ということについて
こちらの記事を読んで。
マクロン新党の勝利の意味 | 鈴木一人 | コラム | ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト
6月に行われたフランス国民議会選挙の最大の特徴は投票率の低さであった。投票率は42.6%で、1958年に始まったフランス第五共和政で最低の投票率。左右既存政党に対する信頼感が低下した結果、今年4~5月に行われた個人を選ぶ大統領選ではマクロン、ルペン、メランションという政治姿勢を異にする3人のポピュリストたちが躍進した(投票率は1回目が77%、2回目が65%)。しかし、政党を選ぶ議会選においては、投票に行く人の絶対数自体が前回の議会選と比較して大きく減少してしまったのである。
今回の国民議会選挙でもっとも大きな特徴というのは、やはり投票率の低さ(フランスでは棄権率の高さと表現される)であった。約42.6%という、第五共和制が発足してから最低の投票率であり、これまでの最低であった2012年の国民議会選挙の55.4%を下回り、50%を切るという大幅な落ち込みである。
上記記事中でも紹介されているこちらのグラフに明らかなように、大統領選から議会選にかけてとくに得票数を落としたのは左右のポピュリスト政党であった。すなわちルペンの「国民戦線」とメランションの「不屈のフランス」である。それぞれグラフの左端から2番目と4番目に位置している。
(出典 Twitter @mathieugallard )
グラフからは、両党ともに大統領選(青のバー)の半分以下の得票数しか議会選(オレンジのバー)では得ることができなかったということが見て取れる。
ここから見えてくるのは、大統領選でルペンやメランションという「個人」に投票した人々の多くは、議会選で「国民戦線」や「不屈のフランス」といった「政党」には投票しなかったというシンプルな事実である。そして、この現象が何を意味しているかと言えば、フランスの有権者のなかで、「ここに投票したいと思える政党がない」と感じている人の割合が増えているということだろう。
それは伝統的な政党による組織的な集票力が落ちているということの証左であり、同時に新興政党の組織的な集票力がまだ十分でないということの現れでもあるだろう。大統領選であれば、空中戦的にメディアをうまく活用することで、特定の個人に対する得票を集める力が生まれやすい。しかし、多数の候補が同時に出馬する議会選ではそうした力学も働きづらくなる。
周知の通り、日本の衆院選における投票率も同様の状況にある。以下の黒線が全年代合計の投票率であり、色付きの線は年代別の投票率だ。浮き渋みはあれど、どの年代でも低下のトレンドにあると言うことはできるだろう。とくに若年層の投票率の低さは際立っている。
(出典:総務省)
こうした数値を見るにあたって気をつけるべきなのは、投票率が低い、あるいは低下しているということを、人々の政治一般に対する意識の高低に還元して理解しようとしてはならないということだ。
なぜなら、たとえある人の政治意識がとても高かったとしても、提示された選択肢の中に自らを認めることができなければ、「どこにも投票しない」という行動にいたることは多いにありえるからである。むしろ、そのような状況にいたったときこそ、人は議会政治一般に対する大きな失望やジレンマを感じるのではないだろうか。
投票率が徐々にゼロに近づいていくということは、人々が非政治化していくということと同義ではない。あるときまで潜っていた人々の政治的意思や不満が何かの拍子に表舞台に流れ込んでくるということは大いにあり得るし、そうすること自体を目的とする政治的キャンペーンによって、その社会における政治的対立が必要以上に先鋭化していくということもあるいはありえるのではないかと思う。
投票率が42.6%しかないということは、政治的権利を持つ人たちの半分以上がその権利を行使しなかったということを意味する。「民主主義」という大きな理念や建前自体が残る以上、そうした理念を公式の制度が吸収する力を失っていくということの意味を私たちは改めて深く考えておく必要があるのではないだろうか。放置すればするだけ、あとで大きなしっぺ返しを食らうことになるような気がしてならない。
プロフィール
望月優大(もちづきひろき)
慶應義塾大学法学部政治学科、
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