望月優大のブログ

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すべての家族は家族ごっこ。是枝裕和『万引き家族』を観て

『万引き家族』を観た。話題の映画なので、前置きはせずに書きたいことだけを書いておこうと思う。

この映画では「偽物の家族」のことが描かれている。今風の言葉で言えば「フェイクな家族」とでもなるだろうか。それには2つの意味があって、「血」が繋がっていないということ、そして「戸籍」で繋がっていないということ、この2つが包含されている。

この映画ではこうした「偽物の家族」がはらむ「本物っぽさ」についても描かれている。むしろ彼らの繋がりは「血」や「戸籍」で繋がった「本物の家族」よりもよほど本物っぽいものとして描かれていて、映画を観る者に「血」とは何か、「戸籍」とは何かということを考えさせる。家族とは一体何なのだろうかと。

多くの人たちは、彼ら万引き家族のことをこの社会が生み出す澱のようなものとして捉えるかもしれない。つまり、社会の表面をなぞっているだけでは見えないけれど、その奥で秘かに沈殿する少数派として想像するかもしれない。

それは、ある意味では正しいだろう。つまり、血縁や戸籍関係がぐちゃぐちゃで、窃盗と非正規労働と年金で生計を立てていて、子どもは学校に行っておらず、誰もが複数の名前を使い分けている。そんな家族は少数派だろう。

しかし、万引き家族のあり方は、あらゆる価値判断を排した上で、この社会が進んできた道のりの帰結のようなものとしてある。つまり、それは家族の自由化という長い長い道のりだ。その道のりは、家族の喪失とも、家族の脱自明化とも言い換えることができる。

映画を観ればわかる通り、彼らの関係は恋愛に似ている。それも、昔ながらの恋愛ではなく、近代型の「自由恋愛」だ。血や戸籍で繋がっていない彼らは、互いが互いを「家族」として認めているかをぎこちなく、いじらしく、確かめ合う。その仕草は、相手が自分のことを好きであるかの確認に飢えた、付き合いたてのカップルの仕草にとてもよく似ている。

血縁や戸籍のくびきから解放された自由な家族は、その入会にも、そしてそのメンバーシップが今もなお生き生きと存続しているかの確認にも、いくつもの小さな儀式を必要とする。それは「誰がこの家族のメンバーなのか」が全く自明ではないからだ。いかなる論拠もなく、ただこれまで過ごしてきた時間と、これからの時間に対する意思の確認だけが、万引き家族とその成員の維持を可能にする。

先ほど「家族の喪失」と書いた。万引き家族のメンバーは一人ひとりがそれぞれの形で家族を喪失した者たちである。彼らは家族喪失者の群れとして、万引き家族を構成した。なぜかと言えば、彼らにも家族は必要だったからである。ただ食べていくだけなら一人でもできる。生活保護もある。年金もある。それでもなお、彼らは必要としたのだ。安定した人間関係を。予測可能な明日を。つまり、今日も明日も帰るべき故郷を。

この映画を観て希望を感じただろうか。それとも、絶望を感じただろうか。

初枝(樹木希林)が言うように、万引き家族は「長続きしない」。何十年も続く一人ひとりの人生の中で、家族はもはや果たして何年持つかも分からないほど脆弱なものになってしまった。安定の基盤として希求された家族は、明日突然なくなっているかもしれない。昨日確認した絆が、明日一方的に打ち切られているかもしれない。

その恐れを抱き続けながら私たちは生きていく。

私たちは自由になったのだ。あらゆる自明性の闇から解放されたのだ。そして、私たちはこれほどまでに寂しくなってしまった。弱くなってしまった。元々弱かったことが、あからさまになってしまったのだ。逃げられなくなってしまったのだ。

血が繋がっていようがいなかろうが、親は子どもを虐待する。子どもは親を切り捨てる。それが異常なのではない。それが当たり前なのだ。私たちはいとも簡単に家族を喪失する。些細なきっかけで、それまで大切だと確認し合ってきたものを手放してしまう。そして、家族をつくることを恐れ続けるだろう。家族の失敗を、恐れ続けるだろう。

それでもなお、私たちが家族ごっこをやめることはない。恋愛ごっこをやめることがないのと同じことだ。一人で生きていくことなどできはしないのだから、人間は。金では解決できないのだから、人間の寂しさは。

すべての家族は家族ごっこ、私たちはみなそのことに気づいている。万引き家族が描いたのはそういう時代の一風景である。私たちは本当に本当に一人なのだ。一人であるにも関わらず、家族をつくるのである。

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プロフィール

望月優大(もちづきひろき) 

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ライター・編集者。日本の移民文化・移民事情を伝えるウェブマガジン「ニッポン複雑紀行」編集長。寄稿|現代ビジネス/BAMP(連載企画:旅する啓蒙&社会を繕う)/本がすき。/など。経産省やグーグル、スマートニュース等を経て独立。株式会社コモンセンス代表取締役。東京大学大学院総合文化研究科修士課程修了(地域文化研究専攻)。旅、カレー、ヒップホップ。1985年生まれ。

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note 望月優大
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