望月優大のブログ

見えているものを見えるようにする。

経産省「次官・若手ペーパー」に対する元同僚からの応答

経済産業省の「次官・若手プロジェクト」によるペーパーが話題になっていた。私自身、新卒時に同省で働いていたのだが、このペーパーの作成に私の(個人的に親しい)同期なども関わっているようだ。

不安な個人、立ちすくむ国家 〜モデル無き時代をどう前向きに生き抜くか〜 平成29年5月 次官・若手プロジェクト | 産業構造審議会総会(第20回)‐配布資料 | 経済産業省

したがって、以下に述べていくことについては、このプロジェクトの参加メンバーに対する人格攻撃の意味合いをまったく持たず、このペーパーが提案する国家観及び社会像そのものに対して応答していくものである。あらかじめ述べておくが、私の意見の基調は「反論」のそれである。しかし繰り返しになるが、その目的は特定の誰かへの攻撃ではなく、政府が発表しかつ社会的に話題になっている資料について、そこでなされている議論の整理と、別の視点を提供することだけをこの文章は企図している。以上が前置きである。

さて、全65頁にわたる本ペーパーを一読し、私はその内容をどう理解したか。いろいろと書いてあるが、それほど複雑な資料ではない。根本的なメッセージは「我々はどうすれば良いか」と題された最後のパートにあるp51のスライドに集約されている。

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「社会の仕組みを新しい価値観に基づいて抜本的に組み替える」とあるが、3つのポイントを改めて書き起こす。

  1. 一律に年齢で「高齢者=弱者」とみなす社会保障をやめ、働ける限り貢献する社会へ
  2. 子どもや教育への投資を財政における最優先課題に
  3. 「公」の課題を全て官が担うのではなく、意欲と能力ある個人が担い手に(公共事業・サイバー空間対策など)

何が言われているか。それぞれについて、同ペーパー中にて提供されている様々なコンテクストを加味しながらわかりやすく噛み砕くとこうなる。

  1. 高齢者の数がどんどん増えるなかで、高齢者に対する社会的支出(年金、医療、介護など)が大きくなりすぎており、財政を持続不可能にしている。同時に、まだ働く能力があるにも関わらず、一定の年齢を基準に「高齢者」と認定され、それによって年金などの社会的支出の対象となっている人々が存在している。したがって、後者の人々に働いてもらうことで、高齢者に対する社会的支出の絶対量を抑制し、財政の持続可能性を高める。
  2. 社会的支出の多くは高齢者に対して支出されており、現役世代や子どもたちに対しての支出が少なすぎる。後者は将来的にペイする「投資」であり、したがって高齢者への支出を減らしてでも、現役・子ども世代への支出を増やすべきである。
  3. 「公的な課題」の増加と多様化に対して、国だけが対応するのは無理である。国が財政措置などで「公的な課題」の全てを解決しようとするのではなく、意欲と能力ある個人により多くを任せるべきだ。それが個人の生きがいにもつながる。

上記をざっくりまとめ直すとこうなる。

"高齢者の増加によって国に生活保障される「弱者」が増えすぎており、このままでは財政的にもたない。高齢者への支出を削ってでも若者に投資すべき。高齢者への対応含め、公的課題の全てを国の責任とするのは現実的ではないので、人々が国を介さず自分たちの手で解決できる領域をできるだけ広げていきたい。"

で、こういった考え方を2つにまとめるとこうなる。

①「緊縮(=財政の縮小)」

②「世代間対立(=財政の投資化)」 

このスタンス、この社会像に私は反対する。

このペーパーを読んで、私は今年の2月に少し話題になったある出来事を思い出した。それは、上野千鶴子氏が中日新聞紙上で述べた内容がきっかけとなってインターネット上で巻き起こった議論のことである。私はそのときも以下の記事で上野氏に対する反論を書いていた。

私が当時まとめた上野氏の主張は以下の通りである。

  1. 日本は今転機にある。最大の要因は人口構造の変化。
  2. 人口を維持するには自然増か社会増しかない。自然増は無理だから社会増、すなわち移民の受け入れしか方法がない。
  3. したがって、日本には次の選択肢がある。「移民を入れて活力ある社会をつくる一方、社会的不公正と抑圧と治安悪化に苦しむ国にするのか、難民を含めて外国人に門戸を閉ざし、このままゆっくり衰退していくのか。
  4. 「移民政策について言うと、私は客観的に無理、主観的にはやめた方がいいと思っています。」世界的な排外主義の流れがあり、さらに日本人は単一民族神話を信じているから多文化共生には耐えられない
  5. 結局自然増も社会像も無理だから「日本は人口減少と衰退を引き受けるべきです。平和に衰退していく社会のモデルになればいい。」
  6. 「日本の場合、みんな平等に、緩やかに貧しくなっていけばいい。国民負担率を増やし、再分配機能を強化する。つまり社会民主主義的な方向です。ところが、日本には本当の社会民主政党がない。
  7. 日本の希望はNPOなど「協」セクターにある。様々な分野で問題解決してる。人が育ってきている。
  8. 憲法改正論議についても心配していない。 日本の市民社会は厚みがある。

経産省のペーパーには移民や外国人についての言及がなかったが、根本的な論理構造は上野氏のそれと多くを共有しているように見える。だいたい、こんな感じである。

"人口の高齢化という構造要因のなかで、(移民の受け入れも)社会民主主義的な(=福祉国家的な)再分配機能の強化も現実的ではない(むしろ再分配機能は別様にずらしつつ縮小すらすべきである)。そして、(高齢者の)労働強化と市民社会による代替が再分配の不足を埋めあわせる鍵になる。"

私個人の感想としては「よく聞く話」というものである。それに対して、最後に、私のスタンスを以下の3つにまとめておく。

①まず「財政的制約」については、現在の税制を思考停止的に前提とすべきではなく、所得税、消費税、相続税、法人税など様々な税目についての検討、加えて課税ベースの強化についてのオプションをしっかりと出していくべきである。それは財務省の仕事だというかもしれないが、そもそもこのペーパーの所管範囲は経産省のそれではない。歳出サイドだけでなく、歳入サイドについても検討・議論の範囲を広げるべきである。もちろん、税だけでなく社会保険や国債などの組み合わせ全体が議論の対象となる。議論の線としては、アトキンソン「21世紀の不平等」などを参考にしており、国家による再分配機能の縮小=新自由主義路線ではなく、再分配機能の再度の強化をこそ志向する。言葉の正しい意味で、「弱者」が増えているからである。

21世紀の不平等

21世紀の不平等

 

「制度が依存的な弱者をつくる」という考え方について。その側面があることを否定はしない。では、「制度に頼るべき弱者」と「制度に頼らなくて済む強者」、ある個人がそれらのどちらであるかについて、誰がその線を引くのか。このペーパーのスタンスは明確である。その個人が「自分自身で引く」「自分自身で選択する」のである。そして、そのことがもたらすひどく恐ろしい効果を想像してみてほしい。「一億総活躍」と「財政の持続可能性」が骨がらみになって主張されているさなか、「どんな人生の最期を迎えたいですか?」と社会から個人に対して自己決定が促されるわけである。年金を受け取ることのスティグマは強化され、「延命治療を受けたい」と口に出すことは憚られるようになるだろう。少なくとも私はそういう国にしたくない。表面的な「自己決定」が「社会からの強制」に等しくなる構造を想像するのは容易いからだ。持っている権利を社会の期待に合わせて自ら捨て去ることの恐ろしさに気づいているのは弱者の側だけであり、そして、誰しもいつかは弱者になるのである。

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③最後に、そして自分が企業からのNPO支援などに深く関わっているからこそきちんと言っておきたいのだが、「国家が担ってきた領域の個人による代替」について。個人や企業、市民セクターなどが社会課題の解決主体でありうるということが、国が社会問題の最大・最終的な解決主体であるということの責任を免除することを帰結することはありえない。前者は後者に付加されるべきものであって、代替することを想定するべきものではない。NPOセクターに限ってみても、その力がまだまだであることの根本的な要因は、よりプリミティブな意味での質の高い人材の不足と、それと強く相関する活動資金の圧倒的な不足にある。そして、国家は国家業務の外部委託や助成金などの投入という形で、NPOセクターへの最大の資金の出し手なのである。その事実を踏まえずに「公を民が担うのだ」というビジョンを掲げることは、緊縮財政の実現を通じて、結果としてのNPOセクターの縮小を招くだろう。

さて、経産省による「次官・若手ペーパー」の内容に触れてきた。ウェブ上での反応を見ると「新しい内容」と捉える向きもあるようだが、こう整理してみれば明瞭なように、これまで何度も言い古されてきた緊縮・福祉国家再編の論理であり、新しさはほとんどない。むしろ、本資料についてきちんと考察・理解しておくべきことは、このペーパーが現在の政府全体の動きとどこが同じでどこが違うかである。基本線としては「一億総活躍社会」という政府全体のスローガン及び関連する政策内容とかなりの程度呼応していると私は判断している。その意味でも新しさはほとんどないと言えるように思う。

力ある者が真面目な気持ちで危機を煽るとき、力なき者は自分の立っている地平を見失ってはならない。なぜなら、力なき者たちが自らの支えを失ったとき、彼ら=私たちが自分の指導者として誰を選ぶにいたるか。その想像力こそが、煽られた危機に臨む私たちにとっての試金石となるからである。

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(追記1)関連テーマでもう1本書いたのでこちらもよければご一読ください。

(追記2)さらにもう1本書きましたのでよかったらお読みください。

プロフィール

望月優大(もちづきひろき) 

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慶應義塾大学法学部政治学科、東京大学大学院総合文化研究科修士課程修了(ミシェル・フーコーの統治性論/新自由主義論)。経済産業省、Googleなどを経て、現在はIT企業でNPO支援等を担当。関心領域は社会問題、社会政策、政治文化、民主主義など。趣味はカレー、ヒップホップ、山登り。1985年埼玉県生まれ。
Twitter @hirokim21
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関連エントリ

国連軍がムクウェゲ医師に対する24時間の人身保護を再開(英→日翻訳 ※昨日の続き)

良いニュースです。昨日、コンゴのムクウェゲ医師に対する国連軍による保護が解除されており、それによって彼の身に危険が迫っているというブログを書きました。

今日、その保護が回復されているとMONUSCO(国連コンゴ民主共和国安定化ミッション)自身からの発表があったようです。ムクウェゲ氏と彼のパンジ病院に対する24時間の保護を再開したことをMONUSCO自身が発表したということです。保護は5/15にすでに回復されているとMONUSCOは説明しています。こちらの記事です。

MONUSCO CONTINUES TO SUPPORT AND PROTECT DR. MUKWEGE

該当部分のみラフですが英→日翻訳します。

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<英→日翻訳>

パンジ財団が表明した懸念にもとづき、MONUSCOは適切な保護レベルを決定するための徹底的な安全調査を近日中に実施する。その調査に先立ち、24時間の保護のために、MONUSCOは5/15に制服組のパンジ病院への配置を再開した。そして、安全調査が完了するまで、同エリアにおけるパトロールの数を増加させる。

MONUSCOはムクウェゲ医師とパンジ病院のスタッフの安全をとても真剣に考えている。上述の手段に加えて、MONUSCOはパンジ病院の機密記録の保全についても継続して実施していく。

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<原文>

Based on concerns expressed by the Panzi foundation, MONUSCO will conduct a thorough security assessment to determine the adequate level of protection in the near future. On 15 May, MONUSCO preemptively deployed uniformed personnel to Panzi hospital for a 24h protection and will increase the number of patrols in the area until the security assessment is completed.

MONUSCO takes the security of Dr Mukwege and Panzi hospital’ staff very seriously. In addition to the above measures, MONUSCO will continue securing the confidential records of Panzi hospital.

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取り急ぎ国連からの保護再開の公式発表があって良かったです。署名がどこまで効果があったかはもちろんわかりませんが、シェアなどでご協力いただけた方に感謝いたします。

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望月優大(もちづきひろき) 

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慶應義塾大学法学部政治学科、東京大学大学院総合文化研究科修士課程修了(ミシェル・フーコーの統治性論/新自由主義論)。経済産業省、Googleなどを経て、現在はIT企業でNPO支援等を担当。関心領域は社会問題、社会政策、政治文化、民主主義など。趣味はカレー、ヒップホップ、山登り。1985年埼玉県生まれ。
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関連エントリ

(続報あり)「ムクウェゲ医師への保護はなくなり、彼の命は危険にさらされている」(仏→日翻訳、署名)

こちらの記事で取り上げたムクウェゲ医師の身が現在進行形で深刻な危険にさらされているようです。ノーベル賞候補にも度々あがっている偉大な人物の命がすぐに失われてしまうかもしれないという状況です。

国連軍による彼の人身保護が何らかの理由で停止されたことが理由なのですが、その保護を回復することを求める署名キャンペーンがchange.orgで立ち上がっていたので、ラフですがフランス語から日本語に翻訳しました。ムクウェゲ医師と同様に保護を解除された医師は4/14に自宅で暗殺された状態で発見されています。事態は本当に深刻です。

日本からも同サイト経由で署名に賛同できますので、以下を読んでいただきぜひ日本からもたくさんの署名を送りましょう。署名自体は本当に簡単です。すぐに終わります。

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<仏→日翻訳>

ムクウェゲ医師への保護はなくなり、彼の命は危険にさらされている

ムクウェゲ医師への保護はなくなり、彼の命は危険にさらされている。これまで4万人以上にのぼる性暴力の被害女性を治療してきたこのコンゴ人外科医は、国連軍による恒久的な保護を失った。

このテーマをめぐる状況は錯綜している。MONUSCO(国連コンゴ民主共和国安定化ミッション)は否認したが、しかしムクウェゲ氏に近い人々は、すでに彼の病院に国連軍はいないと述べた。私たちはしたがって状況が明らかにされることを求める。http://fondationpanzirdc.org/2017/05/11/communique-de-la-fondation-panzi/

医師の命は重大な危険にさらされている。パンジ病院における彼の同僚や患者たちの命も同様だ。彼の同僚であるジルド・ビャムング氏に与えられた保護もまた数週間前に解除された。そして、彼は4/14に自宅で暗殺されているのを発見されたのだ。

私たちは、私たちの共同体の全員に対して、そしてまたすべてのヒューマニストたちに対して、世界で最も偉大な平和の守護者のうちの一人への保護を維持するために、この署名にサインすることを求める。何もしないことは考えられない。このような状況のなかでもなお女性たちの生存のために自らの命を捧げる一人の人間を見ることがどんなメッセージを発するだろうか。沈黙、それは共犯である。

「私の闘いと率直さが人々を当惑させる。人々は私がコンゴの評判を汚していることを非難する。そして、強姦犯を免責しようとする腐敗した政府の邪魔をすると非難するのだ。それは私たちを当惑させる。なぜなら沈黙し行動しないことは共犯であることと同じだからである。」<女を修理する男>と呼ばれるコンゴ人の婦人科医ムクウェゲ医師はそう話した。
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<原文>
Le Dr Mukwege n'est plus protégé et risque sa vie.
Le Dr Mukwege n'est plus protégé et risque sa vie. Ce chirurgien congolais qui a déjà réparé plus de 40 000 femmes violées ne disposera plus de la protection permanente des Casques bleus de l’ONU. 

Tout ce qui entoure le sujet est flou. La MONUSCO a démenti mais les proches de Mukwege disent qu'ils n'y plus de casques bleus dans l'hopital. Nous demandons donc à ce que le sujet soit éclairci. http://fondationpanzirdc.org/2017/05/11/communique-de-la-fondation-panzi/

La vie du docteur est réellement en grand danger mais également celle de ses collègues et de ses patientes de l’hôpital de Pandzi. La protection accordée à son collègue Gildo Byamungu a été retirée il y a quelques semaines aussi et le médecin a été retrouvé assassiné à son domicile le 14 avril.

Nous demandons donc à toute notre communauté, mais aussi à tous les humanistes en général de signer cette pétition pour maintenir la protection d'un des plus grands défenseurs de la Paix. Il est impensable de ne rien faire. Quel message cela enverrait-il de voir un homme ayant dévoué sa vie à la survie des femmes perdre la sienne dans de telles conditions ? Se taire, c'est être complice.

« Mon combat et ma franchise dérangent. On m’accuse de salir la réputation du Congo et de nuire à un gouvernement corrompu qui protège l’impunité des violeurs. C’est effarant, car le silence et l’inaction valent complicité« , explique le gynécologue congolais surnommé «l’homme qui répare les femmes». Dr Mukwege

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署名はこちらのURLからできます。本当にすぐに終わりますのでぜひ。

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日本語でコンテクストがわかるものはこのブログくらいしかないと思うので、ぜひこちらのブログをシェアください。よろしくお願いします。本当に偉大な方なので、私たち一人一人にできることをしましょう。

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続報です。良かったです。

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望月優大(もちづきひろき) 

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慶應義塾大学法学部政治学科、東京大学大学院総合文化研究科修士課程修了(ミシェル・フーコーの統治性論/新自由主義論)。経済産業省、Googleなどを経て、現在はIT企業でNPO支援等を担当。関心領域は社会問題、社会政策、政治文化、民主主義など。趣味はカレー、ヒップホップ、山登り。1985年埼玉県生まれ。
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ケン・ローチ『わたしは、ダニエル・ブレイク』をすべての人に観てほしい。

ケン・ローチ監督の『わたしは、ダニエル・ブレイク』(I, Daniel Blake)を二度観た。一度目は公開直後に。二度目はつい先ほど。感じたことを書いていく。

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「人生は変えられる。隣の誰かを助けるだけで。」「涙と感動の最高傑作」

こうした言葉には違和感を覚える。

80歳を過ぎたケン・ローチが一度は表明した引退を撤回してまで撮りたかったことはそんなものではないと私は思う。

この映画のメッセージ、構造はとてもクリアである。図式的であるといってもいい。だが図式的であることが全くマイナスになっていない。この図式こそが現実的だと感じられるからだ。自分たちはこういう時代を生きているのだと強く突きつけられるからだ。

ケン・ローチがこの映画を撮ったのは人と人との助け合い、人と人との支え合いの美しさを伝えるためなどではない。少なくともそのためだけではない。弱い者同志が支え合う、その限界こそを彼は強く訴えているのである。

『わたしは、ダニエル・ブレイク』は、生きていくための支え、生活を継続していくための支えを必要とする人間が、その支えを提供しうる(するとは限らない)国家との間で、自らの尊厳を維持しながら生きていくことの可能性と不可能性を描いた映画である。

人と人との支え合い、よりドライな言い方をすれば私人間の助け合い、それはあればあるほど良いものだ。ただ、それが本質的にとても脆弱で、弱い者がそれを求めることに躊躇する、申し訳ないと思う、恥を感じるものであるということも決して忘れてはならない。

最後の砦は国家である。たとえそれが憎々しい官僚主義に毒されていてもそうなのである。しかし、同時に、人はただ生きるために生きているわけではなく、尊厳の維持と公的扶助の申請とがある種のトレードオフに入っていく瞬間を見逃すこともできない。

ケン・ローチがこの映画を撮ったのは、そんな瞬間が社会の中の限られた層にとってのみの現実であることを超えて、いまや様々な年齢層、数多くの人々の生活のすぐそばまで迫ってきていると感じたからではないだろうか。

背景には、財政の論理にもとづき緊縮政策を進める国家の存在があるだろう。国家は一人の人間の命をいつ、どんな風に、どんな理由で見捨てるのか。それを知った私たちは、そのことをどのように、どんな理由で納得するのか。

民主主義の真っ只中で、私たちはそのことをどう正当化するのか。どう受け入れるのか。

ケン・ローチはパルムドールの受賞スピーチでこう語ったそうだ。

「映画にはたくさんの伝統がある。その一つは、強大な権力を持ったものに立ち向かう人々に代わって声をあげることだ。そしてこれこそが、私の映画で守り続けたいものだ。」

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国家に対する権利の要求には大きく分けて自由権的な側面と請求権的な側面とがある。前者は国家の無用な行動を防ぎ、後者は国家に対して必要な行動を要求する。そして、人間の生存、その支えに関わる要求には、自由権的な側面と請求権的な側面の両方が考慮される必要がある。

金をやるから権力の言いなりになれ。金をやるから言う通りにしろ。あるいは、言う通りにしないお前にはもう金をやらない。

こうしたゲームになぜ付き合わなければいけないのか。人間の生存は権利によって保障されているはずではなかったのか。なぜ、過去の行動、過去の態度、過去のふるまいによって生存のぎりぎりの支えまで失わなければならないのか。

そして、繰り返すが、民主主義の真っ只中で、私たちはそのことをどう正当化するのか。どう受け入れるのか。

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受け入れてはならない。決して屈してはならない。そう声をあげたかったからケン・ローチはこの映画を撮ったのだろう。80歳を超えてなお、引退を撤回してまでこの映画を撮ったのはそういう理由からではないか。 私はそう思う。

弱き者たちが集い、個人と個人として支え合う。それだけでは足りないのである。それはいつだって必要だし、これまで以上に必要になっているとも言える。しかし、その大切さを認識することを、本当に失ってはならないものを捨て去ってしまってもよいという決断、自分たち自身による決断へと短絡させてはならない。そこを直結させてはならない。そう彼は訴えているのではないだろうか。

私はその訴えを受け取ったし、だからこそ多くの人にこの映画を観てほしいと思った。 『わたしは、ダニエル・ブレイク』をすべての人に観てほしいというのはそういう理由からである。

 

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関連エントリ

追記 170916

ブルーレイやDVDが発売開始されたので私も早速購入した。届いたらまた観返そうと思う。

わたしは、ダニエル・ブレイク [Blu-ray]

わたしは、ダニエル・ブレイク [Blu-ray]

 

 

 

子どもをひとりぼっちにしない。「子どもの孤立」を知り直すということ。

いまの仕事を通じて支援しているPIECESというNPOがあります。一言でいうと激プッシュしています。推しています。

彼らの活動には捉えがたい素晴らしさ、この時代と呼応した価値があるのですが、出会ったときからその捉えがたさ、名状しがたさをどう言葉にするか、悩んでいました。

その悩みをそのままに書いたというか、考える過程を記したのがこの記事です。

こんな感じで始まります。

PIECESは児童精神科医の小澤いぶきさんが代表を務めるNPOで、虐待や貧困といった問題を抱える子どもたちに寄り添い、そうした子どもたちが普段の生活ではなかなか得ることができない「大人との信頼感を伴った継続的な関係性」を一つずつ構築しようとしています。

PIECESのメンバーに聞くと、その関係性は「家族」でも「友だち」でもなく、そして「先生」でも「アドバイザー」でもない。いま存在する言葉ではなかなか表現しづらい関係性だけれど、この関係性こそが、子どもたちが自分の困難とうまく付き合って生きていくために必要であるような、そういう関係性。いまはうんうん唸りながらも「伴走者」という言葉をひねり出して使ったりしているようです。

この「伴走者」が子どもと一緒に何をするかといえば、日常のたわいもない話をすること、スポーツや料理をしたり遊びに行ったりすること、勉強や恋愛の相談に乗ること、そして、こうした積み重ねを通じて困ったときに相談してもらえる関係性をつくること。困ったことというのは、勉強や恋愛のことかもしれないし、いじめのことかもしれない。妊娠のこと、親からの虐待のことなのかもしれない。自傷のこと、学校に行けないこと、家に居場所がないことかもしれません。

こうした困難に直面したとき、心を許して相談できる関係性がどんな子どもにもあるわけではありません。そして、たくさんの子どもがそうした関係性を持てないことによって、袋小路(と感じられる状況)から抜け出すことが難しくなっています。 

この文章を書いたあとも、彼らと何度も何度も話をしました。そうしてようやっとたどり着いた場所がありました。いま思えば当たり前のアイデアです。でもはっとする何かがありました。それが、彼らが取り組んでいる課題の特定であり、その課題を「子どもの孤立」と名付ける、それがひとつのきっかけになりました。

この言葉が取り立てて新しい言葉であるということではありません。インターネットで検索すればそういったテーマについて書かれた文章はたくさん見つかります。

ただ、ともすれば「子どもの貧困」という言葉が人口に広く膾炙していくなかで、少し見えづらくなっていたこと、概念として掴みづらくなっていた何かがあったのかもしれません。

言葉と言葉を対比することで何かが浮かび上がってくることがあります。そして自分が当然に知っていたであろうことを改めて知り直すということがあります。「子どもの孤立」という言葉を通じて自分はそういう体験をしたような気がしています。

子どもたちは家庭や学校、地域というある種の閉ざされた空間を生きています。そこで孤立するということは、経済的なそれを含むあらゆる困難からの脱出を難しくします。

思い出してみてください。誰もが知っているはずのあの孤立の味です。少しずつ味が違うかもしれないけれど、知らない人はいないはずです。その孤立の中に閉じ込められている子どもたちがいます。

自分ですっくとたってその閉域から這い出てこれる子どもたちばかりではないでしょう。そのときそっと寄り添える大人がいれば。そして、寄り添うだけならば自分にも、誰にだってできるかもしれない。

それが、PIECESの真ん中にあるアイデアであり、存在意義だと私は思っています。

そして、その存在意義をこの言葉に込め上げました。

子どもをひとりぼっちにしない。 

直接的には、PIECESがGoodMorning by CAMPFIREと一緒に始めたプロジェクト、様々な小規模クラウドファンディングの集まりにこの名前をつけました。

そしてそのキックオフイベントを行ったのがつい先週です。一つの門出、一つのアイデアが社会のなかに実体を持って飛び出して行く門出のイベントになったと思います。PIECESアドバイザーの湯浅さんやCAMPFIREの家入さんも駆けつけてくれました。

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教育や福祉の仕事をされている方、行政の方、学生や普通の会社員の方々が100人も集まった夜でした。そんなイベントの様子を最前列からTwitterで実況していました。

Twitterで #子どもをひとりぼっちにしない で検索してみてください。37連発の実況ツイートが見つかると思います。その中からお気に入りをいくつか紹介させてください。このブログ記事はそれでおしまいです。

「居場所が問うているもの。子どもは大人に構ってもらう時間が必要だ。大人にその時間はあるのか。」

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自分で書いたこれらの言葉とともに、これからも忘れずにいたい言葉だと思いました。

「家族」ではなくても、「他人」であっても、脆弱な状況にいる子どもや人間に対してできることがある

振り返って大事だったと肯定できる他人との関係性を私たちはいろいろなやり方でつくっていく必要があるし、つくっていくことができるはずだ

「子どもをひとりぼっちにしないプロジェクト」クラウドファンディングの特設サイトはこちら。ぜひ参加してみてください。

プロフィール

望月優大(もちづきひろき) 

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慶應義塾大学法学部政治学科、東京大学大学院総合文化研究科修士課程修了(ミシェル・フーコーの統治性論/新自由主義論)。経済産業省、Googleなどを経て、現在はIT企業でNPO支援等を担当。関心領域は社会問題、社会政策、政治文化、民主主義など。趣味はカレー、ヒップホップ、山登り。1985年埼玉県生まれ。
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上野千鶴子氏の発言を読んで思ったこと。

上野千鶴子氏の中日新聞紙上での発言が話題になっていました。炎上と言ってよいかと思います。上野氏の発言はこちらで全文読むことができます。Togetterもできていました。

この国のかたち 3人の論者に聞く|考える広場|朝夕刊|中日新聞プラス

上野千鶴子「日本人は多文化共生に耐えられないから移民を入れるのは無理。平等に貧しくなろう」 - Togetterまとめ

上野氏の発言を簡単にまとめます。カギカッコの中は引用です。

  1. 日本は今転機にある。最大の要因は人口構造の変化。
  2. 人口を維持するには自然増か社会増しかない。自然増は無理だから社会増、すなわち移民の受け入れしか方法がない。
  3. したがって、日本には次の選択肢がある。「移民を入れて活力ある社会をつくる一方、社会的不公正と抑圧と治安悪化に苦しむ国にするのか、難民を含めて外国人に門戸を閉ざし、このままゆっくり衰退していくのか。
  4. 「移民政策について言うと、私は客観的に無理、主観的にはやめた方がいいと思っています。」世界的な排外主義の流れがあり、さらに日本人は単一民族神話を信じているから多文化共生には耐えられない
  5. 結局自然増も社会像も無理だから「日本は人口減少と衰退を引き受けるべきです。平和に衰退していく社会のモデルになればいい。」
  6. 「日本の場合、みんな平等に、緩やかに貧しくなっていけばいい。国民負担率を増やし、再分配機能を強化する。つまり社会民主主義的な方向です。ところが、日本には本当の社会民主政党がない。
  7. 日本の希望はNPOなど「協」セクターにある。様々な分野で問題解決してる。人が育ってきている。
  8. 憲法改正論議についても心配していない。 日本の市民社会は厚みがある。

ネットを見ていると「移民を治安悪化に結びつけるな」「平等に貧しくなるはずなどないだろう」といった批判が多いようです。もっともだと思います。自分としても突っ込みたいところはいろいろあるのですが、「最後はNPOと市民社会に丸投げ」という論の持っていき方に対して感じた残念さについて少し書いておきたいと思います。

一言で言えば、NPOだけの力で数多くの弱者をカバーできると考えるのは現実が見えていなさすぎです。ソーシャルセクターが豊かになっていくことはとても重要なことですが、NPOがいるから国家がいらなくなるのではなく、国家の再分配機能の強化と合わさって初めて、社会のなかの広い範囲に対して十全な支援の手が届きます。国家とNPOが純粋な意味で代替的な関係にないのは明らかです。

上野氏はいろいろな活動に近いところにいるでしょうから、そんなことなどよくわかっているはずだと思います。ですが、移民受入を加速させること、再分配機能を強化することがそれぞれ政治的にとても難しいということも同時に感じており、そのうえで、その困難をどうやったら乗り越えられるかと考えるのではなく、「無理なものは無理なんだ」と言っているだけなのではないかと感じました。批判の起点になりうる認識が、現状追認に堕してしまっているように私には思えます。

少し調べてみると、上野氏は2014年の記事でも同じような趣旨のことを言っています。政権が女性労働力を活用しようとしているが、日本では行政が保育所などのインフラを整えることもできていないし、移民を入れて安い賃金でベビーシッターを頼むということもできない、だから難しいのだというようなことを言っているわけです。

「女子力を磨くより、稼ぐ力を身に付けなさい!」上野千鶴子さんが描く、働く女の未来予想図 - Woman type[ウーマンタイプ]|女の転職@type

出産後もバリキャリとして働き続ける女性がいても、子どもの面倒を見てくれる“祖母力”があるなどの条件をクリアしたレアケースに過ぎません。それ以外に「育児を外注する」というオプションがあるはずですが、北欧のように国や社会が責任を持って保育所などのインフラを整備する「公共化オプション」も、アメリカのように移民労働力を格安の賃金で雇って育児を任せるという「市場化オプション」も、日本では極めて限られている。だから日本の女たちは追いつめられているのです。

政権の女性活躍、一億総活躍という掛け声に対して、「国家や社会の側としてそれを支える準備ができていないのではないか」という指摘は、現状に対する批判的な認識という意味では必要なものだと思います。しかし、その認識からはじまって困難な現状を追認するというストーリーしか紡ぎえないのだとしたらやはり残念だと感じざるを得ません。というのも、実際、上野氏は同じ記事の結論に近いところで以下のように述べているからです。

現在20代や30代の若い女性たちも、ゆっくりまったりと生きていけばいいじゃないですか。成熟期の社会では、皆が髪を振り乱して働き、他人を蹴落としてまで成長していかなくてもいいんですから。賃金が上がらないといっても、外食せずに家で鍋をつついて、100円レンタルのDVDを見て、ユニクロを着ていれば、十分に生きて行けるし、幸せでしょう? 東日本大震災の後、日常が何事もなく続くのが何よりの幸せだと多くの方々は痛感したはずです。

結局この結論なんですね。貧しさを受け入れよ、貧しさに慣れよ、生活レベルを下げて、生活レベルが上がっていくという夢を捨てて、自分の稼ぎでギリギリ生きていける人生を生きていけ。こういう自助の勧めが結論になってしまうんです。しかも、東日本大震災の経験がある種の脅しのような形で最後に添えられている。あの悲惨に比べたら慎ましい日常はよほどましだろうというわけです。

そこには社会で同じ時代を生きる人々が連帯して、今とは別の、今より良い社会のあり方を構想し、実現に向かって努力していこうと訴えるリーダーシップのようなものはありません。難しいものは難しいというある種の諦念と、全員を救うことはできないから一人一人が自らを救え、という自己責任の陳腐で乾いた掛け声があるだけです。

この記事の最後はこう締められています。最後のリンクは「うわっ…低すぎ?もらいすぎ?!」と書かれた「年収&お仕事相性診断」のサイトへと飛ぶようになっています。記事の趣旨は明らかですね。

「女子力を磨くより、自分に投資をして稼ぐ力をつけなさい」

これが私から若い女性たちに送る、これからの時代を生き抜くためのアドバイスです。

>>>あなたの稼ぐ力はどのくらい?

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難しい現状があるとき、今とは異なる理想を語ることがバカらしく思えたり、冷ややかな目で見られることはよくあることです。もしまだ知識人の役割というものがあるとすれば、そんな冷ややかな目線を軽く跳ね返し、現実的な社会状況とも正しく折り合いをつけながら、理想に近い道がどこにあるかを探り続けることではないかと私は思います。

移民を受け入れることが難しい。ならばどこをどう変えたらその難しさを緩和できるか。社会民主政党が存在せず国家の再分配機能を強化することが難しい。ならばどこをどう変えたらその難しさを緩和できるか。これらの問いに向き合い続けなければ、上野氏と似たような結論から抜け出すことはできません。自分は考え続けるつもりです。

プロフィール

望月優大(もちづきひろき) 

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慶應義塾大学法学部政治学科、東京大学大学院総合文化研究科修士課程修了(ミシェル・フーコーの統治性論/新自由主義論)。経済産業省、Googleなどを経て、現在はIT企業でNPO支援等を担当。関心領域は社会問題、社会政策、政治文化、民主主義など。趣味はカレー、ヒップホップ、山登り。1985年埼玉県生まれ。
Twitter @hirokim21
Facebook hiroki.mochizuki
 

関連過去エントリ

私たちは私たちの(無)関心とどう付き合うか。ムクウェゲ医師と『女を修理する男』上映会の記録。

先日『女を修理する男』という映画の上映会を開催しました。日本国内で難民支援の活動をしている難民支援協会さんとWELgeeさんと一緒に企画したこの上映会、当日は100名ほどの方にお越しいただくことができました。学生、社会人、メディアや大学、NPO関係の方々もいらしていました。

上映会当日までの思い出深い経緯なども含めて、今後のためにも徒然なるままに記録しておこうと思います。

2/2 映画「女を修理する男」上映会+トークショー - 私たちは私たちの(無)関心とどう付き合うか | Peatix

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当日は最初に15分ほど会の経緯や映画の背景情報について簡単にお話し、その後映画を観て、最後に振り返りのトークを行う、という形で進めました。丸々3時間の盛りだくさんイベントです。

いきなり余談ですが、映画を観たあとにこのような形で消化できる時間があると個人的にもとてもいい体験だなと思います。誰かと話したり、誰かの感想を聞いたりしたいじゃないですか、映画のあとって。同じもやもやでも誰かと共有したもやもやはまた違うものになっていたりしますよね。

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上映会をすることになったきっかけについてもお話しました。

昨年10月にこの映画の主役であるデニ・ムクウェゲ医師が日本に来日されていました。私とWELgeeの渡部さんは彼の講演会を聞きに行ってその内容や感想をブログにアップし、難民支援協会の野津さんはHuffington Postによるムクウェゲ医師へのインタビュー記事に関わっていました。

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こちらです。

ムクウェゲ医師はノーベル平和賞の候補とも言われており、コンゴの惨状を世界中に伝えるために各国を回っていました。日本にもそのツアーの途中で立ち寄ったわけですが、期せずして私たちがそれぞれムクウェゲ医師の言葉や活動に感銘を受け、できるだけ多くの人に知ってもらいたいと考えて記事をつくっていたわけです。

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印象的だったのが、どの記事も当時とても多くの方に読まれたということでした。中東での紛争や欧米でのテロに比べて全くと言っていいほど注目されていないという危機感を持ってムクウェゲ医師は世界中を回っていたと思います。

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それが、一人一人がそれぞれの思いでつくったムクウェゲ医師についての記事がとても多くの日本人に読んでもらうことができた、そのことに勇気づけられました。そこで、ムクウェゲ医師のこと、コンゴのことをもっと多くの人に知ってもらおう、ムクウェゲ医師へのリスペクトを次につなごうということで、この映画の上映会を企画しました。

ちなみに野津さんと渡部さんはこういう人たちです。

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さて、私たちが多くの人に観てほしいと思った『女を修理する男』が一体どんな映画かについても少しだけ説明します。 

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ムクウェゲ医師が生まれたブカヴという都市があるコンゴ東部では、長きにわたって大規模かつ筆舌に尽くしがたいほどの性暴力が行われてきました。ムクウェゲ医師はそれを「性的テロリズム」と呼びます。

なぜかというと、彼はコンゴ東部で組織的に行われる性暴力を性欲ではなく、(経済的)インセンティブに基づいた行為だと考えているからです。つまり、スマホなどの電子機器の素材となる鉱物資源(タンタルなど)を支配するために、そうした性暴力が道具として用いられているということです(詳しくは記事を読んでください)。

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このことを知って衝撃を受けない人はいないと思います。ただ、同時にこんなことも思うかもしれません。とはいえ自分に何ができるのかと。

私も思いました。ただ、そのもやもやから目を背けるのがいやだったので、この上映会の副題として「私たちは私たちの(無)関心とどう付き合うか」という言葉を添えてみました。関心と無関心の間、できることとできないこととの間で一人一人がどんな風に考え、行動していくか。そのことを改めて来ていただいた人たちと一緒に考えてみたかったんですね。

遠い国での紛争や暴力、そうした背景のうえに生産される商品、それを知らずに使っている人々、否応なく発生する人間の移動と受入にまつわる摩擦。これらのことを考えてすっきりとした答えが出ることはないでしょう。だからこそこの上映会が「見ないでいようと決め込む」以外のスタンスを見つけるためのヒントになってほしいと思いました。自分にとっても、です。

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最後にトークショーで印象に残った言葉を少しだけ。

一つは、野津さんの言葉。Q&Aのときに会場から「日本はこれから難民を受け入れるべきかどうか、考えを教えてください」という質問がありました。野津さんはこんなふうに答えていました。「難民を受け入れるべきかどうかというよりも、難民の方はすでに来ている」のだと。

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野津さんが働いている難民支援協会は日本に来た難民の方が難民申請をする際に助けを求めることができる命綱のような存在です。日本に来る方の多くは日本語が話せず、難民申請の手続きもわからない。どうやって生活をしていけばいいかもわからない。日々やってくるそうした人たちに対する支援に取り組まれている野津さんだからこその言葉だと思いました。悠長なことは言っていられません。コンゴからの難民も増えているそうです。

もう一つは渡部さんの言葉。

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渡部さんのWELgeeという団体では日本にいる難民と一般の家族とをつなげる「難民ホームステイ」という事業をやっています。とある農家の家族へのホームステイの話が面白かったです。私たちは「難民」という記号というか法的なカテゴリでつい考えてしまいがちだけれど、WELgeeの活動を通じて実際にホームステイをし、家族と一緒の時間を過ごす難民の方一人一人は私たちと同じ人間だと。それを受入先の家族も自然と理解して愛着や関係性が生まれてくるそうです。

これは難民問題に限らず貧困問題でも虐待問題でも同じことだなと思います。私たちは会ったこともない人たちのことをどうしても何某かのカテゴリや括りで考えてしまいがちです。というか、それ自体が問題だとは思わないのですが、実際に会ったり、映画を観たりすることで「一人一人の人間」の具体的な生き様を想像する、その努力も同時に大切だなと改めて感じました。会場にはコンゴからの難民の方が来てくださっていて、話したらスーパーナイスガイでした。

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関係したみんなで最後に撮った写真です。みんな若いのにすごいなと、希望だなと思います。 自分は若いころもう少しひねくれていたのでリスペクトしかないです。上映会のために力を貸してくれた全ての人に感謝します。

それと最後の最後に一番大事なことです。なんとこの『女を修理する男』の短縮版が明日2/7の23時からNHK BS1で放映されるそうです。今後の上映会の予定は今のところないそうなので、ぜひこの機会をお見逃しなく。

もし観れたら、観て感じたことを周りの人と話してみてください。

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プロフィール

望月優大(もちづきひろき) 

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慶應義塾大学法学部政治学科、東京大学大学院総合文化研究科修士課程修了(ミシェル・フーコーの統治性論/新自由主義論)。経済産業省、Googleなどを経て、現在はIT企業でNPO支援等を担当。関心領域は社会問題、社会政策、政治文化、民主主義など。趣味はカレー、ヒップホップ、山登り。1985年埼玉県生まれ。
Twitter @hirokim21
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