本気で一つの始まりに賭けてみた話。スタディクーポンのこと。自分のこと。相談を受けてから、これまで。
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この記事は昨日10/12にFacebookで投稿した内容を再構成したものです。
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プロフィール
望月優大(もちづきひろき)
経済産業省、Googleなどを経て、現在はスマートニュースでNPO支援プログラム《ATLAS Program》のリーダーを務める。関心領域は社会問題、社会政策、政治文化、民主主義など。趣味は旅、カレー、ヒップホップ。BAMPで「旅する啓蒙」連載中。東京大学大学院総合文化研究科修士課程修了(後期フーコーの自由論)。1985年埼玉県生まれ。
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『アメリカを動かす「ホワイト・ワーキング・クラス」という人々』(ジョーン・C・ウィリアムズ)
とても面白く読んだ。著者はアメリカ人全体を所得でざっくり3つに分類する。エリート、ワーキングクラス、貧困層、この3つ。
基本的に彼女が話しているのは階級(class)や階級文化(class culture)のことで、ワーキングクラス(白人が多い)の状況とそれに紐づく一般的な感情や考えを理解しよう、そして共生していく道を探ろうという趣旨になっている。
アメリカを動かす『ホワイト・ワーキング・クラス』という人々 世界に吹き荒れるポピュリズムを支える"真・中間層"の実体
- 作者: ジョーン・C・ウィリアムズ,山田美明,井上大剛
- 出版社/メーカー: 集英社
- 発売日: 2017/08/25
- メディア: 単行本(ソフトカバー)
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言い換えれば、それは貧困層やマイノリティのほうばかりを見て、真ん中の層を真剣に見てこなかったリベラル勢への(自己)批判としての意味合いを帯びる。文中では、著者自身が一流大学の白人の女性教授として、「エリート」に属していることを意識しながら書いていることを示している。
所得の中央値で3つの階級(class)に分類を行っている。
ワーキングクラスの人々が何を大切にし、何に不安を感じ、エリートのどんな生き方を侮蔑し、貧困層のどんな振る舞いに怒っているのか、理解せずに彼らを馬鹿にしたり批判したりしてきたのではないかと、自身も属する(そう分類される)リベラルエリートに対してのそうした問いかけをこの本は行っている。自分たちの「よい文化」を「悪い文化」をもった人々に押し付けようとするな、そういうメッセージとも取れる。
専門職階級にとってもワーキング・クラスにとっても、階級文化の隔たりを埋めるのは難しい。その隔たりを埋めるにはまず、エリートの生活・思考・行動様式を「よい趣味」として認識するのではなく、それも一つの様式でしかないと認識することだ。(62頁)
エリートの潜在的な尊大さ、利他的な振る舞いを身にまといつつわかりやすい弱者以外を敗者として片付けてしまう精神性、そういった構造的な問題のありかを、この本は指し示している。そして、著者がこの状況について感じているのは、それが倫理的に正しくないと同時に民主主義の危機でもあるということだ。
話は単純だ。「大学を卒業していない全国民の三分の二はよい人生を送れない」と誰もが思っていることに、ワーキング・クラスは気づいている。しかもエリートは、他のグループには平等な立場を約束しておきながら、「地方のキリスト教原理主義者は救いようがないほど頑固だ」などと傲慢にも言い放つ。白人のワーキング・クラスが世の中から疎外されていると感じるのも当然だろう。苦しい生活を送っている白人たちは、「政治的公正」への批判を通して、裕福な白人たちを利口ぶっていると攻撃する。こんな状況を見て、それでも何の問題もないと思う人がいるのなら、どうぞこれまでどおりのやり方を続けていただきたい。(220-221頁)
世界を見渡したとき、この危機がアメリカだけの話だとは到底思えなかった。
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望月優大(もちづきひろき)
慶應義塾大学法学部政治学科、
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3つの薬物中毒に侵された街(『ローサは密告された』ブリランテ・メンドーサ)
もしまだ観ていなかったらこの映画を観てほしい。きっと圧倒されるはずだから。
ブリランテ・メンドーサ監督の『ローサは密告された』はフィリピンの日常に深く根付いた麻薬と人々との関わりを描く。登場人物がすべて実在するかのように感じられるほどにリアルだが、フィクション映画だ。
この映画を観ると、マニラの底の底まで一気に連れて行かれる。現地をふらっと訪れてもこの深さまで入れるはずもないし入るべきでもない。リアルなフィクション映画にしかなしえないことが、2時間弱の映像のあちこちに埋め込まれている。
昨年のドゥテルテ大統領の就任によって、フィリピンの麻薬事情はより多くの人の知るところとなった。調べてみると彼の「麻薬撲滅戦争」で昨日も多くの死者が出たようだ。
フィリピン警察の麻薬摘発で32人死亡 1日で過去最多 - BBCニュース
この映画の構想自体は氏の大統領就任の前にあり、ドゥテルテを人々が呼び寄せる理由となった現実の一旦がここに映っていると捉えることもできるだろう。
・・・・・
劇中「アイス」と呼ばれる覚せい剤がこの映画の主役である。
貧しいスラムの一角でキヨスクのような店を営む主人公のローサは夫のネストールと覚せい剤を販売するビジネスに手を染めている。彼らは販売ルートの末端の一つであり、定期的にバイクで訪れるジャマールからアイスを仕入れ、街の人々に売っている。彼らもその一部を自ら利用している。街を歩くローサにどこからともなく「アイスはないか」という声が聞こえてくる。
彼らには4人の子どもがいる。男と女が2人ずつ。通りに面した店の奥のスペースと2階で暮らしている。湿気がものすごく、洗ったTシャツはなかなか乾かない。夕食のために近くの屋台で焼き魚などを買う。同じ屋台で小分けのビニール袋に詰められたご飯を5つ大鍋から取り出して買う。それを持ち帰ってテーブルに広げると家族が集まる。
血のつながりはないものの長い付き合いがありそうなボンボンという名の青年が家に入ってくる。薬が切れたのか、ローサに対して執拗にアイスをねだる。ローサは最初は断るが、何度もねだり続けるボンボンに根負けして棚の奥に隠してあるアイスを一つだけ渡す。渡して帰るかと思いきや追加で小遣いまでねだられる。ローサはポケットから小銭を渡す。
後になってわかるのだが、彼は麻薬所持で警察につかまる。そして、警察から釈放されるため、警察にローサを売る。雨の夜、警察が大挙してローサの店を訪れる。
・・・・・
ここまでが、この映画の舞台設定である。逮捕されたローサたちは、警察署の奥にある部屋でほかの売人の密告や高額の現金を要求される。そして、親たちの釈放を求める子どもたちが金策のために町中を走り回るのだが、その詳細はぜひ映画を観てほしい。
手持ちカメラの躍動的な映像で一つの時間をいくつもの異なる場所から切り取りながら、ひどく日常的で、それゆえとても力強いラストシーンにいたるまで一直線につながっていく。ラストのあと、自分が震えていることがわかる。
・・・・・
最後にもう少し。なぜこの街では人々が麻薬をやめることができないのかということについて言葉を継いでおきたい。
この街には3つの薬物中毒がある。快楽への中毒、金への中毒、腐敗への中毒だ。
快楽への中毒は一番わかりやすい。アイスの効き目に対する中毒ということである。ローサからアイスを買っているスラムの庶民がこの中毒に侵されている。
金への中毒は、アイスの売上に生活が依存するということである。この中毒がスラムでアイスを売るローサのような末端の売人たちを蝕んでいく。純粋な貧困状況のなかで、ほかの確固たる生活手段が確保できなければ、薬物販売から得られる利益を簡単に捨て去ることができない。
そして、この街の最も深いレイヤーを蝕んでいるのが腐敗への中毒だ。それは、違法な薬物取引を取り締まるはずの警察組織そのものが深く侵されている中毒である。彼らは、密室での暴力を背景に、逮捕した売人からドラッグの売上である現金とドラッグそのものを押収する。加えて、警察署からの釈放と引き換えにさらなる現金を用意させる。
このようなプロセスののちに、腐敗した警察組織は売人たちから奪った現金やドラッグを私的な仲間内の論理で分配する。現金を分け合うだけでなく、売人を通じて押収した薬物を今一度市場に還流させ、その取引からさらなる現金を得る。こうした腐敗のルーティンから得られるブラックマネーに警察組織が芯から蝕まれている。アイスは再び人々の元へと戻っていく。
この映画を観てわかることは、末端の売人や薬物利用者をどれだけ殺しても根本的な解決には決してならないということだ。最も深いレイヤーにある暴力の支配、警察機構の腐敗、法の支配からの逸脱に手を入れない限り、蔓延する貧困状況を背景に薬物への依存は再生産され続けるのだろう。
街の構造そのものが腐敗への中毒を頂点とする薬物中毒に侵されている。密告も、暴力も、すべてその一部としてある。
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望月優大(もちづきひろき)
慶應義塾大学法学部政治学科、
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私は植松のように考えない。他人を不幸にしたからと言って殺されて良い人間などいない。
今日、7月26日で相模原障害者施設殺傷事件から丸1年になる。
障害者「幸せ奪う存在」=トランプ氏演説契機に-手紙で植松被告・相模原施設襲撃:時事ドットコム
最近になって植松聖被告からマスコミ各社あてに手紙が届いたようだ。事件から1年というタイミングを意識したのだろう。上記記事よりそれぞれ引用する。
時事
植松被告は手紙の冒頭、「不幸がまん延している世界を変えることができればと考えました」と記した。重度・重複障害者を「人の幸せを奪い、不幸をばらまく存在」だと主張し、「面倒な世話に追われる人はたくさんいる」「命を無条件で救うことが人の幸せを増やすとは考えられない」と訴えた。
安楽死の対象の判断基準として、「意思疎通が取れる」ことを挙げた。植松被告は襲撃時、居合わせた職員を連れ回して「この入所者は話せるのか」と聞きだそうとしていたことが分かっており、障害の程度を確認し、殺害するかどうかを決めていた可能性がある。
日テレ
■「私は意思疎通がとれない人間を安楽死させるべきだと考えております」「重度・重複障害者を養うと莫大なお金と時間が奪われます」
■「人の心を失っている人間を私は心失者と呼びます」「最低限度の自立ができない人間を支援することは自然の法則に反する行為です」
■「私は支援をする中で嫌な思いをしたことはありますが、それが仕事でしたので大した負担ではございません。しかし、3年間勤務することで、彼らが不幸の元である確信を持つことができました」
■「責任能力の無い人間は、罪を償うことはできません。しかし、それは罪が軽くなる理由になるはずもなく、心の無い者は即死刑にすべきだと考えております。」
人の考えは簡単には変わらない。
「意思疎通がとれない人間」は「不幸の元」であり、そうであることは彼らが生得的に犯した「罪」であり、加えて彼らは「責任能力」をもたないがゆえにその罪を「償う」ことができず、それゆえ彼らは「即死刑にすべき」だ、植松はいまもそう考えている。
そして、植松はその死刑を「安楽死の法制化」という形で公的に承認することを求め、その法制化がなされる前に私刑という形をとって彼が罪人だとみなす人々を殺害した。彼は自らの振る舞い、自らの行いをそう理解している。
必要だと思うのであえて確認しておくが、植松は当時もいまも確信犯だ。
「社会的に殺されて然るべき人とそうでない人」の境界線を揺るがしたい。「意思疎通」の有無で線を引き、あちら側に認定された人の命が奪われることを公的に承認したい、そう彼は欲望しているのだ。
彼に対して、そして彼が抱いた欲望に対して、私が言っておくべきだと考えることはそれほど多くはない。
私は植松のように考えない。
他人を不幸にしたからと言って殺されて良い人間などいない。人の生き死は他人に対する貢献や迷惑の多寡によって決められてよいものでは断じてない。
誤解のないように書いておくが、私は障害をもった人間が他人を幸せにするか不幸にするか、そんな答えも意味もない論点に入り込むつもりはまったくない。
どんな人間でも、障害をもっていてもいなくても、人を不幸にする、人に迷惑をかける、生きていくために金がかかる、他人の時間を奪う、そんな理由でその生存の停止を、その生命の殺害を公的に認められることなどあって良いはずがない。
私が言いたいのは単にその程度のことである。
そして、もしこの社会に私のように考える人が数多くいるとすれば、それは私たちが、私たち自身が、そうであることを選んできたからだ。集合的に、一人一人が、その選択をつないできたのである。だからこそ、今の社会が、今の社会のように、あるのだ。
このことこそがもっとも大切なことである。守りたいルール、モラルがあるのであれば、私たちはそのルールやモラルと一体であることを自ら選び続けなければならない。植松のように考えないのであれば、そのことを、私たち自身が不断に選び続けなければいけないのである。
事件直後、ネット上でさまざまな反応を目にしたときのザラザラとした感覚を私はいまも鮮明に覚えている。人の考えは簡単には変わらない。だから、短くてもはっきりと、自分の考えをここに書いておきたかった。
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望月優大(もちづきひろき)
慶應義塾大学法学部政治学科、
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「投票率がとても低い」ということについて
こちらの記事を読んで。
マクロン新党の勝利の意味 | 鈴木一人 | コラム | ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト
6月に行われたフランス国民議会選挙の最大の特徴は投票率の低さであった。投票率は42.6%で、1958年に始まったフランス第五共和政で最低の投票率。左右既存政党に対する信頼感が低下した結果、今年4~5月に行われた個人を選ぶ大統領選ではマクロン、ルペン、メランションという政治姿勢を異にする3人のポピュリストたちが躍進した(投票率は1回目が77%、2回目が65%)。しかし、政党を選ぶ議会選においては、投票に行く人の絶対数自体が前回の議会選と比較して大きく減少してしまったのである。
今回の国民議会選挙でもっとも大きな特徴というのは、やはり投票率の低さ(フランスでは棄権率の高さと表現される)であった。約42.6%という、第五共和制が発足してから最低の投票率であり、これまでの最低であった2012年の国民議会選挙の55.4%を下回り、50%を切るという大幅な落ち込みである。
上記記事中でも紹介されているこちらのグラフに明らかなように、大統領選から議会選にかけてとくに得票数を落としたのは左右のポピュリスト政党であった。すなわちルペンの「国民戦線」とメランションの「不屈のフランス」である。それぞれグラフの左端から2番目と4番目に位置している。
(出典 Twitter @mathieugallard )
グラフからは、両党ともに大統領選(青のバー)の半分以下の得票数しか議会選(オレンジのバー)では得ることができなかったということが見て取れる。
ここから見えてくるのは、大統領選でルペンやメランションという「個人」に投票した人々の多くは、議会選で「国民戦線」や「不屈のフランス」といった「政党」には投票しなかったというシンプルな事実である。そして、この現象が何を意味しているかと言えば、フランスの有権者のなかで、「ここに投票したいと思える政党がない」と感じている人の割合が増えているということだろう。
それは伝統的な政党による組織的な集票力が落ちているということの証左であり、同時に新興政党の組織的な集票力がまだ十分でないということの現れでもあるだろう。大統領選であれば、空中戦的にメディアをうまく活用することで、特定の個人に対する得票を集める力が生まれやすい。しかし、多数の候補が同時に出馬する議会選ではそうした力学も働きづらくなる。
周知の通り、日本の衆院選における投票率も同様の状況にある。以下の黒線が全年代合計の投票率であり、色付きの線は年代別の投票率だ。浮き渋みはあれど、どの年代でも低下のトレンドにあると言うことはできるだろう。とくに若年層の投票率の低さは際立っている。
(出典:総務省)
こうした数値を見るにあたって気をつけるべきなのは、投票率が低い、あるいは低下しているということを、人々の政治一般に対する意識の高低に還元して理解しようとしてはならないということだ。
なぜなら、たとえある人の政治意識がとても高かったとしても、提示された選択肢の中に自らを認めることができなければ、「どこにも投票しない」という行動にいたることは多いにありえるからである。むしろ、そのような状況にいたったときこそ、人は議会政治一般に対する大きな失望やジレンマを感じるのではないだろうか。
投票率が徐々にゼロに近づいていくということは、人々が非政治化していくということと同義ではない。あるときまで潜っていた人々の政治的意思や不満が何かの拍子に表舞台に流れ込んでくるということは大いにあり得るし、そうすること自体を目的とする政治的キャンペーンによって、その社会における政治的対立が必要以上に先鋭化していくということもあるいはありえるのではないかと思う。
投票率が42.6%しかないということは、政治的権利を持つ人たちの半分以上がその権利を行使しなかったということを意味する。「民主主義」という大きな理念や建前自体が残る以上、そうした理念を公式の制度が吸収する力を失っていくということの意味を私たちは改めて深く考えておく必要があるのではないだろうか。放置すればするだけ、あとで大きなしっぺ返しを食らうことになるような気がしてならない。
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『人生の全てがゼロになる「クリティカルポイント」で、私は難民支援協会に出会った。』
昨日6月20日は「世界難民の日」でした。普段から応援している難民支援協会(JAR = Japan Association for Refugees ※読み方は「ジャー」)というNPOのスペシャルイベントがあり、会場提供のサポートを行いました。
Refugee Talk-難民を学ぶ夕べ*世界難民の日特別版*|講座・イベント − 認定NPO法人 難民支援協会 / Japan Association for Refugees
イベントではエチオピアから日本に逃れてきた難民のアブドゥさんという方が実際にいらっしゃり、エチオピアと日本での自らの体験についてお話を聴かせてくださいました。とても多くの学びがあるお話だったのでその内容をぜひ紹介させてください。(完全な書き起こしではなく、内容を損ねない範囲で一部再構成しています。)
登場人物
- アブドゥさん
エチオピアから2014年に日本に逃げてきた難民の方。エチオピア最大民族のオロモ民族の男性。37歳。元々は科学の先生だったが、父親が反政府運動を行っていたため家族ごと政府から狙われ国を出ることを決意。日本での2年半の難民申請期間を経て2016年に難民認定。現在は八王子の工場で働きながら上智大学に通っている。エチオピアにまだ6人の家族(母、妻、2人の息子、2人の娘)を残している。イスラム教徒。 - 野津さん
JARの広報担当。アブドゥさんのお話の聞き手役。解説役。野津さんとは以前一緒にイベントを企画したこともあります。(参照→ 私たちは私たちの(無)関心とどう付き合うか。ムクウェゲ医師と『女を修理する男』上映会の記録。 - HIROKIM BLOG / 望月優大の日記 )
野津さんからのイントロ。エチオピアについて。
野津さん 昨年のリオ五輪男子マラソン銀メダルのリレサ選手のゴールシーンを覚えているでしょうか。彼はエチオピアのオロモ民族の出身で、オロモ民族に対する迫害を国際社会に訴えるために抗議のポーズでゴールをしました。
今日のゲストのアブドゥさんもオロモ民族の方です。エチオピアでは人口の4割を占める最大民族であるオロモ民族ではなく、数の上では少ないティグレ民族が政治的な力を持ってきたという歴史があります。
とくに、2015年11月に政府が「首都のアディスアベバを拡大する」という方
今日のゲストのアブドゥさんはイスラム教徒なのですが、現在はラマダンの期間で、早朝陽がのぼる前に少し食事をされ、日中は水もまったく飲まずに、先ほど少し水を飲まれてからこのイベントに臨まれています(※イベントは19:30からでした)。
それでは、早速アブドゥさんをお迎えしましょう。
エチオピア時代の話。もうエチオピアには戻らないという決意。
アブドゥさん 1992年から父が「オロモ人民民主機構」に参加していました。そのため、家族も政府からターゲットにされていました。結果として、
私のエチオピアでの仕事は科学の先生で、JICAのプロジェクトにも関わっていました。
日本に来てからの話。全てを失って「クリティカルポイント」まで落ちていった。
野津さん アブドゥさんはJICAのプログラムで来日しました。その後ホームレスになり、JARの支援で難民申請のプロセスに入りました。その後JARによる就労支援の結果仕事も見つかりました。難民申請も2年半に及ぶプロセスを経て最終的に通り、いまにいたっています。
アブドゥさん U字型の放物線のグラフを思い浮かべてください。左上から中央下を通って右上に至る放物線です。一番底の点がx軸とy軸の両方がゼロの地点です。
エチオピアにいたころ、私には仕事がありました。家もありました。子どもがいて、家族がいて、友達や同僚もいました。日本に来て、私はそのすべてを失いました。お金がない、家もない、食べ物もなく、友達もいない。そして、自分自身への自信も失っていました。
この全てを失った地点、この地点がターニングポイント、本当にクリティカルなポイントでした。自らへの自信を失い、人生のすべてがゼロに向かって落ちていきました。
そのころ(※ホームレスをしていたころ)、私はわずかなお金を持っていました。本当に一文無しだったわけではありません。しかも、3ヶ月間有効な合法のビザも持っていました。でも、自信を失っていたんです。
駅で駅員を見るといつも、自分を捕まえにきた警官だと思って怯えていました。どの駅でもそうです。JICAが自分を捕まえるために送り込んだ警官だとさえ思っていたのです。それぐらい私は自信を失っていました。ものすごいフラストレーションでした。本当にタフな時期だったと思います。
私は何かを食べられる場所として吉野家しか知りませんでした。そこにばかり行っていたのです。しかし、吉野家に行くには交番の脇を通らなければなりませんでした。だから、どんなに空腹でも、吉野家に行くことすらためらっていたのです。
すべてがゼロに向かっていきました。持っていたすべてを失っていました。何かを
そして、ある日、
JARは最初に私に食料や泊まる場所(シェルター)、そしてお金のサポートをしてくれました。それらが私の人生を変えました。ほんとうにJARに感謝したい。そして、今もここにいる人たち、JARを支援する人たちに感謝したいと思います。臨界点で出会ったJARこそが私を救ってくれたのです。
JARに出会ったあとの話。難民申請のプロセスに入る。
アブドゥさん JARは難民申請を含むさまざまなことについてのガイダンスをくれました。どこにどうやって行くかを導いてくれました。
私は
野津さん 補足します。難民申請の最初に記入が必要なフォームは多言語に対応しています。しかし、自分が「難民」であることを証明する資料、すなわち自国に帰れないということの証拠書類は日本語でないと見てもらえないことが多く、その書類を日本語にするための翻訳作業が非常に高いハードルになっています。(参考記事:日本の難民認定はなぜ少ないか?-制度面の課題から|活動レポート|難民支援協会の活動 − 認定NPO法人 難民支援協会 / Japan Association for Refugees )
アブドゥさん JARから弁護士を紹介してもらって難民申請のプロセスを進めました。証拠書類をアムハラ語からまず英語に翻訳し、その
難民に関してのレポートを読んで前年の難民認可が6人だと知ったときのことを覚えています。入国管理局でたくさんの人が申請していたのを知っていましたから、まさか
野津さん 外資系の弁護士事務所を中心に、JARとして提携している事務所が11程度あります。外資系の事務所にはプロボノ文化があり、
アブドゥさん 難民申請をしたあと、政府から6ヶ月のビザが交付されました。このビザでは働くことはできません。政府の難民事業本部(RHQ =Refugee Head Quarter)から家賃や生活費のサポートを受けました。
私は葛飾区に住んでいました。保護費の上限の範囲内の家賃で住めるところを紹介してもらいました。
野津さん アブドゥさんは難民申請前に3ヶ月のビザを持っていましたが、難民申請後に特定活動6ヶ月というビザに切り替わりました。これによって政府から保護費として家賃や生活費のサポートを受け取ることができるようになります。しかし保護の範囲は狭く、家賃は上限4万円、生活費は成人男性で1日1500円です。これで光熱費も含めてすべての費用をやりくりする必要があります。就労はできません。
八王子にある工場で働き始める。キーワードはダイバーシティ。
アブドゥさん 難民申請が受理されるまでのあいだ、
日本語については、まず市役所でボランティアの方から学びました。そのあと会社でもサポートしてもらいました。働きながら日本語を学びました。
家については、引っ越しに必要な初期費用が手元にありませんでした。鍵の交換などに必要な費用です。最初の1ヶ月は会社が自社のアパートに住まわせてくれました。働き始めて1ヶ月がたち、最初の給料が出てからは家賃を払うことができるようになりました。
人は生き延びてはじめて未来について考えることができるようになります。私は何をするべきかチェックリストにしていきました。そして、車の免許をとること、そして大学に行くことを考えるようになりました。上智大学の地球環境法学科を志望し、最終的に学費の半分を奨学金としていただく形で合格することができました(※詳細後述)。
会社では、鋳造、仕上げ、検査、営業といった仕事があるのですが、私は最初仕上げから始めました。
野津さん アブドゥさんが勤める栄鋳造所は、JARとしての就労支援活動における最初のパートナー企業です。鈴木社長は自社の生き残りのためには海外展開が必須と考えました。しかし、
そこで、
(※鈴木社長の記事をいくつか見つけました。ぜひ一度お話伺ってみたいです。)
アブドゥさん 韓国、イラン、カメルーン、エジプト、エチオピア、そして日本。違う文化の人たちが集まって、同じ目標に向かって仕事をする。これはとても大変なことです。
一つ例を挙げます。いま私の目の前にリモコンがありますね。これと同じことが工場であったとします。このリモコンを使うのに黙って使ってもよいのか、それとも誰かに聴いてからでなくてはいけないのか。これが文化によって全然違います。文化の違いです。こういったことがたくさんあります。お互いを理解する必要があります。
2年半かかって難民認定を受ける。その後。
アブドゥさん 難民認定を受けるまでに全部で2年半かかりました。上智大学には願書を出して一度退けられていたのですが、6ヶ月しかビザがないのにプログラムが2年あったということが理由だったのかもしれません。
「失敗は成功のもと」ということわざもあります。あきらめなくなかったので
また、難民認定を受けたことで、難民事業本部が23区内でやっている日本語教育のクラスに出ること
野津さん 認定を受けた人のみ受講可能な日本語の授業で、半年間平日に毎日開催されます。
アブドゥさん 学校は23区内にあり、会社は八王子にありました。どちらをとるかの選択を迫られたのです。鈴木社長に相談したところ、「その期間の給料は全額払うから勉強してきていい」と言ってくれました。本当に感謝しています。鈴木社長、日本語の先生、RHQ、JARに感謝しています。
最後に。難民の存在はその国の症状だと思ってほしい。そして、根本原因の解決を。
アブドゥさん 最後にメッセージがあります。頭痛はさまざまな病気の症状(symptom)の一つです。その原因は風邪かもしれないしほかの病気かもしれません。そして、痛み止めを飲むことによっていっときの解放を得ることができます。
いま、世界中で難民の数が増えている、そして日本でも難民申請者の数が増えている、そのことを「様々な国で起きている問題の症状」だと考えてみてください。その国の政治や民主主義に問題がある、その国に良い統治(good governance)がない、そうした問題の症状だと考えてみてください。
私は日本に来て多くの方に支えられ、それによって痛み止めをもらったと思っています。しかしまだ根源的な痛みが残っているのです。家族はまだエチオピアにいます。根本原因(root cause)について考えましょう。根本原因を解決しなければいけないのです。
野津さん 補足です。アブドゥさんの6人の家族はまだエチオピアにいます。アブドゥさんは1人で逃れています。今の日本の制度だと、難民認定を受けるにいたるまで、自分の家族を呼び寄せるというプロセス自体を開始することができません。
根本原因と症状。私たちにできることは。
ここからは望月の簡単な感想です。アブドゥさんの言う通り、難民問題は根本原因(root cause)の解決と実際に発生している難民の方の支援(症状への対応)の両面で取り組む必要があります。
何度かこのブログで取り上げてきたコンゴの性暴力と難民発生の問題も同じ構造です。
難民問題には両方の側面が存在することを理解し、自分たちにできることを模索していければと思います。一つの方法はJARのように日本国内で難民支援を行っている団体を応援するということです。彼らは現場の緊急支援から政策提言まで幅広く行っています。私自身、そうした思いからイベントへの協力などを通じて支援を行ってきました。
現在JARはより多くの難民の方が安心して過ごすことのできる規模の事務所への移転プロジェクトを進めており、寄付を募っています。私も現在の事務所に何度かお邪魔したことがあるのですが、かなり手狭になっており、パンク状態というのもよくわかります。一人でも多くの方がクリティカルポイントから抜け出すためにとても大切なプロジェクトだと思います。こちらに寄付するのも良いと思います。
私も少額寄付をさせていただきました。これからも自分にできることを模索していければと思っていますし、情報のインプットと様々な形での発信を続けていきたいと考えています。
プロフィール
望月優大(もちづきひろき)
慶應義塾大学法学部政治学科、
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書評『分解するイギリス』(近藤康史)
イギリス政治の専門家によるイギリス政治入門の書。本質的な内容がわかりやすくまとめられており、大変勉強になった。イギリス政治の理解に役立つだけでなく、長らくイギリスを目標に政治改革を行ってきた日本政治を考えるうえでも必読の一冊だ。なぜなら、著者はその目標たるイギリスモデルの変容を論じているからである。
イギリスの民主主義は「ウェストミンスター・モデル」とも言われ、議会制民主主義の一つの範型とされてきた。本書では、そのモデルが「複数の制度的パーツ」の組み合わさりによって構成されていること、そして近年になって一つ一つのパーツに変化が起こり、総体としてのモデルが大きく変容していることが論じられている。
複数の制度的パーツとして以下6つの制度的特徴が挙げられている。
- 議会主権
- 小選挙区制
- 二大政党制
- 政党の一体性
- 執政優位
- 単一国家
日本と同様の議院内閣制を取るイギリスでは、議会の多数派が首相を選出し、執政府たる内閣をつくる。選挙制度は小選挙区制であり、一つの選挙区で一人だけが選出されるので大政党に有利である。これらの制度を背景に、長らく保守党と労働党という二大政党のどちらかが議会の半数以上を占める状況が続き、どちらが優位に立つかという変化(=政権交代)は起これども、全体としては安定した政治状況が維持されてきた。
加えて、両党ともに党内の一体性を生み出すための規律のシステムを備えており、選挙の際には党としてのマニフェストが有権者に示される。したがって、有権者としては2つの選択肢から1つを選ぶことで、議会の多数派、首相、内閣を直列で選択するというシンプルな構造になっている。ちなみに、二院制ではあるが、下院が上院に優越していることで、両院間の多数派がねじれることによる停滞も起きづらい。
これらの要素の重なり合いによって、国政選挙で多数を獲得した政党が、次の選挙までの間は安定的な権力を維持することができる。これを「選挙独裁」と称する見方もあるが、権力を持つ与党の立場にあっても、常に野党との競争関係に晒されることによって一定のガバナンスが働いている。これが、ウェスト・ミンスターモデルと呼ばれるイギリス政治のあり方である。
繰り返しになるが、本書で論じられていることは、このウェストミンスター・モデルのあり方に近年大きな変容が生じているということである。すべてをこのブログで説明することはできないが、根本的であると感じた点について簡単に記しておく。それは、議席率と得票率との乖離がどんどん広がっているということであり、それによって著者が「民意の漏れ」と呼ぶ現象がどんどん大きくなっているということだ。
簡単に言うと、戦後すぐの時代は二大政党への得票が全体に占める割合が非常に高く、その他の政党が得る得票がとても少なかった(=二大政党合計での得票率が高いということ)。さらに、大政党に有利な選挙制度である小選挙区制が採用されていることによって、実際の議席の配分については二大政党が占める割合が得票率よりもさらに高く推移してきた(=二大政党合計での議席率が得票率よりもさらに高いということ)。
それに対して近年になって起きていることは、まず、二大政党合計での得票率がどんどん下がっているということだ。近年は70%を切るところまで低下している。これは、自由民主党やイギリス独立党(UKIP)、スコットランド国民党(SNP)といった政党への支持が伸びた結果である。得票率という観点からはすでに二大政党制から多党制に近い状況に変わってきているということがわかる。
しかし、にもかかわらず、小選挙区制の特性がゆえに、議席率についてはまだ二大政党で85%以上を占めている(2015年)。これでも戦後すぐよりはかなり低下しているが、得票率ほどには下がっていない。その意味ではまだ二大政党制としての特徴を強く残しているとも取れる。
こうした状況が何を意味するか。保守党であれ、労働党であれ、議会で(絶対)多数の基盤を持っている政党であったとしても、人々から得ている得票の割合は年々減少しているということ、したがってそれと連動するように、「ときの政権に代表されていないと感じる人々」の割合がどんどん増えているということである。繰り返しになるが、著者はこの現象を「民意の漏れ」と呼ぶ。
そして、この構造が事実として示されたのがイギリスのEU離脱をめぐる昨年6月の国民投票であった。これが著者の見立てである。EU離脱への支持は政党を超えて広がっていた。よく知られているように、保守党のキャメロン首相はEU離脱に反対であったが、同じ保守党内にEU懐疑派と呼ばれる勢力を抱えていた。労働党支持者にもEU離脱を支持するものが一定数いた。
そして、EU離脱を強く訴えてきたナイジェル・ファラージ率いるイギリス独立党(UKIP)は、これまで小選挙区制の壁に阻まれて議会内では大きな勢力たり得なかったものの、実は得票率という意味ではすでに10%以上を獲得する勢力に育っていた(=第三政党以下における得票率に比して低い議席率)。そして、比例代表制をとるEU議会選挙では、2014年にUKIPはイギリスでの最大政党にまでなっていたのである。
ウェストミンスター議会では十分に代表されてこなかったUKIPの支持者たちは、国民投票でその存在感をおおいに示すことになった。そして、二大政党の支持者たちの多くも、政党を横断する形で、EU離脱を支持する一票を投じたのである。
そもそも、議会主権を錦の御旗として掲げるイギリス政治において、議会外の国民投票を呼び出さなければならないということ自体が多くを物語っている。それは、EU離脱という特定イシューに関する各政党内の凝集力が失われているということの結果であるし、人々の立場と二大政党の立場のあいだでズレが大きくなっているということの証でもあるわけだ。
いまの政府が自分の意見を代表していない、そして二大政党のどちらが政権を担っても自分の意見が代表されたとは感じられない。そう考える人々が増えている。彼らは二大政党以外の政党に投票する。あるいは投票そのものを放棄したり、議会外のデモ活動に積極的に参加したりする。そうした状況がイギリスで発生している。
そして、その状況を前提に、ときの政権が党内対立を押さえ込み、人々の支持を調達するために、特定のイシューについての意思を国民に直接問う国民投票や住民投票が呼び出される。当然、そこでは議会は迂回されることになる。同じ「民主主義」でも、議会主権と国民投票は全く異なるものだ。
EU離脱の国民投票、スコットランド独立に関する住民投票、どちらも同じ構造である。民意を代表しているとされる議会で決着がつけられないイシューの出現によって、議会主権を中心に据えるイギリス民主主義のあり方そのものが変容を迫られている。
こうした現象は民主主義という政治制度にまつわる根源的な問題が噴出していることの現われであるだろう。そして、形は異なれど、イギリス以外の多くの国でもこうした「民意の漏れ」という現象が現在進行系で起きているのではないかと考えさせられる。もちろん、日本も例外ではない。
近藤氏のその他の著作も手に取ってみたい。
プロフィール
望月優大(もちづきひろき)
慶應義塾大学法学部政治学科、
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