望月優大のブログ

見えているものを見えるようにする。

パナマ文書問題を見る視点

パナマ文書問題は、話の前提としてタックスヘイブン問題の構造がわからないと理解できないと思うので簡単にまとめる。基本的な知識は志賀櫻『タックス・ヘイブン』を読むことによって得られる。

タックスヘイブン問題は、国家権力の徴税能力の限界という問題と言い換えることができる。「公法は水際で止まる」という言葉にある通り、ある国の法律に則って行使される徴税権は、他国での経済活動に対して直接執行することが基本的にできない。この大前提のもとに、タックスヘイブン問題を理解する必要がある。

タックスヘイブンとは、通常の国や地域に比べて、税率が著しく低い国や地域のことだ。また、金融取引に関する情報を現地の政府がきちんと認識していなかったり、認識していたとしても厳重に秘密にしていたりするという特徴もある。違法な可能性のある資金の流れを把握し、取り締まるためには、タックスヘイブンの政府から関連する情報をもらえれば良さそうなものだが、その情報は秘匿されていたり、そもそも把握されていなかったりして、容易に入手できないという構造がある。

有名なタックスヘイブンとして、ケイマン諸島や英領バージン諸島(BVI)などのカリブ海の島々、スイス、オーストリア、リヒテンシュタインなどのヨーロッパの小国、イギリス王室領のマン島やガーンジー島、香港やシンガポールなどがある。そしてこれらの小国だけでなく、国際金融の中心地であるロンドンのシティやマンハッタンもタックスヘイブンと同じような機能をもっている。「公法は水際で止まる」わけだから、これらのタックスヘイブンに資金をうまく移すことができれば、その資金に対する本国での課税を免れることができる。

カリブ海の小国などは、元々産業がほとんどないので、こうした形で世界中から資金を集めることによって、そのいくばくかを手に入れることへの強いインセンティブをもつ。ロンドンやマンハッタンでは、タックスヘイブンとほぼ同等の機能をもつオフショア市場での資金のやり取りを通じて、多額の手数料がそこに落ちる仕組みになっている。

ここで注意してほしいのは、現在の各国の法律をもとにしたときに、タックスヘイブンを用いた資金のやり取りすべてが違法であるわけではない、ということである。何が合法で何が違法かはわかりづらく、各国の法律によっても異なる。政府側が意図していない法の抜け穴が空いている場合もある(ループホールという)。明確に違法であれば「脱税」、その逆に明確に適法であれば「節税」と呼べるが、その間にグレーゾーンのような形で、どちらとも言い難い「租税回避」という領域が広がっている。

パナマ文書問題を考えるとき、アイルランドの首相とか、メッシとか、プーチンの側近とか、文書に名前があったとされるような個別の取引が違法であるか合法であるかということは、もちろん重要であるものの、タックスヘイブン問題をより構造的に捉えるためには別の視点も必要だ。個別の取引について、合法という判断が下されればOK、違法という判断が下されればNO、そういう単純な話ではない。

クリアにしておきたい。最初に書いた通り、タックスヘイブン問題は国家権力の徴税能力の限界という問題と言い換えることができる。経済のグローバル化を背景として、たくさんのお金を持っている富裕層からお金を集める政府の力がどんどん弱くなっていることが、問題の核心にある。2つの意味で問題である。

まず、タックスヘイブンを利用した租税回避が可能なのは、一部の富裕層及び企業に限られるため、公正ではない。極端な話、富裕層でも貧困層でも、誰でも合法的に租税回避ができたとすれば、それによって福祉国家を維持することは不可能になるだろうが、公正ではないとは言えないかもしれない。しかし、現実的には、専門家を雇い、高度な金融スキームを用いて資金をうまく移動させることができるのは、ごく一部の富裕層に限られる。

次に、現代の福祉国家は財政赤字に苦しんでおり、充実した社会保障を提供し続けるための潤沢なお金が手元にない。現実的には、財政赤字を放置することも、社会保障を一気にやめてしまうこともできないから、毎年国債を発行して将来世代に負担を付け回すとともに、取りっぱぐれる可能性の低い消費税を上げていく。要は取りやすいところから取るわけだが、取りやすいところというのが富裕層ではなく、中所得、低所得の一般的な人々になってしまう構造がある。社会のなかでの格差を減らすための社会保障であるはずなのに、その財源調達を逆進的な消費税に頼るという矛盾が起きているとも言える。

さて、現実的な解決策を考えるとはたと考え込んでしまうのがこの問題の難しいところだ。タックスヘイブンに対しては、OECDやG20などが名指しで圧力をかけているが、法的な拘束力はないので、いきなりタックスヘイブンがなくなることはない。また、各国の法的な対応として、タックスヘイブン対策税制や移転価格税制という法技術が開発され、用いられているが、すべての取引を適切に捕捉できているわけではなさそうだ。

タックスヘイブン問題は一国だけで解決できる問題ではない。ここを勘違いすると、よくわからない政府批判や国内メディアの批判をやることになる。政府の無能力が問題なのであって、できるくせにやっていないことが問題なのではない。ある国のなかで生み出された富の一部を吸収して再分配するという近代国家の資金環流モデルそのものに穴が空いてしまっている。その穴は国家の外側につながっていて、外側の世界は自分の思い通りになるわけではない。

構造としては、多国籍企業が途上国でたびたび引き起こす労働問題や環境問題に似ていなくもない。そうした問題について理解している人ならば、背後に途上国政府が問題を容認するインセンティブが働いていることがよくわかるはずだ。倫理的に容認できないように感じられることに対して、それを適切に取り締まるための法律も権力も国際社会には今のところ存在しないのである。

ピケティの弟子のズックマンは、『失われた国家の富』のなかで、タックスヘイブン問題への対策として、グローバルな金融資産台帳の作成と、それに基づくIMFによる資産課税(源泉徴収課税)を提案している。多国籍企業に対しては、それらが世界全体で得た利益を合算してグローバルに法人税を課すことを提案している。

もちろん、こうした提案はすぐに実現可能なものではないだろう。しかし、社会保障を中心に据えた福祉国家体制を放棄したくなければ、誰からどのように税を取ることにするか、そしてそのルールをどのように実現するか、それらを具体的に検討しなければならない。世界的な民主主義を担保するための具体的な制度は脆弱だが、結局そうしたグローバルな構造に潜む問題から、私たちの暮らしは大きな影響を受けている。

保育園問題も介護問題も、結局は財源の問題に行き着く。財政赤字や消費増税という現象の背景には、こうした国家の徴税能力の問題があるということは、理解しておいてよい事だと思う。

(4/12 09:00追記 後編書きました↓)

プロフィール

望月優大(もちづきひろき)

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慶應義塾大学法学部政治学科、東京大学大学院総合文化研究科修士課程修了(ミシェル・フーコーの統治性論/新自由主義論)。経済産業省、Googleなどを経て、現在はIT企業でNPO支援等を担当。関心領域は社会問題、社会政策、政治文化、民主主義など。趣味はカレー、ヒップホップ、山登り。1985年埼玉県生まれ。
Twitter @hirokim21
Facebook hiroki.mochizuki

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関連本〜膨れ続ける本棚から〜

タックスヘイブン問題について一望するために最適な良書。著者は元財務官僚で、タックスヘイブン行政に現場で関わっていた方。 

タックス・ヘイブン――逃げていく税金 (岩波新書)

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ピケティの弟子ズックマンによるタックスヘイブン論。

失われた国家の富:タックス・ヘイブンの経済学

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タックスヘイブンについての包括的な研究書。

【徹底解明】タックスヘイブン グローバル経済の見えざる中心のメカニズムと実態

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1型糖尿病患者だったATCQのファイフがJ Dillaに贈った"Dear Dilla"のMVがとてもとても切ない

ATCQのラッパー、ファイフ・ドーグが先月23日に亡くなった。彼は少年時代から1型糖尿病を患っていて、インスリン注射を打ちながら生活していた。ファイフはのちに奥さんから腎臓移植も受けている。そんなファイフがついに亡くなった。ヒップホップ好きなら嫌いな人は絶対いない、そんな愛すべき存在だったように思う。

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紹介したいのはファイフが2014年につくった"Dear Dilla"というMVである。DillaとはもちろんJ Dilla aka Jay Deeのことである。ATCQのQ-TipらとThe Ummahというプロダクションチームを組んで、実際にATCQの4枚目と5枚目のアルバムに参加している。J Dillaは2006年に32歳の若さで亡くなっている。血栓性血小板減少性紫斑病という血液病に罹っていた。自分より先に、自分より若くして亡くなったJ Dillaに対して、ファイフは"Dear Dilla"という曲を作ったのである。しかし、その曲は彼が亡くなった2006年ではなく、2014年につくられている。なぜだろうか。

ビデオはとある病室でのシーンから始まる。小柄なファイフがベッドで横になっている。ファイフは言う。「今は2005年。俺たちは同じ病室にいる。」

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ふと横を見ると、J Dillaらしき人陰が隣のベッドでサンプラーを叩いている姿が見える。誰もが聞いたことのあるリズムからこの曲は始まる。

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MVを見ていくと、この曲が何を歌っているかがよくわかる。この歌は、単にJ Dillaを追悼しているわけではなく、先に逝ってしまったDillaに対して、俺はがんばるぞということを歌っているのだ。何をがんばるのか。砂糖中毒を耐え抜くということである。

マイケル・ラパポートによるATCQのドキュメンタリー映画のなかで、ファイフは自らの糖尿病について、「砂糖中毒」だと語っている。常に甘いものを口に入れたいという衝動と闘いながらファイフは生きてきた。この映画を見ると、1998年に解散してしまったATCQのグループ内不和の一因に、ファイフの病気の問題があったことは間違いないことがよくわかる。ファイフはスーパースターでありながら、根治することのない病気とつきあい続けてきた。

話を"Dear Dilla"に戻そう。そんなファイフが死の2年前に撮影したMVだ。例えばこんなシーンがある。砂糖たっぷりのドーナツをあきらめるファイフ。

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スニッカーズ的なものを目の前にぶら下げられてランニングに勤しむファイフ。

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病院で腎臓の診断を受けている様子も描かれる(ATCQのアリもカメオ出演している)。

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そして、度重なる努力の積み重ねのあとに、ファイフはついにステージに帰ってくる。そして、自分を支えてくれた人たちへの感謝を伝えたあと、最後につぶやく。"ATCQ Forever......" 

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とにかくこのMVを見てほしくて書いたエントリなのだけれど、最後に一曲だけ紹介させてほしい。ファイフの没後すぐに発表された"Nutshell"というMVだ。これは、J Dillaのトラックの上で、ファイフが自らを「一言で in a nutshell」表し続ける曲で、それ自体とてもかっこいいのだけれど、曲の前後に長年シーンを共にしてきた仲間たちからのメッセージが入っていてとても切ない。

De La SoulのPosやMase、Rakim、Redman、そしてもちろんATCQのメンバーなどが「ファイフを一言で表すなら」という問いに答えている。"Phife is in a nutshell to me..." それぞれの答えはぜひMVを見てみてほしい。生きている限り、がんばって生きよう。

プロフィール

望月優大(もちづきひろき)

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慶應義塾大学法学部政治学科、東京大学大学院総合文化研究科修士課程修了(ミシェル・フーコーの統治性論/新自由主義論)。経済産業省、Googleなどを経て、現在はIT企業でNPO支援等を担当。関心領域は社会問題、社会政策、政治文化、民主主義など。趣味はカレー、ヒップホップ、山登り。1985年埼玉県生まれ。
Twitter @hirokim21
Facebook hiroki.mochizuki

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The Ummah制作のATCQの楽曲群。3曲ともクラシックとしか言いようがない。グループにとっては不幸な時期だったけれど、曲はかっこいい。