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HIROKIM BLOG / 望月優大の日記

見えているものを見えるようにする。

ケン・ローチ『わたしは、ダニエル・ブレイク』をすべての人に観てほしい。

ケン・ローチ監督の『わたしは、ダニエル・ブレイク』(I, Daniel Blake)を二度観た。一度目は公開直後に。二度目はつい先ほど。感じたことを書いていく。

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「人生は変えられる。隣の誰かを助けるだけで。」「涙と感動の最高傑作」

こうした言葉には違和感を覚える。

80歳を過ぎたケン・ローチが一度は表明した引退を撤回してまで撮りたかったことはそんなものではないと私は思う。

この映画のメッセージ、構造はとてもクリアである。図式的であるといってもいい。だが図式的であることが全くマイナスになっていない。この図式こそが現実的だと感じられるからだ。自分たちはこういう時代を生きているのだと強く突きつけられるからだ。

ケン・ローチがこの映画を撮ったのは人と人との助け合い、人と人との支え合いの美しさを伝えるためなどではない。少なくともそのためだけではない。弱い者同志が支え合う、その限界こそを彼は強く訴えているのである。

『わたしは、ダニエル・ブレイク』は、生きていくための支え、生活を継続していくための支えを必要とする人間が、その支えを提供しうる(するとは限らない)国家との間で、自らの尊厳を維持しながら生きていくことの可能性と不可能性を描いた映画である。

人と人との支え合い、よりドライな言い方をすれば私人間の助け合い、それはあればあるほど良いものだ。ただ、それが本質的にとても脆弱で、弱い者がそれを求めることに躊躇する、申し訳ないと思う、恥を感じるものであるということも決して忘れてはならない。

最後の砦は国家である。たとえそれが憎々しい官僚主義に毒されていてもそうなのである。しかし、同時に、人はただ生きるために生きているわけではなく、尊厳の維持と公的扶助の申請とがある種のトレードオフに入っていく瞬間を見逃すこともできない。

ケン・ローチがこの映画を撮ったのは、そんな瞬間が社会の中の限られた層にとってのみの現実であることを超えて、いまや様々な年齢層、数多くの人々の生活のすぐそばまで迫ってきていると感じたからではないだろうか。

背景には、財政の論理にもとづき緊縮政策を進める国家の存在があるだろう。国家は一人の人間の命をいつ、どんな風に、どんな理由で見捨てるのか。それを知った私たちは、そのことをどのように、どんな理由で納得するのか。

民主主義の真っ只中で、私たちはそのことをどう正当化するのか。どう受け入れるのか。

ケン・ローチはパルムドールの受賞スピーチでこう語ったそうだ。

「映画にはたくさんの伝統がある。その一つは、強大な権力を持ったものに立ち向かう人々に代わって声をあげることだ。そしてこれこそが、私の映画で守り続けたいものだ。」

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国家に対する権利の要求には大きく分けて自由権的な側面と請求権的な側面とがある。前者は国家の無用な行動を防ぎ、後者は国家に対して必要な行動を要求する。そして、人間の生存、その支えに関わる要求には、自由権的な側面と請求権的な側面の両方が考慮される必要がある。

金をやるから権力の言いなりになれ。金をやるから言う通りにしろ。あるいは、言う通りにしないお前にはもう金をやらない。

こうしたゲームになぜ付き合わなければいけないのか。人間の生存は権利によって保障されているはずではなかったのか。なぜ、過去の行動、過去の態度、過去のふるまいによって生存のぎりぎりの支えまで失わなければならないのか。

そして、繰り返すが、民主主義の真っ只中で、私たちはそのことをどう正当化するのか。どう受け入れるのか。

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受け入れてはならない。決して屈してはならない。そう声をあげたかったからケン・ローチはこの映画を撮ったのだろう。80歳を超えてなお、引退を撤回してまでこの映画を撮ったのはそういう理由からではないか。 私はそう思う。

弱き者たちが集い、個人と個人として支え合う。それだけでは足りないのである。それはいつだって必要だし、これまで以上に必要になっているとも言える。しかし、その大切さを認識することを、本当に失ってはならないものを捨て去ってしまってもよいという決断、自分たち自身による決断へと短絡させてはならない。そこを直結させてはならない。そう彼は訴えているのではないだろうか。

私はその訴えを受け取ったし、だからこそ多くの人にこの映画を観てほしいと思った。 『わたしは、ダニエル・ブレイク』をすべての人に観てほしいというのはそういう理由からである。

 

プロフィール

望月優大(もちづきひろき) 

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慶應義塾大学法学部政治学科、東京大学大学院総合文化研究科修士課程修了(ミシェル・フーコーの統治性論/新自由主義論)。経済産業省、Googleなどを経て、現在はIT企業でNPO支援等を担当。関心領域は社会問題、社会政策、政治文化、民主主義など。趣味はカレー、ヒップホップ、山登り。1985年埼玉県生まれ。
Twitter @hirokim21
Facebook hiroki.mochizuki

関連エントリ

子どもをひとりぼっちにしない。「子どもの孤立」を知り直すということ。

いまの仕事を通じて支援しているPIECESというNPOがあります。一言でいうと激プッシュしています。推しています。

彼らの活動には捉えがたい素晴らしさ、この時代と呼応した価値があるのですが、出会ったときからその捉えがたさ、名状しがたさをどう言葉にするか、悩んでいました。

その悩みをそのままに書いたというか、考える過程を記したのがこの記事です。

こんな感じで始まります。

PIECESは児童精神科医の小澤いぶきさんが代表を務めるNPOで、虐待や貧困といった問題を抱える子どもたちに寄り添い、そうした子どもたちが普段の生活ではなかなか得ることができない「大人との信頼感を伴った継続的な関係性」を一つずつ構築しようとしています。

PIECESのメンバーに聞くと、その関係性は「家族」でも「友だち」でもなく、そして「先生」でも「アドバイザー」でもない。いま存在する言葉ではなかなか表現しづらい関係性だけれど、この関係性こそが、子どもたちが自分の困難とうまく付き合って生きていくために必要であるような、そういう関係性。いまはうんうん唸りながらも「伴走者」という言葉をひねり出して使ったりしているようです。

この「伴走者」が子どもと一緒に何をするかといえば、日常のたわいもない話をすること、スポーツや料理をしたり遊びに行ったりすること、勉強や恋愛の相談に乗ること、そして、こうした積み重ねを通じて困ったときに相談してもらえる関係性をつくること。困ったことというのは、勉強や恋愛のことかもしれないし、いじめのことかもしれない。妊娠のこと、親からの虐待のことなのかもしれない。自傷のこと、学校に行けないこと、家に居場所がないことかもしれません。

こうした困難に直面したとき、心を許して相談できる関係性がどんな子どもにもあるわけではありません。そして、たくさんの子どもがそうした関係性を持てないことによって、袋小路(と感じられる状況)から抜け出すことが難しくなっています。 

この文章を書いたあとも、彼らと何度も何度も話をしました。そうしてようやっとたどり着いた場所がありました。いま思えば当たり前のアイデアです。でもはっとする何かがありました。それが、彼らが取り組んでいる課題の特定であり、その課題を「子どもの孤立」と名付ける、それがひとつのきっかけになりました。

この言葉が取り立てて新しい言葉であるということではありません。インターネットで検索すればそういったテーマについて書かれた文章はたくさん見つかります。

ただ、ともすれば「子どもの貧困」という言葉が人口に広く膾炙していくなかで、少し見えづらくなっていたこと、概念として掴みづらくなっていた何かがあったのかもしれません。

言葉と言葉を対比することで何かが浮かび上がってくることがあります。そして自分が当然に知っていたであろうことを改めて知り直すということがあります。「子どもの孤立」という言葉を通じて自分はそういう体験をしたような気がしています。

子どもたちは家庭や学校、地域というある種の閉ざされた空間を生きています。そこで孤立するということは、経済的なそれを含むあらゆる困難からの脱出を難しくします。

思い出してみてください。誰もが知っているはずのあの孤立の味です。少しずつ味が違うかもしれないけれど、知らない人はいないはずです。その孤立の中に閉じ込められている子どもたちがいます。

自分ですっくとたってその閉域から這い出てこれる子どもたちばかりではないでしょう。そのときそっと寄り添える大人がいれば。そして、寄り添うだけならば自分にも、誰にだってできるかもしれない。

それが、PIECESの真ん中にあるアイデアであり、存在意義だと私は思っています。

そして、その存在意義をこの言葉に込め上げました。

子どもをひとりぼっちにしない。 

直接的には、PIECESがGoodMorning by CAMPFIREと一緒に始めたプロジェクト、様々な小規模クラウドファンディングの集まりにこの名前をつけました。

そしてそのキックオフイベントを行ったのがつい先週です。一つの門出、一つのアイデアが社会のなかに実体を持って飛び出して行く門出のイベントになったと思います。PIECESアドバイザーの湯浅さんやCAMPFIREの家入さんも駆けつけてくれました。

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教育や福祉の仕事をされている方、行政の方、学生や普通の会社員の方々が100人も集まった夜でした。そんなイベントの様子を最前列からTwitterで実況していました。

Twitterで #子どもをひとりぼっちにしない で検索してみてください。37連発の実況ツイートが見つかると思います。その中からお気に入りをいくつか紹介させてください。このブログ記事はそれでおしまいです。

「居場所が問うているもの。子どもは大人に構ってもらう時間が必要だ。大人にその時間はあるのか。」

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自分で書いたこれらの言葉とともに、これからも忘れずにいたい言葉だと思いました。

「家族」ではなくても、「他人」であっても、脆弱な状況にいる子どもや人間に対してできることがある

振り返って大事だったと肯定できる他人との関係性を私たちはいろいろなやり方でつくっていく必要があるし、つくっていくことができるはずだ

「子どもをひとりぼっちにしないプロジェクト」クラウドファンディングの特設サイトはこちら。ぜひ参加してみてください。

プロフィール

望月優大(もちづきひろき) 

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慶應義塾大学法学部政治学科、東京大学大学院総合文化研究科修士課程修了(ミシェル・フーコーの統治性論/新自由主義論)。経済産業省、Googleなどを経て、現在はIT企業でNPO支援等を担当。関心領域は社会問題、社会政策、政治文化、民主主義など。趣味はカレー、ヒップホップ、山登り。1985年埼玉県生まれ。
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上野千鶴子氏の発言を読んで思ったこと。

上野千鶴子氏の中日新聞紙上での発言が話題になっていました。炎上と言ってよいかと思います。上野氏の発言はこちらで全文読むことができます。Togetterもできていました。

この国のかたち 3人の論者に聞く|考える広場|朝夕刊|中日新聞プラス

上野千鶴子「日本人は多文化共生に耐えられないから移民を入れるのは無理。平等に貧しくなろう」 - Togetterまとめ

上野氏の発言を簡単にまとめます。カギカッコの中は引用です。

  1. 日本は今転機にある。最大の要因は人口構造の変化。
  2. 人口を維持するには自然増か社会増しかない。自然増は無理だから社会増、すなわち移民の受け入れしか方法がない。
  3. したがって、日本には次の選択肢がある。「移民を入れて活力ある社会をつくる一方、社会的不公正と抑圧と治安悪化に苦しむ国にするのか、難民を含めて外国人に門戸を閉ざし、このままゆっくり衰退していくのか。
  4. 「移民政策について言うと、私は客観的に無理、主観的にはやめた方がいいと思っています。」世界的な排外主義の流れがあり、さらに日本人は単一民族神話を信じているから多文化共生には耐えられない
  5. 結局自然増も社会像も無理だから「日本は人口減少と衰退を引き受けるべきです。平和に衰退していく社会のモデルになればいい。」
  6. 「日本の場合、みんな平等に、緩やかに貧しくなっていけばいい。国民負担率を増やし、再分配機能を強化する。つまり社会民主主義的な方向です。ところが、日本には本当の社会民主政党がない。
  7. 日本の希望はNPOなど「協」セクターにある。様々な分野で問題解決してる。人が育ってきている。
  8. 憲法改正論議についても心配していない。 日本の市民社会は厚みがある。

ネットを見ていると「移民を治安悪化に結びつけるな」「平等に貧しくなるはずなどないだろう」といった批判が多いようです。もっともだと思います。自分としても突っ込みたいところはいろいろあるのですが、「最後はNPOと市民社会に丸投げ」という論の持っていき方に対して感じた残念さについて少し書いておきたいと思います。

一言で言えば、NPOだけの力で数多くの弱者をカバーできると考えるのは現実が見えていなさすぎです。ソーシャルセクターが豊かになっていくことはとても重要なことですが、NPOがいるから国家がいらなくなるのではなく、国家の再分配機能の強化と合わさって初めて、社会のなかの広い範囲に対して十全な支援の手が届きます。国家とNPOが純粋な意味で代替的な関係にないのは明らかです。

上野氏はいろいろな活動に近いところにいるでしょうから、そんなことなどよくわかっているはずだと思います。ですが、移民受入を加速させること、再分配機能を強化することがそれぞれ政治的にとても難しいということも同時に感じており、そのうえで、その困難をどうやったら乗り越えられるかと考えるのではなく、「無理なものは無理なんだ」と言っているだけなのではないかと感じました。批判の起点になりうる認識が、現状追認に堕してしまっているように私には思えます。

少し調べてみると、上野氏は2014年の記事でも同じような趣旨のことを言っています。政権が女性労働力を活用しようとしているが、日本では行政が保育所などのインフラを整えることもできていないし、移民を入れて安い賃金でベビーシッターを頼むということもできない、だから難しいのだというようなことを言っているわけです。

「女子力を磨くより、稼ぐ力を身に付けなさい!」上野千鶴子さんが描く、働く女の未来予想図 - Woman type[ウーマンタイプ]|女の転職@type

出産後もバリキャリとして働き続ける女性がいても、子どもの面倒を見てくれる“祖母力”があるなどの条件をクリアしたレアケースに過ぎません。それ以外に「育児を外注する」というオプションがあるはずですが、北欧のように国や社会が責任を持って保育所などのインフラを整備する「公共化オプション」も、アメリカのように移民労働力を格安の賃金で雇って育児を任せるという「市場化オプション」も、日本では極めて限られている。だから日本の女たちは追いつめられているのです。

政権の女性活躍、一億総活躍という掛け声に対して、「国家や社会の側としてそれを支える準備ができていないのではないか」という指摘は、現状に対する批判的な認識という意味では必要なものだと思います。しかし、その認識からはじまって困難な現状を追認するというストーリーしか紡ぎえないのだとしたらやはり残念だと感じざるを得ません。というのも、実際、上野氏は同じ記事の結論に近いところで以下のように述べているからです。

現在20代や30代の若い女性たちも、ゆっくりまったりと生きていけばいいじゃないですか。成熟期の社会では、皆が髪を振り乱して働き、他人を蹴落としてまで成長していかなくてもいいんですから。賃金が上がらないといっても、外食せずに家で鍋をつついて、100円レンタルのDVDを見て、ユニクロを着ていれば、十分に生きて行けるし、幸せでしょう? 東日本大震災の後、日常が何事もなく続くのが何よりの幸せだと多くの方々は痛感したはずです。

結局この結論なんですね。貧しさを受け入れよ、貧しさに慣れよ、生活レベルを下げて、生活レベルが上がっていくという夢を捨てて、自分の稼ぎでギリギリ生きていける人生を生きていけ。こういう自助の勧めが結論になってしまうんです。しかも、東日本大震災の経験がある種の脅しのような形で最後に添えられている。あの悲惨に比べたら慎ましい日常はよほどましだろうというわけです。

そこには社会で同じ時代を生きる人々が連帯して、今とは別の、今より良い社会のあり方を構想し、実現に向かって努力していこうと訴えるリーダーシップのようなものはありません。難しいものは難しいというある種の諦念と、全員を救うことはできないから一人一人が自らを救え、という自己責任の陳腐で乾いた掛け声があるだけです。

この記事の最後はこう締められています。最後のリンクは「うわっ…低すぎ?もらいすぎ?!」と書かれた「年収&お仕事相性診断」のサイトへと飛ぶようになっています。記事の趣旨は明らかですね。

「女子力を磨くより、自分に投資をして稼ぐ力をつけなさい」

これが私から若い女性たちに送る、これからの時代を生き抜くためのアドバイスです。

>>>あなたの稼ぐ力はどのくらい?

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難しい現状があるとき、今とは異なる理想を語ることがバカらしく思えたり、冷ややかな目で見られることはよくあることです。もしまだ知識人の役割というものがあるとすれば、そんな冷ややかな目線を軽く跳ね返し、現実的な社会状況とも正しく折り合いをつけながら、理想に近い道がどこにあるかを探り続けることではないかと私は思います。

移民を受け入れることが難しい。ならばどこをどう変えたらその難しさを緩和できるか。社会民主政党が存在せず国家の再分配機能を強化することが難しい。ならばどこをどう変えたらその難しさを緩和できるか。これらの問いに向き合い続けなければ、上野氏と似たような結論から抜け出すことはできません。自分は考え続けるつもりです。

プロフィール

望月優大(もちづきひろき) 

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慶應義塾大学法学部政治学科、東京大学大学院総合文化研究科修士課程修了(ミシェル・フーコーの統治性論/新自由主義論)。経済産業省、Googleなどを経て、現在はIT企業でNPO支援等を担当。関心領域は社会問題、社会政策、政治文化、民主主義など。趣味はカレー、ヒップホップ、山登り。1985年埼玉県生まれ。
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関連過去エントリ

私たちは私たちの(無)関心とどう付き合うか。ムクウェゲ医師と『女を修理する男』上映会の記録。

先日『女を修理する男』という映画の上映会を開催しました。日本国内で難民支援の活動をしている難民支援協会さんとWELgeeさんと一緒に企画したこの上映会、当日は100名ほどの方にお越しいただくことができました。学生、社会人、メディアや大学、NPO関係の方々もいらしていました。

上映会当日までの思い出深い経緯なども含めて、今後のためにも徒然なるままに記録しておこうと思います。

2/2 映画「女を修理する男」上映会+トークショー - 私たちは私たちの(無)関心とどう付き合うか | Peatix

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当日は最初に15分ほど会の経緯や映画の背景情報について簡単にお話し、その後映画を観て、最後に振り返りのトークを行う、という形で進めました。丸々3時間の盛りだくさんイベントです。

いきなり余談ですが、映画を観たあとにこのような形で消化できる時間があると個人的にもとてもいい体験だなと思います。誰かと話したり、誰かの感想を聞いたりしたいじゃないですか、映画のあとって。同じもやもやでも誰かと共有したもやもやはまた違うものになっていたりしますよね。

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上映会をすることになったきっかけについてもお話しました。

昨年10月にこの映画の主役であるデニ・ムクウェゲ医師が日本に来日されていました。私とWELgeeの渡部さんは彼の講演会を聞きに行ってその内容や感想をブログにアップし、難民支援協会の野津さんはHuffington Postによるムクウェゲ医師へのインタビュー記事に関わっていました。

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こちらです。

ムクウェゲ医師はノーベル平和賞の候補とも言われており、コンゴの惨状を世界中に伝えるために各国を回っていました。日本にもそのツアーの途中で立ち寄ったわけですが、期せずして私たちがそれぞれムクウェゲ医師の言葉や活動に感銘を受け、できるだけ多くの人に知ってもらいたいと考えて記事をつくっていたわけです。

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印象的だったのが、どの記事も当時とても多くの方に読まれたということでした。中東での紛争や欧米でのテロに比べて全くと言っていいほど注目されていないという危機感を持ってムクウェゲ医師は世界中を回っていたと思います。

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それが、一人一人がそれぞれの思いでつくったムクウェゲ医師についての記事がとても多くの日本人に読んでもらうことができた、そのことに勇気づけられました。そこで、ムクウェゲ医師のこと、コンゴのことをもっと多くの人に知ってもらおう、ムクウェゲ医師へのリスペクトを次につなごうということで、この映画の上映会を企画しました。

ちなみに野津さんと渡部さんはこういう人たちです。

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さて、私たちが多くの人に観てほしいと思った『女を修理する男』が一体どんな映画かについても少しだけ説明します。 

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ムクウェゲ医師が生まれたブカヴという都市があるコンゴ東部では、長きにわたって大規模かつ筆舌に尽くしがたいほどの性暴力が行われてきました。ムクウェゲ医師はそれを「性的テロリズム」と呼びます。

なぜかというと、彼はコンゴ東部で組織的に行われる性暴力を性欲ではなく、(経済的)インセンティブに基づいた行為だと考えているからです。つまり、スマホなどの電子機器の素材となる鉱物資源(タンタルなど)を支配するために、そうした性暴力が道具として用いられているということです(詳しくは記事を読んでください)。

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このことを知って衝撃を受けない人はいないと思います。ただ、同時にこんなことも思うかもしれません。とはいえ自分に何ができるのかと。

私も思いました。ただ、そのもやもやから目を背けるのがいやだったので、この上映会の副題として「私たちは私たちの(無)関心とどう付き合うか」という言葉を添えてみました。関心と無関心の間、できることとできないこととの間で一人一人がどんな風に考え、行動していくか。そのことを改めて来ていただいた人たちと一緒に考えてみたかったんですね。

遠い国での紛争や暴力、そうした背景のうえに生産される商品、それを知らずに使っている人々、否応なく発生する人間の移動と受入にまつわる摩擦。これらのことを考えてすっきりとした答えが出ることはないでしょう。だからこそこの上映会が「見ないでいようと決め込む」以外のスタンスを見つけるためのヒントになってほしいと思いました。自分にとっても、です。

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最後にトークショーで印象に残った言葉を少しだけ。

一つは、野津さんの言葉。Q&Aのときに会場から「日本はこれから難民を受け入れるべきかどうか、考えを教えてください」という質問がありました。野津さんはこんなふうに答えていました。「難民を受け入れるべきかどうかというよりも、難民の方はすでに来ている」のだと。

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野津さんが働いている難民支援協会は日本に来た難民の方が難民申請をする際に助けを求めることができる命綱のような存在です。日本に来る方の多くは日本語が話せず、難民申請の手続きもわからない。どうやって生活をしていけばいいかもわからない。日々やってくるそうした人たちに対する支援に取り組まれている野津さんだからこその言葉だと思いました。悠長なことは言っていられません。コンゴからの難民も増えているそうです。

もう一つは渡部さんの言葉。

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渡部さんのWELgeeという団体では日本にいる難民と一般の家族とをつなげる「難民ホームステイ」という事業をやっています。とある農家の家族へのホームステイの話が面白かったです。私たちは「難民」という記号というか法的なカテゴリでつい考えてしまいがちだけれど、WELgeeの活動を通じて実際にホームステイをし、家族と一緒の時間を過ごす難民の方一人一人は私たちと同じ人間だと。それを受入先の家族も自然と理解して愛着や関係性が生まれてくるそうです。

これは難民問題に限らず貧困問題でも虐待問題でも同じことだなと思います。私たちは会ったこともない人たちのことをどうしても何某かのカテゴリや括りで考えてしまいがちです。というか、それ自体が問題だとは思わないのですが、実際に会ったり、映画を観たりすることで「一人一人の人間」の具体的な生き様を想像する、その努力も同時に大切だなと改めて感じました。会場にはコンゴからの難民の方が来てくださっていて、話したらスーパーナイスガイでした。

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関係したみんなで最後に撮った写真です。みんな若いのにすごいなと、希望だなと思います。 自分は若いころもう少しひねくれていたのでリスペクトしかないです。上映会のために力を貸してくれた全ての人に感謝します。

それと最後の最後に一番大事なことです。なんとこの『女を修理する男』の短縮版が明日2/7の23時からNHK BS1で放映されるそうです。今後の上映会の予定は今のところないそうなので、ぜひこの機会をお見逃しなく。

もし観れたら、観て感じたことを周りの人と話してみてください。

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プロフィール

望月優大(もちづきひろき) 

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慶應義塾大学法学部政治学科、東京大学大学院総合文化研究科修士課程修了(ミシェル・フーコーの統治性論/新自由主義論)。経済産業省、Googleなどを経て、現在はIT企業でNPO支援等を担当。関心領域は社会問題、社会政策、政治文化、民主主義など。趣味はカレー、ヒップホップ、山登り。1985年埼玉県生まれ。
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米大統領令による入国禁止措置についてのロイター世論調査の詳細

ロイターによる外国人や難民の入国に関する大統領令についての世論調査結果が話題になっている。

入国禁止49%賛成 反対41%を上回る 米世論調査:朝日新聞デジタル

世論調査を行ったロイター自身の情報を見たほうが良いと思ったのだが、日本語記事が見当たらなかったので、こちらのロイター英語記事を参照しながら世論調査の結果をメモしておく。

Exclusive: Only a third of Americans think Trump's travel ban will make them more safe | Reuters

「入国禁止についての態度 (Attitudes on immigration ban) 」と題されたこの世論調査は合計3問の質問からなっており、ロイターが調査会社のIPSOSと共同で実施したようだ。サンプルサイズは民主党支持者が453人(信頼区間5%)、共和党支持者が478%(同5%)で、合計1201人(同3%)との記載がある。

問1:大統領令に賛成か反対か
問2:大統領令によってより安全になったと感じるか否か
問3:大統領令は対テロリズムの方法として良い見本か悪い見本か 

こちらが調査結果だが、日本語にするとともに、数字に書き下していく。一つ一つの質問や回答の数値を順々に読んでいくことで考えを深めることができる。

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問1:大統領令に賛成か反対か

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<質問>

"Do you agree or disagree with the Executive Order that President Trump signed blocking refugees and banning people from seven Muslim majority countries from entering the U.S.?"

あなたはトランプ大統領によって署名された難民及び7カ国のイスラム教徒が多数を占める国々の人々の米国への入国を禁止する大統領令について賛成ですか反対ですか?
<回答>
民主党支持者
賛成:23%
わからない:7%
反対:70%
共和党支持者
賛成:82%
わからない:5%
反対:5%
合計
賛成:49%
わからない:10%
反対:41%
 

問2:大統領令によってより安全になったと感じるか否か

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<質問>

"What comes closer to your opinion? Because of Trump's travel ban, I feel more safe / less safe."

どちらがあなたの意見に近いですか? トランプによる渡航禁止によって、私はより安全だと感じる / 私はより安全でないと感じる。

<回答>
民主党支持者
より安全:10%
わからない:42%
より安全でない:48%
共和党支持者
より安全:58%
わからない:34%
より安全でない:8%
合計
より安全:31%
わからない:43%
より安全でない:26%
 

問3:大統領令は対テロリズムの方法として良い見本か悪い見本か

Total
 
Less
26%
 
Don't know
43%
 
More
31%

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<質問>

"What comes closer to your opinion? Because of Trump's travel ban, I feel America is setting a good example / bad example of how best to confront terrorism"

どちらがあなたの意見に近いですか?トランプによる渡航禁止によって、どのようにすればテロリズムに最もうまく対抗するかについて、私はアメリカが良い見本を示したと感じる / 悪い見本を示したと感じる。

<回答>
民主党支持者
良い見本:14%
わからない:16%
悪い見本:70%
共和党支持者
良い見本:68%
わからない:19%
悪い見本:14%
合計
良い見本:38%
わからない:22%
悪い見本:41%
 

いくつか言えること

  • 大統領令について民主党支持者は反対多数(70%)、共和党支持者は賛成多数(82%)。民主党支持者の23%が賛成というのは、それなりに多いと感じる。
  • 共和党支持者のうち、大統領令に賛成したのは82%だが、それによってアメリカが安全になったと感じているのは58%。対テロリズムの良い手法だと考えているのは68%。賛成した人すべてがより安全になった、対テロリズムの良い手法だと考えているわけではない。
  • 一つの世論調査の結果なので鵜呑みにはできないが、大まかな傾向として、二大政党支持者間での大統領令に対する態度の分断は現実に存在している、ということは言っても良さそうだ。それほど顕著な数値の差が出ていると思う。 
  • ただ、アメリカ国民全体として見ると、大統領令への賛成は49%、より安全になったと感じているのは31%、対テロリズムの良い手法だと考えているのは38%と過半数を下回っている。特により安全になったと感じている割合が低く出ているのが印象的ではある。

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今回の大統領令について

その他

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望月優大(もちづきひろき) 

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ワシントン州司法長官が信教の自由を保障する憲法修正第一条を巡ってトランプ大統領らを提訴へ「法廷では最大の声よりも憲法が勝る」

大きなニュースが飛び込んできた。

全米初、大統領を提訴へ=入国禁止令は「違憲」-ワシントン州:時事ドットコム

米西部ワシントン州のファーガソン司法長官は30日、トランプ大統領や国土安全保障省などを相手取り、難民やイスラム圏7カ国の出身者らの一時入国禁止を命じた大統領令を「違憲」とする訴訟を同州シアトルの連邦地裁に起こすと発表した。同日中に提訴する。同大統領令をめぐり州司法長官による提訴はワシントン州が初となる。

難民や7カ国の人々の入国制限に関する大統領令についてはこれまでもブログに書いてきたが、ついに州政府がこの件をめぐって大統領本人と国土安全保障省を連邦地裁に提訴するというところまで事態が進展したということだ。

この時事の記事にはワシントン州のファーガソン司法長官が「大統領でさえも、法を超越しない」と発言したとの記載があり、その原文がどんなものか気になり探してみた。

ファーガソン司法長官は、大統領令は憲法に定められた法の下の平等や、信仰の自由などを侵害していると指摘。「大統領でさえも、法を超越しない」と強調した。

というのも、ここで言われている「法」が何なのかということが実際の訴訟においてとても重要であるだけでなく、大統領と憲法との関係を問題にするような意味合いも込められているのではないかと思ったからだ。

さて、ワシントン州の地元紙であるThe Seattle Timesの記事に、おそらくこの発言の原文にあたるのではないかと思われる文章を見つけることができた。時事の「大統領でさえも、法を超越しない」という直接的な文章とはやや趣が異なるが、おそらくこちらではないかと思う。

AG Bob Ferguson to file lawsuit seeking to invalidate Trump’s immigration order | The Seattle Times

“We are a country based on the rule of law. In a courtroom, it is not the loudest voice that prevails. It’s the Constitution,” Ferguson, a Democrat, said at a news conference in Seattle.

「私たちは法の支配に基礎を置く国である。法廷では、最も大きな声が勝つのではない。憲法が勝つのである。」民主党員のファーガソンはシアトルでの記者会見でこう発言した。

実際には、憲法修正第一条が争点になるようだ。記事にはこうある。

Noah Purcell, state solicitor general in Ferguson’s office, said Washington’s lawsuit will argue Trump’s executive order violates constitutional guarantees of religious freedom and equal protection.

ワシントン州のノア・パーセル訟務長官は、ファーガソン長官の事務所で、ワシントン州の訴訟はトランプの大統領令が憲法によって保障された信教の自由とその平等な保護を侵していると主張するだろうと語った。

憲法修正第一条の具体的な条文も参考まで紹介する。

Congress shall make no law respecting an establishment of religion, or prohibiting the free exercise thereof; or abridging the freedom of speech, or of the press; or the right of the people peaceably to assemble, and to petition the Government for a redress of grievances.

合衆国議会は、国教を樹立する法律もしくは自由な宗教活動を禁止する法律、または言論もしくは出版の自由または人民が平穏に集会し、不平の解消を求めて政府に請願する権利を奪う法律を制定してはならない。

(翻訳は 新版 世界憲法集 (岩波文庫) より)

トランプの大統領令がこの修正第一条をどのように侵しているかという点だが、キリスト教徒とそれ以外の宗教の信者を入国管理上差別しているというポイントが争点になるようだ。ワシントン州知事がその点についての発言をしていることが同じThe Seattle Timesの記事で触れられている。

The attorney general was joined by Democratic Gov. Jay Inslee, who blasted Trump’s refugee ban aimed at several war-torn, Muslim majority nations — and giving precedence to Christians — as “un-American.”

“The fact is that its impact, its cruelty, its clear purpose is an unconscionable religious test,” Inslee said, pointing to the executive order’s provision calling for prioritizing the admittance of Christian refugees.

具体的には、大統領令において7カ国のイスラム教徒が多数を占める国民の入国を停止しているという点、加えて難民受け入れ停止の例外措置として宗教的少数派の受け入れについては例外を許容する余地を認めているものの、それがキリスト教徒を優遇するという差別的な措置として利用される可能性がある点が問題にされている。

後者の難民受け入れにおけるキリスト教徒の優遇の恐れについては、トランプ自身のこれまでのツイッター及び様々なメディアでの発言が原因になっている。

例えば1/27のトランプによる発言。これは大統領令署名前の発言で、「シリアのキリスト教徒のほうがイスラム教徒よりもより強く迫害されており、米国への入国がより難しい、それは不公平だ」という趣旨のことを述べている。

“Do you know if you were a Christian in Syria, it was impossible, at least very tough, to get into the United States?” Trump asked. “If you were a Muslim, you could come in, but if you were a Christian, it was almost impossible. And the reason that was so unfair ― everybody was persecuted, in all fairness ― but they were chopping off the heads of everybody, but more so the Christians. And I thought it was very, very unfair.”

Donald Trump Says He Would Prioritize Resettling Christians Over Other Refugees | The Huffington Post

こちらは1/29のツイート。

中東のキリスト教たちが多数処刑されてきた。私たちはこの恐怖が続くことを許すことはできない!

今後もワシントン州による訴訟の行方、そして他州での動きも引き続き注視していきたい。ワシントン州の訴訟は、当州に拠点を置くアマゾンやエクスペディアといった企業からも大統領令による「ビジネス上の不利益(negative business impacts)」があるとして賛同を得ている。

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プロフィール

望月優大(もちづきひろき) 

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慶應義塾大学法学部政治学科、東京大学大学院総合文化研究科修士課程修了(ミシェル・フーコーの統治性論/新自由主義論)。経済産業省、Googleなどを経て、現在はIT企業でNPO支援等を担当。関心領域は社会問題、社会政策、政治文化、民主主義など。趣味はカレー、ヒップホップ、山登り。1985年埼玉県生まれ。
Twitter @hirokim21
Facebook hiroki.mochizuki
 

私たちが寛容であるためのヒント。映画『みんなの学校』上映会の前に。

2月17日の夜に『みんなの学校』という大阪市立大空小学校を舞台にしたドキュメンタリー映画の上映会をします。

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この上映会は、私が取り組んでいる社会貢献プログラム(SmartNews ATLAS Program)の一環である「社会の子ども」というイベントの第3回です。当日は大阪から真鍋俊永監督もお越しくださいます。

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2015年に公開されたこの映画を観て、いま私が考えていることを少し書いてみたいと思います。人が人に寛容であるということについてです。2017年のいまだからこそ、このことを考えてみることの意味があると思っています。

その前に、話の映画のあらすじを紹介します(公式HPより引用)。

ーーーーー

"すべての子供に居場所がある学校を作りたい。

大空小学校がめざすのは、「不登校ゼロ」。ここでは、特別支援教育の対象となる発達障害がある子も、自分の気持ちをうまくコントロールできない子も、みんな同じ教室で学びます。ふつうの公立小学校ですが、開校から6年間、児童と教職員だけでなく、保護者や地域の人もいっしょになって、誰もが通い続けることができる学校を作りあげてきました。

学校が変われば、地域が変わる。そして、社会が変わっていく。

すぐに教室を飛び出してしまう子も、つい友達に暴力をふるってしまう子も、みんなで見守ります。あるとき、「あの子が行くなら大空には行きたくない」と噂される子が入学しました。「じゃあ、そんな子はどこへ行くの? そんな子が安心して来られるのが地域の学校のはず」と木村泰子校長。やがて彼は、この学び舎で居場所をみつけ、春には卒業式を迎えます。いまでは、他の学校へ通えなくなった子が次々と大空小学校に転校してくるようになりました。"

ーーーーー

大空小学校が有名なのには2つの理由があります。特別支援の対象となる子どもが全校生徒に占める割合がとても高いこと(220人中30人以上)、そして特別支援の子どもがそうでない子どもと同じ教室で一緒に時間を過ごしていること、この2つです。

このことを知っていた私は、映画を観始めるときに無意識にこんなふうに考えていました。

"この映画は先生や一般の生徒たちが特別支援の生徒たちに対して寛容であろうとする姿を映しているのだろう。"

映画を観終わってわかるのは、この思い込みにはとても大きな間違いがいくつか含まれていたということです。私の学びを3つだけ共有させてください。

① 寛容であることは、自分をコントロールできるということ。
② 大人も子どもも、特別支援の子どもも、みんなそれができない。
③ 寛容な社会は寛容な個人を勇気づける。寛容は蓄積し、育っていく。

① 寛容であることは、自分をコントロールできるということ。

「寛容」という言葉を考えるとき、そこではいつもある人とある人との関係性やふるまいを念頭に浮かべてしまうと思います。しかし、この映画を観て考えたのは、自分の振る舞いを制御することの難しさが寛容であることの難しさの根源にあるのではないかということです。

具体的にはどういうことか。むしゃくしゃして大きな声を出してしまう、蹴ってしまう、殴ってしまう、殴られたから殴ってしまう、認めたいのに認められない、謝りたいのに謝ることができない。

映画を観ている側としては、「素直に謝ってしまえばいいのに・・」と思うところでも本人にはもちろんそうできない。そこで謝ることほど難しいことはない。その場にいる人間にとってはその感覚が現実です。

他者に対して寛容であるということは自分の振る舞いを制御できるということ、他者に対してどう振る舞うかということと自己に対してどう振る舞うかということとを切り離すことはできない、そういうことなのだろうと思います。

② 大人も子どもも、特別支援の子どもも、みんなそれができない。

そして、この自分の行動を制御することの難しさは決して子どもだけの話ではない、そのこともこの映画を観てよくわかったことです。座親先生という若い新任の先生が出てきます。映画のなかでの彼の振る舞いを見て、彼の苦悩を見て、何も感じない人はいないはずです。

ただ、これは「若い」「新任」の先生の話だけではありません。「未熟」な若者だけの話ではないのです。校長先生もそう、ベテランの先生たちもそうです。彼らがそれぞれに寛容であろうとして、自分自身の気持ちやふるまいをコントロールしようとして、失敗して、苦しんでいる様子はストーリーの端々に出てきます。

そして、寛容の対象でしかないと勘違いしてしまいがちな特別支援の子どもたちも同じです。彼ら自身が、他者とどのように同じ空間と時間を過ごしていけるか、そのことに葛藤する当事者です。学校に行く、暴力を振るわない、その難しさに一人一人の子どもが直面する。そして、自分と向き合って乗り越えていこうとする。

でも、簡単ではない。どうすれば一人一人がこの難しさから逃げずに向き合い続けることができるのか、私が得たヒントについて最後に書いておきたいと思います。

③ 寛容な社会は寛容な個人を勇気づける。寛容は蓄積し、育っていく。

結論を先に書いてしまいます。大空小学校は、個人としてではなく、集団として、社会としてこの「寛容」という人類永遠の課題に取り組んでいると思いました。

人に優しくあろうとする、頼まれてもいないのに助ける、まず自分から謝る、そうしようとする個人にとっては二つの種類のつらさがあります。

一つは、これまで書いてきたことです。寛容に振る舞えない。それが正しいとわかっていてもいまそう振る舞うことがとても難しい、つい殴ってしまう、大声を出してしまう、逃げてしまう、こういう種類の難しさ、つらさがあります。

もう一つは寛容の相手が自分の寛容を尊重しない、評価しない、少なくとも自分にはそのように見える、というつらさです。本質的に、寛容はギブアンドテイクではない。得られる利得がわかっているから手渡すギフトではありません。

「相手がどう反応しようと自分はこのように振る舞うのだ」そんな風に凛とした姿勢で振る舞うことです。難しい。当たり前ですね。そして、これが一つめのつらさに跳ね返って来ます。だから、寛容は難しい。

そして、だから大空小学校はすごい。どう考えても難しいから、それに挑戦し続け、ときにやってのける集団はすごいのです。「寛容な社会は寛容な個人を勇気づける。寛容は蓄積し、育っていく。」と書きました。私はそのことが大空小学校で起こっているのだと感じています。具体的なことはここでは書ききれません。だから大空小学校が実際にどんなふうであるか、ぜひ映画を観ていただけたら嬉しく思います。

申し込みはこちらのリンクからです。

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プロフィール

望月優大(もちづきひろき) 

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慶應義塾大学法学部政治学科、東京大学大学院総合文化研究科修士課程修了(ミシェル・フーコーの統治性論/新自由主義論)。経済産業省、Googleなどを経て、現在はIT企業でNPO支援等を担当。関心領域は社会問題、社会政策、政治文化、民主主義など。趣味はカレー、ヒップホップ、山登り。1985年埼玉県生まれ。
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