HIROKIM BLOG / 望月優大の日記

見えているものを見えるようにする。

3つの薬物中毒に侵された街(『ローサは密告された』ブリランテ・メンドーサ)

もしまだ観ていなかったらこの映画を観てほしい。きっと圧倒されるはずだから。

ブリランテ・メンドーサ監督の『ローサは密告された』はフィリピンの日常に深く根付いた麻薬と人々との関わりを描く。登場人物がすべて実在するかのように感じられるほどにリアルだが、フィクション映画だ。

この映画を観ると、マニラの底の底まで一気に連れて行かれる。現地をふらっと訪れてもこの深さまで入れるはずもないし入るべきでもない。リアルなフィクション映画にしかなしえないことが、2時間弱の映像のあちこちに埋め込まれている。

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昨年のドゥテルテ大統領の就任によって、フィリピンの麻薬事情はより多くの人の知るところとなった。調べてみると彼の「麻薬撲滅戦争」で昨日も多くの死者が出たようだ。

フィリピン警察の麻薬摘発で32人死亡 1日で過去最多 - BBCニュース

この映画の構想自体は氏の大統領就任の前にあり、ドゥテルテを人々が呼び寄せる理由となった現実の一旦がここに映っていると捉えることもできるだろう。

・・・・・

劇中「アイス」と呼ばれる覚せい剤がこの映画の主役である。

貧しいスラムの一角でキヨスクのような店を営む主人公のローサは夫のネストールと覚せい剤を販売するビジネスに手を染めている。彼らは販売ルートの末端の一つであり、定期的にバイクで訪れるジャマールからアイスを仕入れ、街の人々に売っている。彼らもその一部を自ら利用している。街を歩くローサにどこからともなく「アイスはないか」という声が聞こえてくる。

彼らには4人の子どもがいる。男と女が2人ずつ。通りに面した店の奥のスペースと2階で暮らしている。湿気がものすごく、洗ったTシャツはなかなか乾かない。夕食のために近くの屋台で焼き魚などを買う。同じ屋台で小分けのビニール袋に詰められたご飯を5つ大鍋から取り出して買う。それを持ち帰ってテーブルに広げると家族が集まる。

血のつながりはないものの長い付き合いがありそうなボンボンという名の青年が家に入ってくる。薬が切れたのか、ローサに対して執拗にアイスをねだる。ローサは最初は断るが、何度もねだり続けるボンボンに根負けして棚の奥に隠してあるアイスを一つだけ渡す。渡して帰るかと思いきや追加で小遣いまでねだられる。ローサはポケットから小銭を渡す。

後になってわかるのだが、彼は麻薬所持で警察につかまる。そして、警察から釈放されるため、警察にローサを売る。雨の夜、警察が大挙してローサの店を訪れる。

・・・・・

ここまでが、この映画の舞台設定である。逮捕されたローサたちは、警察署の奥にある部屋でほかの売人の密告や高額の現金を要求される。そして、親たちの釈放を求める子どもたちが金策のために町中を走り回るのだが、その詳細はぜひ映画を観てほしい。

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手持ちカメラの躍動的な映像で一つの時間をいくつもの異なる場所から切り取りながら、ひどく日常的で、それゆえとても力強いラストシーンにいたるまで一直線につながっていく。ラストのあと、自分が震えていることがわかる。

・・・・・

最後にもう少し。なぜこの街では人々が麻薬をやめることができないのかということについて言葉を継いでおきたい。

この街には3つの薬物中毒がある。快楽への中毒、金への中毒、腐敗への中毒だ。

快楽への中毒は一番わかりやすい。アイスの効き目に対する中毒ということである。ローサからアイスを買っているスラムの庶民がこの中毒に侵されている。

金への中毒は、アイスの売上に生活が依存するということである。この中毒がスラムでアイスを売るローサのような末端の売人たちを蝕んでいく。純粋な貧困状況のなかで、ほかの確固たる生活手段が確保できなければ、薬物販売から得られる利益を簡単に捨て去ることができない。

そして、この街の最も深いレイヤーを蝕んでいるのが腐敗への中毒だ。それは、違法な薬物取引を取り締まるはずの警察組織そのものが深く侵されている中毒である。彼らは、密室での暴力を背景に、逮捕した売人からドラッグの売上である現金とドラッグそのものを押収する。加えて、警察署からの釈放と引き換えにさらなる現金を用意させる。

このようなプロセスののちに、腐敗した警察組織は売人たちから奪った現金やドラッグを私的な仲間内の論理で分配する。現金を分け合うだけでなく、売人を通じて押収した薬物を今一度市場に還流させ、その取引からさらなる現金を得る。こうした腐敗のルーティンから得られるブラックマネーに警察組織が芯から蝕まれている。アイスは再び人々の元へと戻っていく。

この映画を観てわかることは、末端の売人や薬物利用者をどれだけ殺しても根本的な解決には決してならないということだ。最も深いレイヤーにある暴力の支配、警察機構の腐敗、法の支配からの逸脱に手を入れない限り、蔓延する貧困状況を背景に薬物への依存は再生産され続けるのだろう。

街の構造そのものが腐敗への中毒を頂点とする薬物中毒に侵されている。密告も、暴力も、すべてその一部としてある。

 

プロフィール

望月優大(もちづきひろき) 

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慶應義塾大学法学部政治学科、東京大学大学院総合文化研究科修士課程修了(ミシェル・フーコーの統治性論/新自由主義論)。経済産業省、Googleなどを経て、現在はIT企業でNPO支援等を担当。関心領域は社会問題、社会政策、政治文化、民主主義など。趣味は旅、カレー、ヒップホップ。1985年埼玉県生まれ。
Twitter @hirokim21
Facebook hiroki.mochizuki
 

私は植松のように考えない。他人を不幸にしたからと言って殺されて良い人間などいない。

今日、7月26日で相模原障害者施設殺傷事件から丸1年になる。 

障害者「幸せ奪う存在」=トランプ氏演説契機に-手紙で植松被告・相模原施設襲撃:時事ドットコム

【独自】45人殺傷、植松被告からの手紙|日テレNEWS24

最近になって植松聖被告からマスコミ各社あてに手紙が届いたようだ。事件から1年というタイミングを意識したのだろう。上記記事よりそれぞれ引用する。

時事

植松被告は手紙の冒頭、「不幸がまん延している世界を変えることができればと考えました」と記した。重度・重複障害者を「人の幸せを奪い、不幸をばらまく存在」だと主張し、「面倒な世話に追われる人はたくさんいる」「命を無条件で救うことが人の幸せを増やすとは考えられない」と訴えた。

安楽死の対象の判断基準として、「意思疎通が取れる」ことを挙げた。植松被告は襲撃時、居合わせた職員を連れ回して「この入所者は話せるのか」と聞きだそうとしていたことが分かっており、障害の程度を確認し、殺害するかどうかを決めていた可能性がある。

日テレ

■「私は意思疎通がとれない人間を安楽死させるべきだと考えております」「重度・重複障害者を養うと莫大なお金と時間が奪われます」

■「人の心を失っている人間を私は心失者と呼びます」「最低限度の自立ができない人間を支援することは自然の法則に反する行為です」

■「私は支援をする中で嫌な思いをしたことはありますが、それが仕事でしたので大した負担ではございません。しかし、3年間勤務することで、彼らが不幸の元である確信を持つことができました」

■「責任能力の無い人間は、罪を償うことはできません。しかし、それは罪が軽くなる理由になるはずもなく、心の無い者は即死刑にすべきだと考えております。」 

人の考えは簡単には変わらない。

「意思疎通がとれない人間」は「不幸の元」であり、そうであることは彼らが生得的に犯した「罪」であり、加えて彼らは「責任能力」をもたないがゆえにその罪を「償う」ことができず、それゆえ彼らは「即死刑にすべき」だ、植松はいまもそう考えている。

そして、植松はその死刑を「安楽死の法制化」という形で公的に承認することを求め、その法制化がなされる前に私刑という形をとって彼が罪人だとみなす人々を殺害した。彼は自らの振る舞い、自らの行いをそう理解している。

必要だと思うのであえて確認しておくが、植松は当時もいまも確信犯だ。

「社会的に殺されて然るべき人とそうでない人」の境界線を揺るがしたい。「意思疎通」の有無で線を引き、あちら側に認定された人の命が奪われることを公的に承認したい、そう彼は欲望しているのだ。

彼に対して、そして彼が抱いた欲望に対して、私が言っておくべきだと考えることはそれほど多くはない。

私は植松のように考えない。

他人を不幸にしたからと言って殺されて良い人間などいない。人の生き死には他人に対する貢献や迷惑の多寡によって決められてよいものでは断じてない。

誤解のないように書いておくが、私は障害をもった人間が他人を幸せにするか不幸にするか、そんな答えも意味もない論点に入り込むつもりはまったくない。

どんな人間でも、障害をもっていてもいなくても、人を不幸にする、人に迷惑をかける、生きていくために金がかかる、他人の時間を奪う、そんな理由でその生存の停止を、その生命の殺害を公的に認められる存在があって良いはずがない。

私が言いたいのは単にその程度のことである。

そして、もしこの社会に私のように考える人が数多くいるとすれば、それは私たちが、私たち自身が、そうであることを選んできたからだ。集合的に、一人一人が、その選択をつないできたのである。だからこそ、今の社会が、今の社会のように、あるのだ。

このことこそがもっとも大切なことである。守りたいルール、モラルがあるのであれば、私たちはそのルールやモラルと一体であることを自ら選び続けなければならない。植松のように考えないのであれば、そのことを、私たち自身が不断に選び続けなければいけないのである。

事件直後、ネット上でさまざまな反応を目にしたときのザラザラとした感覚を私はいまも鮮明に覚えている。人の考えは簡単には変わらない。だから、短くてもはっきりと、自分の考えをここに書いておきたかった。

プロフィール

望月優大(もちづきひろき) 

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慶應義塾大学法学部政治学科、東京大学大学院総合文化研究科修士課程修了(ミシェル・フーコーの統治性論/新自由主義論)。経済産業省、Googleなどを経て、現在はIT企業でNPO支援等を担当。関心領域は社会問題、社会政策、政治文化、民主主義など。趣味は旅、カレー、ヒップホップ。1985年埼玉県生まれ。
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関連エントリ

「投票率がとても低い」ということについて

こちらの記事を読んで。

マクロン新党の勝利の意味 | 鈴木一人 | コラム | ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト

6月に行われたフランス国民議会選挙の最大の特徴は投票率の低さであった。投票率は42.6%で、1958年に始まったフランス第五共和政で最低の投票率。左右既存政党に対する信頼感が低下した結果、今年4~5月に行われた個人を選ぶ大統領選ではマクロン、ルペン、メランションという政治姿勢を異にする3人のポピュリストたちが躍進した(投票率は1回目が77%、2回目が65%)。しかし、政党を選ぶ議会選においては、投票に行く人の絶対数自体が前回の議会選と比較して大きく減少してしまったのである。

今回の国民議会選挙でもっとも大きな特徴というのは、やはり投票率の低さ(フランスでは棄権率の高さと表現される)であった。約42.6%という、第五共和制が発足してから最低の投票率であり、これまでの最低であった2012年の国民議会選挙の55.4%を下回り、50%を切るという大幅な落ち込みである。

上記記事中でも紹介されているこちらのグラフに明らかなように、大統領選から議会選にかけてとくに得票数を落としたのは左右のポピュリスト政党であった。すなわちルペンの「国民戦線」とメランションの「不屈のフランス」である。それぞれグラフの左端から2番目と4番目に位置している。

http://www.newsweekjapan.jp/suzuki/2017/06/22/DCHE9sxXkAApILK.jpg
(出典 Twitter @mathieugallard )

グラフからは、両党ともに大統領選(青のバー)の半分以下の得票数しか議会選(オレンジのバー)では得ることができなかったということが見て取れる。

ここから見えてくるのは、大統領選でルペンやメランションという「個人」に投票した人々の多くは、議会選で「国民戦線」や「不屈のフランス」といった「政党」には投票しなかったというシンプルな事実である。そして、この現象が何を意味しているかと言えば、フランスの有権者のなかで、「ここに投票したいと思える政党がない」と感じている人の割合が増えているということだろう。

それは伝統的な政党による組織的な集票力が落ちているということの証左であり、同時に新興政党の組織的な集票力がまだ十分でないということの現れでもあるだろう。大統領選であれば、空中戦的にメディアをうまく活用することで、特定の個人に対する得票を集める力が生まれやすい。しかし、多数の候補が同時に出馬する議会選ではそうした力学も働きづらくなる。

周知の通り、日本の衆院選における投票率も同様の状況にある。以下の黒線が全年代合計の投票率であり、色付きの線は年代別の投票率だ。浮き渋みはあれど、どの年代でも低下のトレンドにあると言うことはできるだろう。とくに若年層の投票率の低さは際立っている。

http://www.soumu.go.jp/main_content/000255963.jpg

(出典:総務省

こうした数値を見るにあたって気をつけるべきなのは、投票率が低い、あるいは低下しているということを、人々の政治一般に対する意識の高低に還元して理解しようとしてはならないということだ。

なぜなら、たとえある人の政治意識がとても高かったとしても、提示された選択肢の中に自らを認めることができなければ、「どこにも投票しない」という行動にいたることは多いにありえるからである。むしろ、そのような状況にいたったときこそ、人は議会政治一般に対する大きな失望やジレンマを感じるのではないだろうか。

投票率が徐々にゼロに近づいていくということは、人々が非政治化していくということと同義ではない。あるときまで潜っていた人々の政治的意思や不満が何かの拍子に表舞台に流れ込んでくるということは大いにあり得るし、そうすること自体を目的とする政治的キャンペーンによって、その社会における政治的対立が必要以上に先鋭化していくということもあるいはありえるのではないかと思う。

投票率が42.6%しかないということは、政治的権利を持つ人たちの半分以上がその権利を行使しなかったということを意味する。「民主主義」という大きな理念や建前自体が残る以上、そうした理念を公式の制度が吸収する力を失っていくということの意味を私たちは改めて深く考えておく必要があるのではないだろうか。放置すればするだけ、あとで大きなしっぺ返しを食らうことになるような気がしてならない。

プロフィール

望月優大(もちづきひろき) 

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『人生の全てがゼロになる「クリティカルポイント」で、私は難民支援協会に出会った。』

昨日6月20日は「世界難民の日」でした。普段から応援している難民支援協会(JAR = Japan Association for Refugees ※読み方は「ジャー」)というNPOのスペシャルイベントがあり、会場提供のサポートを行いました。

Refugee Talk-難民を学ぶ夕べ*世界難民の日特別版*|講座・イベント − 認定NPO法人 難民支援協会 / Japan Association for Refugees

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イベントではエチオピアから日本に逃れてきた難民のアブドゥさんという方が実際にいらっしゃり、エチオピアと日本での自らの体験についてお話を聴かせてくださいました。とても多くの学びがあるお話だったのでその内容をぜひ紹介させてください。(完全な書き起こしではなく、内容を損ねない範囲で一部再構成しています。)

登場人物

  • アブドゥさん
    エチオピアから2014年に日本に逃げてきた難民の方。エチオピア最大民族のオロモ民族の男性。37歳。元々は科学の先生だったが、父親が反政府運動を行っていたため家族ごと政府から狙われ国を出ることを決意。日本での2年半の難民申請期間を経て2016年に難民認定。現在は八王子の工場で働きながら上智大学に通っている。エチオピアにまだ6人の家族(母、妻、2人の息子、2人の娘)を残している。イスラム教徒。
  • 野津さん
    JARの広報担当。アブドゥさんのお話の聞き手役。解説役。野津さんとは以前一緒にイベントを企画したこともあります。(参照→ 私たちは私たちの(無)関心とどう付き合うか。ムクウェゲ医師と『女を修理する男』上映会の記録。 - HIROKIM BLOG / 望月優大の日記 )

野津さんからのイントロ。エチオピアについて。

野津さん 昨年のリオ五輪男子マラソン銀メダルのリレサ選手のゴールシーンを覚えているでしょうか。彼はエチオピアのオロモ民族の出身で、オロモ民族に対する迫害を国際社会に訴えるために抗議のポーズでゴールをしました。

今日のゲストのアブドゥさんもオロモ民族の方です。エチオピアでは人口の4割を占める最大民族であるオロモ民族ではなく、数の上では少ないティグレ民族が政治的な力を持ってきたという歴史があります。

とくに、2015年11月に政府が「首都のアディスアベバを拡大する」という方針のもとにオロモ民族の土地の強制的な収容を開始して以降、オロモ民族による抗議運動が活発化しました。一連の動きのなかで、平和的なデモの参加者が400人も殺害され、数万人が逮捕されたとも言われています。

今日のゲストのアブドゥさんはイスラム教徒なのですが、現在はラマダンの期間で、早朝陽がのぼる前に少し食事をされ、日中は水もまったく飲まずに、先ほど少し水を飲まれてからこのイベントに臨まれています(※イベントは19:30からでした)。

それでは、早速アブドゥさんをお迎えしましょう。

エチオピア時代の話。もうエチオピアには戻らないという決意。

アブドゥさん 1992年から父が「オロモ人民民主機構」に参加していました。そのため、家族も政府からターゲットにされていました。結果として、大学に行くために必要な推薦状を地域から得られなかったり、仕事をクビになったりしました。おじもターゲットだったのですが、なんども牢獄に入れられ、そのあと外国に逃げました。

私のエチオピアでの仕事は科学の先生で、JICAのプロジェクトにも関わっていました。科学教育を開発するリサーチプログラムのコーディネートをしていました。しかし、こうした状況だったこともあり、どんな手を使ってもエチオピアから逃げたいと思っていました。JICAのプログラムで日本に行くチャンスを得たときには「もうエチオピアには戻らない」と決意しました。

日本に来てからの話。全てを失って「クリティカルポイント」まで落ちていった。

野津さん アブドゥさんはJICAのプログラムで来日しました。その後ホームレスになり、JARの支援で難民申請のプロセスに入りました。その後JARによる就労支援の結果仕事も見つかりました。難民申請も2年半に及ぶプロセスを経て最終的に通り、いまにいたっています。

アブドゥさん U字型の放物線のグラフを思い浮かべてください。左上から中央下を通って右上に至る放物線です。一番底の点がx軸とy軸の両方がゼロの地点です。

エチオピアにいたころ、私には仕事がありました。家もありました。子どもがいて、家族がいて、友達や同僚もいました。日本に来て、私はそのすべてを失いました。お金がない、家もない、食べ物もなく、友達もいない。そして、自分自身への自信も失っていました。

この全てを失った地点、この地点がターニングポイント、本当にクリティカルなポイントでした。自らへの自信を失い、人生のすべてがゼロに向かって落ちていきました。

そのころ(※ホームレスをしていたころ)、私はわずかなお金を持っていました。本当に一文無しだったわけではありません。しかも、3ヶ月間有効な合法のビザも持っていました。でも、自信を失っていたんです。

駅で駅員を見るといつも、自分を捕まえにきた警官だと思って怯えていました。どの駅でもそうです。JICAが自分を捕まえるために送り込んだ警官だとさえ思っていたのです。それぐらい私は自信を失っていました。ものすごいフラストレーションでした。本当にタフな時期だったと思います。

私は何かを食べられる場所として吉野家しか知りませんでした。そこにばかり行っていたのです。しかし、吉野家に行くには交番の脇を通らなければなりませんでした。だから、どんなに空腹でも、吉野家に行くことすらためらっていたのです。

すべてがゼロに向かっていきました。持っていたすべてを失っていました。何かを変えるには誰かの助けが必要でした。誰でもいいから自分の状況を変えてくれる人を探していました。

そして、ある日、エチオピア人のコミュニティと出会うことができました。そして、彼らがJARのことを教えてくれたのです。放物線の底、x軸とy軸がゼロとゼロのときに、私はJARを必要としていました。ゼロからマイナスに落ちてしまう前に、誰かの助けを必要としていたのです。

JARは最初に私に食料や泊まる場所(シェルター)、そしてお金のサポートをしてくれました。それらが私の人生を変えました。ほんとうにJARに感謝したい。そして、今もここにいる人たち、JARを支援する人たちに感謝したいと思います。臨界点で出会ったJARこそが私を救ってくれたのです。

JARに出会ったあとの話。難民申請のプロセスに入る。

アブドゥさん JARは難民申請を含むさまざまなことについてのガイダンスをくれました。どこにどうやって行くかを導いてくれました。

私は入国管理局で難民申請をしました。しかし、入国管理局で申請者の長い長い列を見たとき、絶望的な気持ちになったことを覚えています。私はアムハラ語も英語もできますが日本語は読むことも書くこともできません。自信を失って気持ちも落ち込んでいましたから、申請のプロセスに入っていくということ自体がとても大変だでした。

野津さん 補足します。難民申請の最初に記入が必要なフォームは多言語に対応しています。しかし、自分が「難民」であることを証明する資料、すなわち自国に帰れないということの証拠書類は日本語でないと見てもらえないことが多く、その書類を日本語にするための翻訳作業が非常に高いハードルになっています。(参考記事:日本の難民認定はなぜ少ないか?-制度面の課題から|活動レポート|難民支援協会の活動 − 認定NPO法人 難民支援協会 / Japan Association for Refugees )

アブドゥさん JARから弁護士を紹介してもらって難民申請のプロセスを進めました。証拠書類をアムハラ語からまず英語に翻訳し、その次に日本語に翻訳したのでとても大変でした。また、そもそもの書類をエチオピアから郵送する必要があり、それにもとても時間がかかりました。

難民に関してのレポートを読んで前年の難民認可が6人だと知ったときのことを覚えています。入国管理局でたくさんの人が申請していたのを知っていましたから、まさか自分がそのうちの1人になるだろうとは思えませんでした。ほんとうにわずかな可能性だと思っていたのです。様々な書類の作成も、弁護士の方のサポートがあったからこそできたことです。自分一人ではできませんでした。

野津さん 外資系の弁護士事務所を中心に、JARとして提携している事務所が11程度あります。外資系の事務所にはプロボノ文化があり、業務時間のいくらかをプロボノに使うということが決まっているのです。しかし、法律事務所としても担当できる人数に限りがありますので、すべての申請者に弁護士を紹介できているわけではないという現実もあります。

アブドゥさん 難民申請をしたあと、政府から6ヶ月のビザが交付されました。このビザでは働くことはできません。政府の難民事業本部(RHQ =Refugee Head Quarter)から家賃や生活費のサポートを受けました。

私は葛飾区に住んでいました。保護費の上限の範囲内の家賃で住めるところを紹介してもらいました。腕を伸ばしたら壁にも天井にもぶつかってしまう。それくらい小さなアパートでした。でも、駅で怯えていたときに比べたら全然良かったです。何より安全だったし雨にも降られません。

野津さん アブドゥさんは難民申請前に3ヶ月のビザを持っていましたが、難民申請後に特定活動6ヶ月というビザに切り替わりました。これによって政府から保護費として家賃や生活費のサポートを受け取ることができるようになります。しかし保護の範囲は狭く、家賃は上限4万円、生活費は成人男性で1日1500円です。これで光熱費も含めてすべての費用をやりくりする必要があります。就労はできません。

八王子にある工場で働き始める。キーワードはダイバーシティ。

アブドゥさん 難民申請が受理されるまでのあいだ、6ヶ月ビザが切れるたびにビザを再申請することになるのですが、そのうちに就労許可がおりました。そこで、JARの仲介で八王子にある「栄鋳造所」という会社と出会い働き始めることになりました。私の人生がゼロの臨界点から少しずつ上がってきました。

日本語については、まず市役所でボランティアの方から学びました。そのあと会社でもサポートしてもらいました。働きながら日本語を学びました。

家については、引っ越しに必要な初期費用が手元にありませんでした。鍵の交換などに必要な費用です。最初の1ヶ月は会社が自社のアパートに住まわせてくれました。働き始めて1ヶ月がたち、最初の給料が出てからは家賃を払うことができるようになりました。

人は生き延びてはじめて未来について考えることができるようになります。私は何をするべきかチェックリストにしていきました。そして、車の免許をとること、そして大学に行くことを考えるようになりました。上智大学の地球環境法学科を志望し、最終的に学費の半分を奨学金としていただく形で合格することができました(※詳細後述)。

会社では、鋳造、仕上げ、検査、営業といった仕事があるのですが、私は最初仕上げから始めました。冷却板を作る会社でいま2年目です。いまは営業に移っています。こう聴くと簡単な変化に聞こえるかもしれませんが、その間にとてもとても多くの挑戦がありました。私は元々科学の教師だったのです。そこから工場で働くことへの適応には技術、そして言語といった様々な面で大きな壁がありました。

野津さん アブドゥさんが勤める栄鋳造所は、JARとしての就労支援活動における最初のパートナー企業です。鈴木社長は自社の生き残りのためには海外展開が必須と考えました。しかし、元々の社員には英語や外国人へのアレルギーがありました。

そこで、社員のマインドを変えていくためにまずは社内で多様性をつくろうと考え、難民バックグラウンドをもつ方を何人も採用されて、実際に活躍されています。経産省による「ダイバーシティ経営企業100選」にも選ばれているんです。

(※鈴木社長の記事をいくつか見つけました。ぜひ一度お話伺ってみたいです。)

アブドゥさん 韓国、イラン、カメルーン、エジプト、エチオピア、そして日本。違う文化の人たちが集まって、同じ目標に向かって仕事をする。これはとても大変なことです。

一つ例を挙げます。いま私の目の前にリモコンがありますね。これと同じことが工場であったとします。このリモコンを使うのに黙って使ってもよいのか、それとも誰かに聴いてからでなくてはいけないのか。これが文化によって全然違います。文化の違いです。こういったことがたくさんあります。お互いを理解する必要があります。

2年半かかって難民認定を受ける。その後。

アブドゥさん 難民認定を受けるまでに全部で2年半かかりました。上智大学には願書を出して一度退けられていたのですが、6ヶ月しかビザがないのにプログラムが2年あったということが理由だったのかもしれません。

「失敗は成功のもと」ということわざもあります。あきらめなくなかったので、もう一度トライしました。難民認定を受けたからもしれないし、それ以外が理由かもしれませんが、今度は合格することができました。

また、難民認定を受けたことで、難民事業本部が23区内でやっている日本語教育のクラスに出ることができるようになりました。

野津さん 認定を受けた人のみ受講可能な日本語の授業で、半年間平日に毎日開催されます。

アブドゥさん 学校は23区内にあり、会社は八王子にありました。どちらをとるかの選択を迫られたのです。鈴木社長に相談したところ、「その期間の給料は全額払うから勉強してきていい」と言ってくれました。本当に感謝しています。鈴木社長、日本語の先生、RHQ、JARに感謝しています。

最後に。難民の存在はその国の症状だと思ってほしい。そして、根本原因の解決を。

アブドゥさん 最後にメッセージがあります。頭痛はさまざまな病気の症状(symptom)の一つです。その原因は風邪かもしれないしほかの病気かもしれません。そして、痛み止めを飲むことによっていっときの解放を得ることができます。

いま、世界中で難民の数が増えている、そして日本でも難民申請者の数が増えている、そのことを「様々な国で起きている問題の症状」だと考えてみてください。その国の政治や民主主義に問題がある、その国に良い統治(good governance)がない、そうした問題の症状だと考えてみてください。

私は日本に来て多くの方に支えられ、それによって痛み止めをもらったと思っています。しかしまだ根源的な痛みが残っているのです。家族はまだエチオピアにいます。根本原因(root cause)について考えましょう。根本原因を解決しなければいけないのです。

野津さん 補足です。アブドゥさんの6人の家族はまだエチオピアにいます。アブドゥさんは1人で逃れています。今の日本の制度だと、難民認定を受けるにいたるまで、自分の家族を呼び寄せるというプロセス自体を開始することができません。

根本原因と症状。私たちにできることは。

ここからは望月の簡単な感想です。アブドゥさんの言う通り、難民問題は根本原因(root cause)の解決と実際に発生している難民の方の支援(症状への対応)の両面で取り組む必要があります。

何度かこのブログで取り上げてきたコンゴの性暴力と難民発生の問題も同じ構造です。

難民問題には両方の側面が存在することを理解し、自分たちにできることを模索していければと思います。一つの方法はJARのように日本国内で難民支援を行っている団体を応援するということです。彼らは現場の緊急支援から政策提言まで幅広く行っています。私自身、そうした思いからイベントへの協力などを通じて支援を行ってきました。

現在JARはより多くの難民の方が安心して過ごすことのできる規模の事務所への移転プロジェクトを進めており、寄付を募っています。私も現在の事務所に何度かお邪魔したことがあるのですが、かなり手狭になっており、パンク状態というのもよくわかります。一人でも多くの方がクリティカルポイントから抜け出すためにとても大切なプロジェクトだと思います。こちらに寄付するのも良いと思います。

https://www.refugee.or.jp/images/cp2017anshin/mainimg_anshin2017_2.png

私も少額寄付をさせていただきました。これからも自分にできることを模索していければと思っていますし、情報のインプットと様々な形での発信を続けていきたいと考えています。

プロフィール

望月優大(もちづきひろき) 

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書評『分解するイギリス』(近藤康史)

イギリス政治の専門家によるイギリス政治入門の書。本質的な内容がわかりやすくまとめられており、大変勉強になった。イギリス政治の理解に役立つだけでなく、長らくイギリスを目標に政治改革を行ってきた日本政治を考えるうえでも必読の一冊だ。なぜなら、著者はその目標たるイギリスモデルの変容を論じているからである。

分解するイギリス: 民主主義モデルの漂流 (ちくま新書 1262)

分解するイギリス: 民主主義モデルの漂流 (ちくま新書 1262)

 

イギリスの民主主義は「ウェストミンスター・モデル」とも言われ、議会制民主主義の一つの範型とされてきた。本書では、そのモデルが「複数の制度的パーツ」の組み合わさりによって構成されていること、そして近年になって一つ一つのパーツに変化が起こり、総体としてのモデルが大きく変容していることが論じられている。

複数の制度的パーツとして以下6つの制度的特徴が挙げられている。

  1. 議会主権
  2. 小選挙区制
  3. 二大政党制
  4. 政党の一体性
  5. 執政優位
  6. 単一国家

日本と同様の議院内閣制を取るイギリスでは、議会の多数派が首相を選出し、執政府たる内閣をつくる。選挙制度は小選挙区制であり、一つの選挙区で一人だけが選出されるので大政党に有利である。これらの制度を背景に、長らく保守党と労働党という二大政党のどちらかが議会の半数以上を占める状況が続き、どちらが優位に立つかという変化(=政権交代)は起これども、全体としては安定した政治状況が維持されてきた。

加えて、両党ともに党内の一体性を生み出すための規律のシステムを備えており、選挙の際には党としてのマニフェストが有権者に示される。したがって、有権者としては2つの選択肢から1つを選ぶことで、議会の多数派、首相、内閣を直列で選択するというシンプルな構造になっている。ちなみに、二院制ではあるが、下院が上院に優越していることで、両院間の多数派がねじれることによる停滞も起きづらい。

これらの要素の重なり合いによって、国政選挙で多数を獲得した政党が、次の選挙までの間は安定的な権力を維持することができる。これを「選挙独裁」と称する見方もあるが、権力を持つ与党の立場にあっても、常に野党との競争関係に晒されることによって一定のガバナンスが働いている。これが、ウェスト・ミンスターモデルと呼ばれるイギリス政治のあり方である。

繰り返しになるが、本書で論じられていることは、このウェストミンスター・モデルのあり方に近年大きな変容が生じているということである。すべてをこのブログで説明することはできないが、根本的であると感じた点について簡単に記しておく。それは、議席率と得票率との乖離がどんどん広がっているということであり、それによって著者が「民意の漏れ」と呼ぶ現象がどんどん大きくなっているということだ。

簡単に言うと、戦後すぐの時代は二大政党への得票が全体に占める割合が非常に高く、その他の政党が得る得票がとても少なかった(=二大政党合計での得票率が高いということ)。さらに、大政党に有利な選挙制度である小選挙区制が採用されていることによって、実際の議席の配分については二大政党が占める割合が得票率よりもさらに高く推移してきた(=二大政党合計での議席率が得票率よりもさらに高いということ)。

それに対して近年になって起きていることは、まず、二大政党合計での得票率がどんどん下がっているということだ。近年は70%を切るところまで低下している。これは、自由民主党やイギリス独立党(UKIP)、スコットランド国民党(SNP)といった政党への支持が伸びた結果である。得票率という観点からはすでに二大政党制から多党制に近い状況に変わってきているということがわかる。

しかし、にもかかわらず、小選挙区制の特性がゆえに、議席率についてはまだ二大政党で85%以上を占めている(2015年)。これでも戦後すぐよりはかなり低下しているが、得票率ほどには下がっていない。その意味ではまだ二大政党制としての特徴を強く残しているとも取れる。

こうした状況が何を意味するか。保守党であれ、労働党であれ、議会で(絶対)多数の基盤を持っている政党であったとしても、人々から得ている得票の割合は年々減少しているということ、したがってそれと連動するように、「ときの政権に代表されていないと感じる人々」の割合がどんどん増えているということである。繰り返しになるが、著者はこの現象を「民意の漏れ」と呼ぶ。

そして、この構造が事実として示されたのがイギリスのEU離脱をめぐる昨年6月の国民投票であった。これが著者の見立てである。EU離脱への支持は政党を超えて広がっていた。よく知られているように、保守党のキャメロン首相はEU離脱に反対であったが、同じ保守党内にEU懐疑派と呼ばれる勢力を抱えていた。労働党支持者にもEU離脱を支持するものが一定数いた。

そして、EU離脱を強く訴えてきたナイジェル・ファラージ率いるイギリス独立党(UKIP)は、これまで小選挙区制の壁に阻まれて議会内では大きな勢力たり得なかったものの、実は得票率という意味ではすでに10%以上を獲得する勢力に育っていた(=第三政党以下における得票率に比して低い議席率)。そして、比例代表制をとるEU議会選挙では、2014年にUKIPはイギリスでの最大政党にまでなっていたのである。

ウェストミンスター議会では十分に代表されてこなかったUKIPの支持者たちは、国民投票でその存在感をおおいに示すことになった。そして、二大政党の支持者たちの多くも、政党を横断する形で、EU離脱を支持する一票を投じたのである。

そもそも、議会主権を錦の御旗として掲げるイギリス政治において、議会外の国民投票を呼び出さなければならないということ自体が多くを物語っている。それは、EU離脱という特定イシューに関する各政党内の凝集力が失われているということの結果であるし、人々の立場と二大政党の立場のあいだでズレが大きくなっているということの証でもあるわけだ。

いまの政府が自分の意見を代表していない、そして二大政党のどちらが政権を担っても自分の意見が代表されたとは感じられない。そう考える人々が増えている。彼らは二大政党以外の政党に投票する。あるいは投票そのものを放棄したり、議会外のデモ活動に積極的に参加したりする。そうした状況がイギリスで発生している。

そして、その状況を前提に、ときの政権が党内対立を押さえ込み、人々の支持を調達するために、特定のイシューについての意思を国民に直接問う国民投票や住民投票が呼び出される。当然、そこでは議会は迂回されることになる。同じ「民主主義」でも、議会主権と国民投票は全く異なるものだ。

EU離脱の国民投票、スコットランド独立に関する住民投票、どちらも同じ構造である。民意を代表しているとされる議会で決着がつけられないイシューの出現によって、議会主権を中心に据えるイギリス民主主義のあり方そのものが変容を迫られている

こうした現象は民主主義という政治制度にまつわる根源的な問題が噴出していることの現われであるだろう。そして、形は異なれど、イギリス以外の多くの国でもこうした「民意の漏れ」という現象が現在進行系で起きているのではないかと考えさせられる。もちろん、日本も例外ではない。

分解するイギリス: 民主主義モデルの漂流 (ちくま新書 1262)

分解するイギリス: 民主主義モデルの漂流 (ちくま新書 1262)

 

 近藤氏のその他の著作も手に取ってみたい。

社会民主主義は生き残れるか: 政党組織の条件

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個人の連帯―「第三の道」以後の社会民主主義

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プロフィール

望月優大(もちづきひろき) 

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慶應義塾大学法学部政治学科、東京大学大学院総合文化研究科修士課程修了(ミシェル・フーコーの統治性論/新自由主義論)。経済産業省、Googleなどを経て、現在はIT企業でNPO支援等を担当。関心領域は社会問題、社会政策、政治文化、民主主義など。趣味は旅、カレー、ヒップホップ。1985年埼玉県生まれ。
Twitter @hirokim21
Facebook hiroki.mochizuki

バーナンキが日本に推奨する「財政政策と金融政策の連携」の意味

アメリカの前FRB議長ベン・バーナンキが5月24日に日本の金融政策について語った内容が翻訳されて話題になっていた。 

ベン・バーナンキ「日本の金融政策に関する考察」 – 道草

とても興味深い内容なのだが、日本語訳で1.5万字以上あるということと、専門性が高くて読み切れていないという方も多いだろうと思う。サイトに彼自身による要旨が掲載されており長さやわかりやすさの点で優れていると感じたので、簡単に訳出することにした。

Some reflections on Japanese monetary policy | Brookings Institution

翻訳(太字強調は訳者)

これまで何年間にもわたって、私は日本の金融政策立案者たちがデフレ脱却の試みのなかで直面している挑戦についてたくさんのことを考え、そして書いてきた。そのなかでも早い時期に属するいくつかの書き物のなかで、私は、日銀がより強く決意を示しさえすれば、これらの問題はたやすく解決できる、そのように主張していた。しかし、近年日銀が実際に強い決意を示しており、そしてその結果は一般的に良いものではあるものの、デフレが決定的に克服されたとまでは言えない状態である。特に、日銀は毎年のインフレ率を持続的に2%以上にするという目標を達成することに関する困難を抱えてきた。

5月24日に日銀で行なった公演で、私は私自身が過去に行ってきたアドバイスを振り返り、それがいかに時間のテストに耐えてきたかどうかについて確認した。そして、もし現在の政策フレームワークがインフレ目標を達成するのに不十分だとすると、日銀はほかにどんなオプションを検討しうるかに関するいくつかの考えを提供した。

私の主要な結論のうちのいくつかは以下の通りである。

  1. 日銀はインフレ目標の断固たる追求を止めるべきではない。現在、いくつかの指標において経済のパフォーマンスが好調であってもなお止めるでべきではない。ほかにも理由があるが、もっとも重要なことは、インフレ率と利子率を高めることが、日銀が将来の景気後退に対応する能力を高めることによって、経済の安定性を促進するということである。
  2. 日本の金融政策は2013年からとても積極的になった。安倍晋三が選挙で首相として選ばれたこと、そして彼が黒田東彦を日銀総裁として選んでからのことである。黒田の「質的・量的緩和(QQE)」プログラムはいくつかの重要な利点をもたらしてきた。それにはインフレ率の上昇、名目GDPの成長、そして労働需給の逼迫が含まれる。最近なされた日銀におけるフレームワークの諸変更はそうした利点をより持続的なものにするだろう。しかしながら、日本経済のいくつかの特徴、そして過去の政策の遺産、それらが相まって、日銀が掲げるインフレ目標のより迅速な達成を妨げている。目標がこれから数年以内に達成されるか否かはまだ不確定で、部分的には中央銀行がコントロールできない要因に依存している。
  3. もし現在の政策群が十分でないとした場合、どんなツールが残っているだろうか?日本の金融当局自身によるさらなる大規模な緩和の余地は限られているように見える。というのは、国債の利子率が長期のものも含めてゼロ近辺に張り付いており、実質利子率を低下させるためにインフレ期待を上昇させるということの困難が証明されてきているからだ。より多くの刺激が必要だとするなら、もっとも可能性がある方向性は財政政策と金融政策の連携であるだろう。すなわち、新規の財政支出や減税が債務GDP比率に与える影響を相殺するために必要なだけ、一時的にインフレ目標を上昇させることに日銀が合意するということだ。そうした協調こそが、日本の財政状況を悪化させることなく、あるいは日銀の独立性を傷つけることなく、日銀が探し求めている追加の総需要の創出を助けることができるだろう。 

感想・まとめ

私は金融の専門家ではないので、バーナンキが述べているテクニカルな部分の詳細すべてについて完全に理解できているわけではない。しかし、彼が語っていることの本筋はおそらくこういうことだ。

  1. インフレ目標を達成することは相変わらずとても重要だが、それを日銀、金融政策の努力だけで達成することの困難は認めざるを得ない状況になっている。
  2. この限界を突破するためには、政府による財政政策の積極化による追加の総需要創出が必要になるが、政府は債務対GDP比の制約下にあるため、これに及び腰になってしまう構造がある。
  3. したがって、デフレを脱却するためには、財政政策の積極化が直ちに債務対GDP比の悪化に結びつかない状況をつくりだす必要がある。そして、それは「財政政策と金融政策の連携」によって可能になる。すなわち、財政政策の積極化(追加の財政支出や減税)によって生じる債務対GDP比の悪化は、金融当局による将来のインフレ誘導によって相殺することができる。ここでのポイントは、金融当局によるコミットメントを信頼する主体が、これまでの一般大衆から政策当局者や法案立案者だけに限定されているということにある。

講演中、この核心部分について論じているパートがあるので、先の翻訳記事より引用する(誤字を一箇所修正)。太字強調は引用者。

中央銀行単独の行動が限界に達している時、普通は財政政策が代替策になる。だが、日本では既に存在する高水準の債務残高対GDP比の結果として、財政政策でさえ制約に直面しているのかもしれない。そうなると、金融政策と財政政策の連携の話に行かざるを得ないと私は考えている。そうした連携策を実行する手段は数多くあるが、実行可能なアプローチの鍵となる要素は、(1) 政府が新たな支出か減税プログラムを約束する事と、(2)そのプログラムが日本の債務残高対GDP比に与える影響を相殺するのに必要な手段を実行すると中央銀行が約束することです。

私の提案の文脈は、一般大衆はインフレ率をオーバーシュートさせるという中央銀行の主張を信じる必要はなく、政策当局者や法案立案者だけが信じればいいと言うことです。おそらく、政府が、マクロ的な状況からそれが正当化できる時に、拡張的な財政プログラムを承認しないことの鍵となる理由は、結果として国の債務が積み上がることを心配するからです。もし法案立案者が、金融政策はその積み上がった債務を相殺するために使われると信じるなら、彼らはもっと積極的に行動するかもしれない。さらに言えば、彼らは、金融政策は財政政策と相反するものでなく、財政乗数を増やし、「対価に見合う価値」以上のものをもたらすものだと理解するでしょう。 

財政当局を安心させることができれば、総需要の創出につながる積極的財政を実現できる。そして、財政当局を安心させることは、金融政策側のコミットメントによって可能になる。こうした財政政策と金融政策の相互協調の図式が論じられている。

さらに、バーナンキは、この財政政策の積極化の中身についても若干触れている。総需要を増やそうという一般論は良いとして、具体的に何に使うのが良いか、ということである。こちらも翻訳記事より引用。太字強調は引用者。

ここでは、この仮想的な財政プログラムの内訳には立ち入りません。ただ、このプログラムをアベノミクスの3本目の矢である構造改革を前進させるために使うと有益であると指摘しておきます。そして、構造改革は長期的な成長率を上げるために欠かせないものです。例えば、再訓練プログラムや所得補助は非効率部門を改革する際の抵抗を和らげることができるし、照準を定めた社会福祉は女性や高齢者の労働参加を増やすのに役立てることができる。 

追加的な財政支出を、長期の成長率に関わる構造改革を推進するために活用しようというアイデアである。すなわち、構造改革のために追加の財政支出をしようということだ。

一般に構造改革と聞くと、政府支出の削減や規制緩和をイメージされる方も多いかと思うが、ここでバーナンキが推奨している内容は、産業間の労働移動を可能にするための積極的労働市場政策(再訓練プログラムや所得補助)と、それに加えて社会福祉領域への積極的な財政投入とそれによる女性や高齢者の労働参加の促進である。

ちなみに後者については保育や介護など社会福祉の充実によって労働参加が促進されるという側面と、社会福祉領域自体がより大きな雇用の受け皿になるという意味の両方が含まれているだろうと思う。

ーーーーー

この講演を読んで私が学んだことはいくつかあるが、もっとも重要なことは、財政政策の積極化が一部の貧しい人々や弱者にとって必要であるというだけではなく、日本経済全体としてデフレから脱却していくのにも必要だということではないかと思う。当たり前のことなのかもしれないが、この2つを分けて理解することはとても大切なことだ。

そして、財政政策の積極化を実現していく際にボトルネックになるのが、毎度緊縮財政が要求される根拠となる財政の健全性(≒債務対GDP比)であるわけだが、しかしながら同時に「財政政策と金融政策の連携」によってそのボトルネックを突破できる可能性があるーーこうした理路が信頼できる経済学者から示されたということに、私は一つの希望を感じた。 

プロフィール

望月優大(もちづきひろき) 

f:id:hirokim21:20160904190326j:image
慶應義塾大学法学部政治学科、東京大学大学院総合文化研究科修士課程修了(ミシェル・フーコーの統治性論/新自由主義論)。経済産業省、Googleなどを経て、現在はIT企業でNPO支援等を担当。関心領域は社会問題、社会政策、政治文化、民主主義など。趣味は旅、カレー、ヒップホップ。1985年埼玉県生まれ。
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書評『ユマニチュード入門』

読まねば読まねばと思っていたこの本、ようやく読むことができた。フランスで看護・介護の分野に関わり、「ユマニチュード Humanitude」という技法、そして哲学を生み出したイヴ・ジネスト氏とロゼット・マレスコッティ氏による本である。日本への紹介者である本田美和子氏との共著という形を取っている。

すでにとても著名な本でもあり、やはりというか、素晴らしい内容だった。内容をご存知の方にとっては今さらになってしまうかもしれないし、介護や看護の現場に疎いということへの引け目もあるが、あくまでこの本を読んだ現時点での私の感想ということで、簡単にまとめておこうと思う。

ユマニチュード入門

ユマニチュード入門

 

この本が訴えていることは、認知機能や身体機能が弱った高齢の方たちも人間らしく扱われるべきであるということ、そしてそれは彼らがユマニチュードと呼ぶ技法を用いれば可能であるということ、この2つである。

この主張は、ますます高齢化が進み、施設や家庭での介護を受ける人の数が増えていく時代を生きる私たちにとって、明らかにとても重要な意味を含んでいる。著者たちは「人間のための獣医」になってはいけない主張するが、果たしてそんなことが本当に可能なのだろうか。

人間の、動物の部分である基本的欲求に関してのみケアを行う人は「人間を専門とする獣医」です。人にケアをするにあたって、自分が獣医でありたいと願う人は多くはないでしょう。人間の特性に対してケアを行うことによって初めて、「人間を専門とする獣医」ではなく「人のためにケアをする人」になることができます。(p32-33)

この「人間の特性に対してケアを行う」ということこそがユマニチュードの根幹にあるのだが、それは次の4つの要素をその柱としている。

f:id:hirokim21:20170604112631j:imageユマニチュードの4つの柱(p41)

  1. 見る
  2. 話す
  3. 触れる
  4. 立つ

この4つである。私自身は現場に関する知識に乏しいが、本書の説明によると、現実の介護や看護の現場では、さまざまな理由や経緯からユマニチュードの主張と反対のことが行われていることも多いという。一つの象徴となっているのが、著者たちが「抑制」と呼ぶ状態、すなわちベッドやいすに縛り付けられた状態のことである。これは、転倒や徘徊のリスクを鑑みて、また介護業務を効率的に行うために、「仕方なく」「ほかにしようがなく」なされていることが多いのだという。

しかしながら、それによって運動機能や認知機能はみるみる低下し、悪いスパイラルに入ってしまうのも事実だ。例えば、本書では「ベッド上安静は1週間で20%の筋力低下をきたし、5週間では筋力の50%を奪ってしまいます」(p.22)と述べられている。「仕方なく」実施されている抑制には、それに伴うさまざまな害があるということだ。

f:id:hirokim21:20170604113120j:image抑制の害(p30)

著者たちが訴えるのは、ユマニチュードの技法を取り入れることで、抑制なしに介護や看護をすることが可能になるだけでなく、ケアを受ける側、そしてケアをする側の両方の尊厳や満足感を高めることも可能になるということである。

見る、話す、触れる、立つ、それぞれに関わる技法についてこの記事で一つずつ触れることはできないので、ここでは「話す」に関わる「オートフィードバック」という技法を紹介する。ユマニチュードが技法であるということの意味をとてもよく伝える技法だと思ったからである。どういうことか。

ユマニチュードの哲学の本質は「あなたのことを、わたしは大切に思っています」と伝えること、すなわち「人間を人間らしく扱うということ」と「自分と他者とのあいだに人間らしい絆を構築しようと務めること」、ここにその本質がある。しかし、認知機能が低下した高齢者のケアをする介護者が直面するのは、例えば「話しかけても返事がない」という事態だったりする。

話しかけても返事がないのに相手に対して話しかけ続けるのはふつうに考えてとても難しいことだ。単純に間が悪いし、そんなことをしても意味がないと感じてしまうかもしれない。しかし、話しかけなくなることによって(そしてそれは見なくなることと同じなのだが)、その非-行為が「あなたは存在していない」というメッセージを相手に発することと同じ効果をもってしまう、そう著者たちは主張する。

そして、それはユマニチュードの哲学に反する。そこで彼らはこの「オートフィードバック」という技法を編み出したのだ。

ケアには、どんな形であれ、その場で行なっている行為が必ず存在します。その行為そのものを言葉にしてみたらどうか。(中略)自分たちがいま実施しているケアの内容を「ケアを受ける人へのメッセージ」と考え、その実況中継を行うのです。

f:id:hirokim21:20170604115319j:image

そのとき同時に、ポジティブな言葉、つまりケアを受ける人との良好な人間関係を築くための言葉もそこに添えます。「温かいタオルを持ってきました」「肌がきれいですね」「気持ちいいですか?」といった具合です。(中略)

f:id:hirokim21:20170604115329j:image

オートフィードバックによって、無言になりがちなケアの場に言葉をあふれさせることができます。これによって反応が少ない、あるいは反応してくれない人でも、言葉によるコミュニケーションの時間を7〜8倍に延ばせます。(p.57-59)

私はこのパートを読んでとても面白いと思った。というのは、こうした問題はなにも介護の現場に限られたことではなく、それ以外の社会にも常に存在する問題であることが直感的にわかったからである。職場でも家庭でも、複数の人がともに時間を過ごしている場所ではどこでも、どうやって他人の目を見るか、どうやって他人に話しかけるか、そうしたことにまつわる困難と私たちは常にともにある。そのことに、この部分を読んですぐに気づいたからである。 

よく考えてみれば、社会には「ケアが必要な人」と「ケアが必要でない人」がいるわけではない。たとえ認知的・身体的に「健康」であったとしても、私たちは他者とのあいだでお互いをケアし合いながら生きている。「下の世話」が必要か不要かといったことだけでなく、相手の目を見るとか、話しかけるとか、そういった日常的な行為のなかにこそ、ケアというものの本質、人間らしい暮らしというものの本質が含まれているのではないだろうか。

その視点を得たあとになって、徐々に認知機能や運動機能を失っていく人々とどう私たちが向き合っていくことができるか、そうした問題について私たちが知っていることの少なさに気づいて改めて驚くのである。著者たちが切り開こうとしているのはまさにこうした領域、あえて意識しなければ作り出す事も実践することもできない技法の領域なのだ。そのことに気づくわけである。

ケアが必要な高齢の人に対して、赤ちゃんを育てるときのような愛情にあふれた行動を自然にとる本能は、わたしたちには備わっていません。したがって、視線を受けることも、話しかけられることも、触れられることも自然に少なくなっていき、認知機能はますます悪化します。これはある意味で自然なことではありますが、唯一無二の人間として存在する可能性を奪うことでもあるのです。(p.75)

ユマニチュードが技法であると同時に哲学でもあるということの意味が少しずつわかっていただけたのではないだろうか。それは、ある種の「自然」や「仕方のなさ」に抗おうとする意思をもったものなのである。

著者たちは、ユマニチュードが可能にするものを人間の「第3の誕生」と呼んでいる。生物学的な誕生としての出産が「第1の誕生」、そして、そのあと赤ちゃんが周りの人からまなざされ、声をかけられ、触れられるという体験を通じて自分と社会とのつながりを感覚するのが「第2の誕生」である。

「第3の誕生」とは、「第2の誕生」によって得られた社会性や社会とのつながりをなんらかの仕方で失ってしまった人々に対して、ケアする人がふたたび人間らしい尊厳や関係をつむぎ直そうとすることを意味している。ユマニチュードは哲学としてその可能性を志向し、その可能性を実現するためにこそ様々な技法を開発しているというわけだ。

f:id:hirokim21:20170604121100j:plain第3の誕生(p.37)

ノックをして反応を待つ、正面から近づく、視線をとらえる、目が合ったら2秒以内に話しかける、手首をいきなりつかまない、視覚や聴覚、触覚といった複数の知覚情報を矛盾させない。こういった一つ一つの具体的な技法には、私たちの日常生活にも役立つ多くのヒントが詰まっている。

私たちは人間と人間との関係を「自然」なものと捉えてしまいがちだが、様々な技法を用いることでその関係性をより良いものに変えていくことができる。自分と他者の生を自分たち自身の手でより良いものに変えていくべきだし、それは具体的な形をとって可能であるということ、そのことをこの本は教えてくれるのだ。

ケアの実践は、試行錯誤の積み重ねでもあります。これまでの仕事の文化や方法も変えなければならなくなるかもしれません。しかし、この変革を成し遂げることで、ケアを受ける人、ケアを行う人双方が、質の高い、充足した時間を過ごすことができるようになる、とわたしたちは確信しています。(p.86)

著者たちの意思と豊かな実践を知り、私は強く感銘を受けた。

ユマニチュード入門

ユマニチュード入門

 

プロフィール

望月優大(もちづきひろき) 

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慶應義塾大学法学部政治学科、東京大学大学院総合文化研究科修士課程修了(ミシェル・フーコーの統治性論/新自由主義論)。経済産業省、Googleなどを経て、現在はIT企業でNPO支援等を担当。関心領域は社会問題、社会政策、政治文化、民主主義など。趣味は旅、カレー、ヒップホップ。1985年埼玉県生まれ。
Twitter @hirokim21
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