望月優大のブログ

見えているものを見えるようにする。

アラブの春以後の世界。マフマルバフ『独裁者と小さな孫』が映すもの。

先日の連休中に下高井戸に行った。下高井戸シネマに行くためだ。下高井戸シネマは公開から少し時間が経った単館系の映画を多く扱っていて、新宿や渋谷の映画館でやっているのを見逃してしまったときにお世話になっている。

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今回のお目当てはイラン出身の映画監督、モフセン・マフマルバフの『独裁者と小さな孫(原題:The PRESIDENT)』。彼の『カンダハール』という作品を留学時代に何回も何回も観てレポートを書いたことがあり、それ以来思い入れのある映画監督だ。

映画の筋書きはこんな感じ。とある独裁国家でクーデターが起き、大統領が幼い孫と一緒に変装しながら国中を逃げ回り、国外への脱出を図る。道中の孫との会話、出会う人々との会話を通じて、「元」大統領は自分が統治してきたはずの国の様々な現実を知る。

撮影地は旧ソ連のグルジアで、都会の風景も田舎のそれも非常に美しく撮影されている。グルジアとロシアとの関係から連想されることも多いがそれは一旦措いておこう。

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マフマルバフは来日時のインタビューでこう語っている。

これからも独裁者、革命、独裁者、革命という繰り返しは起きる。だから国名も人物名も伏せ、どの国にも当てはまる設定にした

この映画は明確に「アラブの春」とそれが引き起こした権力の空白を念頭に構成されている。マフマルバフの言葉をヒントに考えを紡いでみよう。

権力の過剰と過少

独裁国家では権力が過剰だ。そして、過剰な権力は次の動きを予見できない気まぐれな権力である。過剰な権力は気まぐれに権力の他者を「反権力」として逮捕し処刑する。民衆は明確に規定されたルールを逸脱したことによって処罰を受けるのではなく、権力の気まぐれによって不断に再定義されるルールの上で不確実な毎日を送る。

ただし、ルールは不安定だが権力の向きだけは固定されている。過剰な権力は、川が山から海に流れるように、大統領から警察などの様々な行政権力をつたって、市井の民衆に対して不断に行使され続ける。

クーデターによる独裁国家の崩壊後、権力の過剰は一旦消失する。権力の向きは不安定化し、権力の空白が生じる。権力の空白とは、権力を制御するルールもなく、権力の向きも決まっていない、そんな状況である。空白のうちに、小さな無数の大統領が刹那的に現れる。映画でも、辺境の地で新婚の花嫁に対して暴虐の限りを尽くす警官らしき男が描かれている。作中最も悲惨な場面の一つかもしれない。

独裁国家の崩壊は一時の解放であれ、安定した権力の出現を約束するわけではない。権力が安定しなければ、暴力を背景にした小さな大統領の動物的な支配が蔓延する。権力の過少は、権力の過剰と同様民衆を決して幸せにしない。幸せとは明日が来るということ、予想した明日がきっと来るということへの素朴な信頼のことだ。

人間の限界と可能性

人間はそれほど頭が良くない。直接会ったこともない人々、言い換えれば社会のことを恒常的に、そしてリアルに想像することはできない。人間の想像力はつねに不完全で、一つ一つの現実から大きく乖離している。大統領から元大統領に転落する過程で、彼はいかに自分が自分の国を知らなかったかを痛感する。それぞれの人生の機微、痛み、喜び、それらを想像することがどれだけ難しいことかを痛感する。

しかし、未来をつくっていかなければいけないのはまさにこうした不完全な人間たちなのである。変わり続ける世界のなかでそれだけは変わることがない。不完全な人間たちが寄り集まって予見可能な安定的な社会をどう作っていけるか、そのことがアラブの春以後の世界で問われている。冷戦以降に崩壊した数々の独裁政権の空隙を埋められない国や地域はいまでも世界中に存在している。

マフマルバフはこうした人間の限界を描いたあと、映画のラストシーンを使って人間の可能性を示唆するシナリオを用意している。もちろん単純なハッピーエンドであるはずもない。そして、一つの方角を向いた結論があるわけでもない。問われるのは、独裁政権から脱した人々が、自分自身小さな大統領になることを欲し、弱者に対するルールなき暴力に身を委ねてしまう衝動からいかに自らを自由にするか、そのこと以外にはない。

今年の2月にシリアのホムスという都市をドローンで撮影した映像がある。長期にわたる内戦で破壊されたホムスの姿が映し出されている。都市は、互いに関係のない人々が互いに同じルールのもとで安定的に共生するために編み出された普遍的な仕組みだ。権力の空白に放り出された人間たちは、そうして長い時間をかけて蓄積してきた都市の営みをここまで深く破壊してしまう。無惨としか言いようがない。

 マフマルバフの言葉をもう一度引く。

これからも独裁者、革命、独裁者、革命という繰り返しは起きる。だから国名も人物名も伏せ、どの国にも当てはまる設定にした

『独裁者と小さな孫』はどこにもない遠くの国の話である。それはアラブの春以降の具体的な苦難をモチーフにした映画であり、この世界に生きるすべての人のための物語だ。

 

プロフィール

望月優大(もちづきひろき)

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慶應義塾大学法学部政治学科、東京大学大学院総合文化研究科修士課程修了(ミシェル・フーコーの統治性論/新自由主義論)。経済産業省、Googleなどを経て、現在はIT企業でNPO支援等を担当。関心領域は社会問題、社会政策、政治文化、民主主義など。趣味はカレー、ヒップホップ、山登り。1985年埼玉県生まれ。
Twitter @hirokim21
Facebook hiroki.mochizuki

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未承認国家と覇権なき世界 (NHKブックス No.1220)

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イラク戦争以後の権力の空白、シリア内戦以後の権力の空白、そうした空隙を突く形で拡大したイスラーム国についてわかりやすく整理された本。過去エントリはこちら。 

イスラーム国の衝撃 (文春新書)

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