望月優大のブログ

見えているものを見えるようにする。

民主主義の達成における公的な立論の役割(A・セン『インドから考える』より)

アマルティア・センの新刊を読んでいて、自分の様々な行為に骨組みを与えてくれるような文章があったので、簡単に触れたいと思います。

インドから考える 子どもたちが微笑む世界へ

インドから考える 子どもたちが微笑む世界へ

 

 「個人的なものと社会的なもの」と題されたはじめの文章の中で、センはインドにおける飢饉という問題に触れながらこう語っています。

民主主義の達成における公的な立論の役割は、もっと明確に理解される必要がある。飢饉に影響されたり脅かされたりする人口の比率は、どこでも小さいーー10パーセント以上であることはほとんどなく、5パーセント以下が通例だ。だから問題は、多数決により機能する民主主義が、ごくわずかな少数派にしか影響しない飢饉の排除に、どうしてそこまで熱心であり、有能でもあるのか、というものとなる。民主主義下で、飢饉をなくそうという政治的な強制力は、飢饉の被害者ではない人々が、飢饉を根絶する必要性を自分たち自身のコミットメントとして引き受けるための公的な立論の力に決定的に依存しているのだ。(中略)

ここでメディアが果たすべき役割は巨大となる。もしこうした巨大な欠乏について、印刷メディアや放送メディアが無視する傾向があるなら、インドの民主主義は、強力な制度的基盤があっても、まともに機能していないと言えるだろう。インドにおける根深い社会的不正の蔓延についての大規模な変化の見通しは、その報道が凄まじく拡大し、公的な立論の力が大きく広がるかどうかに決定的に左右されるのだ。

この文章をインドに固有のものとして読む必要はもちろんなく、私個人としては、日本にも等しく適用可能な見方として捉えています。貧困問題、難民問題、その他さまざまな社会問題について、社会に生きる比較的少数の人々を民主主義の中で守っていくには、そうすべきであるという「公的な立論」の力が絶対的に必要です。メディアのフォーマットが多様化していく中で、既存メディアだけでなく様々なプレイヤーがこうした役割を果たしうるということは、私たちにとって大きな僥倖であるとともに、同時に大きな試練でもあると考えています。だからこそ、やらなければならない。

独立した民主国は、自分で自分の問題を解決できるはずだ。でも何がまずかったのかーー社会的に、経済的に、政治的に、そしてこれらに負けず劣らず重要な、文化的な面での失敗ーーについてのはっきりした分析なしには、たいしたことはできない。

こういう考えを持って、以下のような行為を少しずつ積み上げていきたいと考えています。

プロフィール

望月優大(もちづきひろき)

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慶應義塾大学法学部政治学科、東京大学大学院総合文化研究科修士課程修了(ミシェル・フーコーの統治性論/新自由主義論)。経済産業省、Googleなどを経て、現在はIT企業でNPO支援等を担当。関心領域は社会問題、社会政策、政治文化、民主主義など。趣味はカレー、ヒップホップ、山登り。1985年埼玉県生まれ。
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