望月優大のブログ

見えているものを見えるようにする。

山と人間。ペルーのアンデス山脈で考えたこと。

旅行でペルーに来ています。目的の一つがアンデス山脈を眺め、歩くこと。北部のワスカラン国立公園にはペルー最高峰の山々があり、1985年に世界遺産にも指定されています。世界で最も高いところにある国立公園です。

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下のパノラマ写真を見てください。4700mのワンガヌコ谷峠という場所からの景色です。左に見えるのがペルー最高峰のワスカラン南峰(6768m)と北峰(6655m)、少し右に離れて4つのピークがあるワンドイ(最高峰6395m)、その右にピスコ(5752m)、一番右がチャクララフ(6112m)です。もう少し右側に回り込むとワスカランの左にチョピカルキ(6354m)も見えます。

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ガイドは地元のワラスという街出身のギオさん。彼に連れられて、チャクララフを眺めながらトレッキングしました。後ろに見える2つピークのある山がチャクララフです。

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ギオさん:チャクララフは登るのがとても難しい山なんだ。自分もチャクララフは登ったことがないよ。クレイジーなやつだけが挑戦する。

スペインがワールドカップで優勝したときがあっただろ。2006年かな。その優勝の翌日に2人のスペイン人が東峰(6001m)の登頂に成功したんだ。彼らはその次の日に西峰(6112m)にも挑戦して、そして2人とも死んでしまったんだ。 

地震で消えた街

ワスカラン国立公園に向かう途中に、ユンガイという街があります。実はこのユンガイは新しく作り直された街で、かつてはこことは違う別の場所に、ユンガイはあったそうです。

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それがここです。今は何もありません。遠くにワスカランが見えます。先ほどの写真とは向きが逆で、左が北峰(6655m)、右が南峰(6768m)です。

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ギオさん:ここは昔ユンガイがあった場所だよ。1970年の大地震のときに、雪崩で街が全滅してしまったんだ。ワスカランの北峰(左側)の影になっている部分があるだろう。あそこの部分が地震でそのまま転げ落ちて、街を物凄いスピードで襲ったんだ。ほぼ全員死んでしまった。この場所はHoly Fieldだから、ユンガイは新しい場所に作り直したんだよ。

調べてみると、地震のあとに政府が旧ユンガイを国有化し、国立墓地に指定したことがわかりました。この場所全体が墓地となっていて、雪崩で亡くなった18000人もの人の多くがこの地に眠っています。ユンガイ - Wikipedia

1970年5月30日に発生したアンカシュ地震(マグニチュード7.9)により、ワスカランの北峰が氷河と共に大崩落を起こす。約15,000,000m³の土砂と氷塊が3000mの標高差から流れ落ち、時速300kmでユンガイの集落を襲った。当時のユンガイの人口は約18,000人であったが、そのほとんどが死亡した。
ペルー政府は、ユンガイの地を国有化し、国立墓地に指定して掘り返すことを禁止した。また旧市街から南に約2kmの場所に新しいユンガイの町を建設した。

日本で起きていること

今の時代、どこの国のどんなホステルでもWiFiが飛んでいたりするもので、Twitterを眺めていると日本の穂高が大変なことになっていることを知りました。このブログ記事によると、5/2の一日で「死亡2名、17名救助、1名未収容」という事態になっているようです。

著者の方はプロの視点から、(冬)山の危険性とそれを想像できない登山者について論じています。

昨日は富山県の立山や劔でも遭難がありましたし、一昨日はやはり長野県北部や埼玉県でも遭難があったせいで報道的には「春山登山で遭難相次ぐ」とされています。
しかし、穂高でのこの数の多さはちょっと異常でしょう。それはなぜなのか…… 端的に言うと「春の穂高に登るべきでない(登る技量のない)人が、大勢登ってしまっているから」ということです。

誰も遭難をおこそうとして山に登る人はいません。
でも、お願いですから、その山に登る前に、そのルートに取り付く前に、その斜面に踏み込む前に、「それを行ったらどうなるのか?」ということにもっと想像力を働かせてほしい。
雪の急斜面を登ったならば、必ず次はそこを下って戻らねばなりません。ルートで時間がかかれば、結果として厳しいビバークを強いられることになります。奥穂への雪壁で墜ちれば、たいていの場合死に至ります。

有限性、身体、自由 

山を歩いていると、自分の体に何ができて、何ができないかということがとてもよくわかります。高地を歩いているとすぐに息が切れて心臓がバクバクする。登り始めて最初の一時間は体がうまく動かなくてとても辛いけれど、そのあとに少しずつ脚が動くようになってきます。おにぎりでもチョコレートでも、何かを少しずつ食べることで、また脚が動くようになる。下りで調子に乗ると脚をくじくし、膝が痛くなることもあります。

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人間は身体を持っています。あるいは身体そのものが人間であると言ってもいいかもしれません。山や自然の大きさに比べたとき、その身体はとても脆く、いつでも壊れかねないものです。したいこととできることの間には大きな乖離があり、その乖離を作るものが身体という名の有限性だろうと思います。

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人間には空を飛ぶことができません。酸素がなければ呼吸をすることもできないし、時速300キロの雪崩から逃げることもできない。様々に広がっていく人間の欲求に対して、生まれ成長し老いていく一つの身体が限界を画します。

大切なのは、その限界を越えることは決してできないということです。人間の自由は身体という限界を越えることにあるのではなく、無限の欲求と有限の身体との間を具体的にどのような形で調停するか、そのなかにしかないのだと思います。そこを勘違いすると、自由だと思っていた先にとんでもない落とし穴が待っています。

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母が若い頃に穂高の山荘で働いていたということもあり、穂高にはいつか登ってみたいと思っています。自分はただのアマチュアですから、長い時間をかけた入念な準備が必要です。人生は長い。登りたい山を焦る必要はないし、自分の身体ができることを少しずつ増やしていけばいいだけです。

生きている間に全ての山を登ることはできない。でも、いくつかのきれいな風景を見ることはきっとできるはずです。

プロフィール

望月優大(もちづきひろき)

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慶應義塾大学法学部政治学科、東京大学大学院総合文化研究科修士課程修了(ミシェル・フーコーの統治性論/新自由主義論)。経済産業省、Googleなどを経て、現在はIT企業でNPO支援等を担当。関心領域は社会問題、社会政策、政治文化、民主主義など。趣味はカレー、ヒップホップ、山登り。1985年埼玉県生まれ。
Twitter @hirokim21
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