HIROKIM BLOG / 望月優大の日記

見えているものを見えるようにする。

コミュニティって言葉にもやもやする。次回PizzaXの告知に代えて。

コミュニティという言葉を聞いてワクワクする人もいればもやもやする人もいるんだろうと思うのですが、私はどちらかというともやもやします。

いきなり何を言い出すのか。実は、自分も主催の一人として不定期に開催しているPizzaX (ピザックス) というイベントの次回のテーマがコミュニティなんです。正確には、地域コミュニティのためのテクノロジーというテーマです。

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今日はその告知をしたいのですが、自分自身がコミュニティという言葉になんとなくもやもやしていて、イベントが始まる前にそのもやもやとここで少しでも向き合っておこうと思いながらこのエントリを書いています。

いくつか文脈があるのかなと思っています。例えば、国家や市場と区別される市民社会 (civil society) という文脈で捉える人もいるでしょう。あるいは、都市的で普遍的、言い換えれば脱歴史的で無色透明な人権というアイデアにもとづくリベラリズムに対して、特定の歴史的価値、歴史的なつながりの中に埋め込まれていることを重視するコミュニタリアニズム (共同体主義) という文脈で捉えることもできるでしょう。

そして、いまの日本でコミュニティという言葉を語るうえで、3.11の震災を抜きにして語ることはほとんど意味がないように思います。それは、一つの事象としての3.11を忘れてはならないという意味であるよりは、3.11とそのあとに起きたこと、そしてその前から少しずつ進行していたことに対して人々の意識が向いたということ、それらがとても大きな意味をもつように思うからです。

言い換えれば、3.11を通過することで、東北という一つの場所に局限できるものではない戦後の日本がつくってきた社会のあり方や仕組みがいろいろな形で明らかになった。東京に住んでいても、地方に住んでいても、自分たちがつくってきた仕組み、そしてその仕組みがいまの社会にもたらしていることが骨身に沁みてわかってきた。

東京に労働力を供給するばかりで、長期的な意味で競争力をもった地場の産業育成を進めることが難しく、公共工事などワンショットの資金で短期的につなぐことが常態化してしまっていた。そして、東京の側からもそうした状態を望むかのように全体的な仕組みをつくってきてしまった。そんな構造がはっきり見えるようになってきました。

そんななかで、コミュニティを日本語でいう「地域」、カタカナにして「ローカル」という言葉と接続して考える人も多いかもしれません。そこでは、自らが暮らす地域の自治や自発的な相互扶助というものが念頭に置かれていると思いますし、行政がユニバーサルに提供すべき制度の網の目からこぼれ落ちる部分を、「地域」という名のコミュニティがどれだけ拾い上げ、救い上げることができるだろうか、という問題意識もあるように思います。

あるいは、そもそも、人間としての生きる意味を供給する源としてコミュニティという言葉を捉える仕方もあるでしょう。経済的にある程度の豊かさを手に入れたあとで、日々の暮らしを支えるモチベーションの源泉をどこに求めるのか。そのときコミュニティという言葉に仮託されるサイズ感というのは、一人一人によって全然違うものだろうと思います。小さな家族にコミュニティという言葉を託す、昔からの仲間に、あるいは自分が生まれた街に託す。もっと大きなものにコミュニティという言葉を託す人もいるかもしれません。

そして、最後に。今の時代にここまでコミュニティという言葉が語られ、大切にされ、研究され、追求されるのは、金銭を媒介にしたコミュニケーションとは異なる自発的なコミュニケーション、あえて強い言葉を使えば、お互いのお互いに対する自発的なケアというものがそこに想定され、そして同時にそれが強く希求されているからなのだろうと思います。いまの社会システムのなかで生きる多くの人が、コミュニティという言葉から想起される人間関係の暖かみを切実に希求している。それは、何らかの目的に対する手段としてだけではなく、それ自体を目的として、希求しているように思うのです。

しかし、コミュニティというからには、何らかのメンバーシップが必要で、誰でもいつでも出入りできる集団はコミュニティであるというよりはむしろ都市的な性質を持つものだろうと思います。コミュニティは誰かを受け入れ、誰かを排除する、そのあり方によって、内部にいる人に保護と安心感を与えるものです。そして、その安心感が通常であれば提供されない自発的なケアを引き出す、あくまでそのコミュニティ内部に対して起きる話にはなりますが。

いずれにせよ、自発的な相互ケアの範囲は限られていて、コミュニティの内側と外側という区分はどうであれ確実に存在してしまう。そして、内部においては人間関係の重さが常にありえるだろうと思うし、外部に対してはメンバーシップの是非をめぐる排除の論理があるだろうと思う。それらを前提にしたとき、人々が希求する安心の基盤としてのコミュニティを世の中にどんどん広げていく、活性化させるといったスローガンを掲げることで、自分たちは一体どんな社会を目指しているのだろうか。そして、どの程度の解像度で、自分はその理想と向き合うことができているだろうか。

・・・

徒然なるままに書いていたらまとまりもないし長くなってしまいました。しかも、ここまで書いたことは完全に自分一人で思ってることであって、イベント本篇で何が話されるかとはたぶん全然関係ないです (汗) 。私は今回裏方なので、後ろのほうから、参加者の方と一緒に考えてみようと思っています。

肝心のイベントお申し込みはこちらから。ぜひフライデーナイトに一緒にピザ食べながらもやもや考えてみませんか。

過去のPizzaXについてのレポート記事もあるので、雰囲気を知りたい方はこちらからどうぞ。

プロフィール

望月優大(もちづきひろき)

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慶應義塾大学法学部政治学科、東京大学大学院総合文化研究科修士課程修了(ミシェル・フーコーの統治性論/新自由主義論)。経済産業省、Googleなどを経て、現在はIT企業でNPO支援等を担当。関心領域は社会問題、社会政策、政治文化、民主主義など。趣味はカレー、ヒップホップ、山登り。1985年埼玉県生まれ。
Twitter @hirokim21
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