望月優大のブログ

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「日本が直面する『降格する貧困』」TOKYO FM「TIME LINE」出演時のコメント。

11/3にTOKYO FMの「TIME LINE」という番組に10分ほど出演させていただきました。先日のブログ記事で書いた内容に関連し、「日本が直面する『降格する貧困』」というお題で番組パーソナリティをされているちきりんさんからの質問にお答えするという内容でした。

以下のTwitterでも投稿したのですが、放送から1週間はradikoでタイムフリー視聴できます。ただ、地域や国によっては聴くことができないという声を何度かいただいたので、当日お話した内容を一部書き起こしておこうかと思います。

トークの前半では、ポーガムやその理論について先ほどのブログ記事の内容に沿って紹介しましたので、そちらを直接お読みいただければ良いかと思います。最後のパートで自分が考えていることを少しだけお話したので、その部分についてご紹介できればと思います。

↓↓↓

---ポーガムさんの講演を聴かれて、望月さんご自身としては、その理論と日本の現状を比べてみてどういう風に思われましたか?

とても面白いなと思ったんですけれども、実際に何がこの社会で起きているのかということと、この社会の中に生きている人たちが自分たちをどう認識しているのかということの間には、多分少しずれがありえて。

実際起きていることはやはりこの「降格する貧困」の形態にかなり近づいていると思うんですね。雇用も不安定化しているし、男性が正社員で奥さんを支えるというモデルも難しくなっているし、 自分でなかなか稼ぐことのできない高齢者もどんどん増えているし。

それが結果として社会保障をむしろ削っていくこと、医療に関わる必要がある人は社会のお荷物だったりとか、そういう考え方がすごい増えてきているけれども、じゃあ本当にみんながそういう風に社会を認識できているかというと、まだなんかこう「中流意識」というか、自分はまだそうじゃないし、自分は貧困じゃないしと思っているような。

ポーガム教授が言っている「降格する貧困」というのは、貧困か貧困じゃないかという問題よりも、かなり段階的に。今例えば1000万円の給料がある人でも、明日その会社が無くなってしまうかもしれないし、全然いわゆる長期雇用が保証された社会でもない中で、給与で言えば貧困じゃない人でも不安定化しているという部分を認識していくということがすごい大事なのかなという風に思うんですね。 

---安倍総理も「まだ日本は十分に豊かな国」みたいな発言をされることもあって、比較的「マージナルな貧困しか日本にはないんだ」と認識している人もまだ多いですよね。これは貧困状態にある人が分離されているというか、どこかに集中しているからなかなか見えにくいということがあるんですかね?

どういう人が潜在的に貧者になりうるかというところの認識の問題かなと思っていて。例えば貧困問題というと今お金がない人の問題だと思われがちだと思うんですけれども、この社会的降格の考え方によれば、例えば先日問題になった過労死の、若い女性の過労死の問題とか、そういったものも同じ問題なんじゃないかというふうに見えてくるような気がしていて。

今はそういう風にいつ落ちてもおかしくない人たちが、これはかなり世界的な事象でもあるような気がするんですけれども、今落ちてしまった人たちをすごいこう排斥していくというか、社会のお荷物なんだと。

---ある意味、弱者と弱者でお互い排斥しあっているという構造があるということですね 

やはり生きていくにあたって何がしか継続的な所得がない状態で生きていくことはすごい大変で。あるいは誰かがご飯を食べさせてくれる、例えば家族がとか地域がとか、昔だったら農村がとか。そういうものが本当にない中で今僕らは生まれてきていて。いつどうなるかわからない、けれどもとにかく今何百万円稼ぐというか、頑張れ頑張れってやっていると思うんですけれども。その不安は共有しているんだけれども、全然仲間だと思ってないというか。

---そうすると日本としてはまずは現状をきちんと皆が認識することが次のステップとして一番大事ですかね?

「降格」ということが段階モデルであるということをすごい理解したほうがいいと思っていて。

---つまり自分に関係がある問題なんだという風に、当事者意識を持って、今中流だと思っている人も考えなければいけないよと

みんな多分「しんどい」とは思っていると思うんですよね。だからその「しんどさ」みたいなものをちゃんと共有して、いがみ合って削り合っていくよりは、いつ落ちるかわからない状況をみんなでシェアして支え合うというマインドにならないと、多分ものすごい殺伐とした社会になってしまいそうな。

---自分は頑張っているからギリギリ踏みとどまっているけれど、落ちたやつは頑張らなかったんだろうみたいになってしまうと、自己責任論みたいになってしまうと、貧困問題もなくならないし、その人もいつ落ちてしまうかもわからないしということですね

そして、落ちた時に誰も助けてくれない社会がそこにいきなり広がっているということになってしまいます。

---今まで自分が言っていたように、みんなに「お前は頑張らなかったんだろう」と言われてしまうということですね 

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以上です。ちきりんさん、番組スタッフの皆さん、貴重な機会をいただきありがとうございました。ポーガムの「社会的降格」という考え方に興味を持たれた方はぜひこちらの記事を読んでみてください。

プロフィール

望月優大(もちづきひろき) 

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慶應義塾大学法学部政治学科、東京大学大学院総合文化研究科修士課程修了(ミシェル・フーコーの統治性論/新自由主義論)。経済産業省、Googleなどを経て、現在はIT企業でNPO支援等を担当。関心領域は社会問題、社会政策、政治文化、民主主義など。趣味はカレー、ヒップホップ、山登り。1985年埼玉県生まれ。
Twitter @hirokim21
Facebook hiroki.mochizuki

 

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