望月優大のブログ

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共産主義下チェコスロバキアにおける恐怖のメカニズムとその克服。『ザ・ティーチャー』ヤン・フジェベイク監督が語ったこと

東京国際映画祭(TIFF)2016が10/25~11/3に行われていました。今日はその最終日。これまでどの映画も観に行けていなかったので、何か観たいと思っていたところ16時からチェコのヤン・フジェベイク(Jan Hřebejk)監督の『ザ・ティーチャー / The Teacher / Učitelka』が上映されることがわかったので観に行ってきました。

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国際映画祭らしく、上映後にフジェベイク監督本人とのQ&Aセッションが30分にわたってたっぷりと設けられていたので、そちらの内容も含めて書いていければと思います。

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ヤン・フジェベイク監督(IMDbより)

まずはTIFFのHP記載の監督紹介と作品解説を一読ください。

監督紹介

1967年プラハ生まれ。FAMU(プラハ芸術アカデミー映像学部)にて脚本編集と脚本を学び、在学中に制作した作品が高い評価を得た。脚本家ペトル・ヤルホフスキーと組み、長編映画の制作を手掛けるようになり、これまでに“Big Beat”“Cosy Dens”『この素晴らしき世界』(2000年米国アカデミー賞外国語映画賞ノミネート作品)がある。

作品解説

1980年代のチェコ。一見優しくて仕事熱心な女性教師が、新学期に生徒ひとりひとりの親の職業を聞いていく。彼女は生徒を盾に、親が職人であれば自宅の台所の修理をさせるなど、教師の立場を乱用していた。エスカレートする行為に、ついに一部の親が立ち上がったが、他の親は尻込みをする。女教師は共産党員であったから…。脚本家のペトル・ヤルホフスキーが実際に少年時代に体験した話を、現在のチェコを代表する監督のひとりであるヤン・フジェベイクが映画化した。共産主義時代の市民が実感していた恐怖が伝わると共に、マニピュレーションの恐ろしさは時代を越えて現在のどの国でも起こりうることが示される。一部の勇気ある人間が事態を打開していくカタルシスを伴う心理ドラマでもある本作で、自分のしていることの恐ろしさを自覚していない女教師を見事に演じたズザナ・マウレーリは、カルロヴィ・ヴァリ映画祭で主演女優賞を受賞した。 

とにかくこの女教師のキャラが濃すぎてひとときも目が離せない、そういう物語なんですが、この「一人のモンスターの話では済まない」ところが、この映画の魅力をいや増しています。そして、上にも書いてある通り、この話は脚本家ヤルホフスキーの体験を元にした半分実話のようなところがあって、それを知ったうえで観るとなかなか気楽に笑ってもいられない、背筋がぞくっとする感覚を覚えます。

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女教師役のズザナ・マウレーリ(東京国際映画祭HPより)

「一人のモンスターの話では済まない」とはこういうことです。 舞台は共産主義スロバキアの小学校。この女教師は、自分がチェコスロバキア共産党の役職保持者であること、そして生徒一人一人の小学校から中学校への進学について成績の恣意的な上げ下げを通じた生殺与奪権を持っていること、これらの隠微な権力を活用して生徒たちだけでなくその家族をこき使い、無理難題を押し付けます。

ここにどんな構造があるでしょうか。まず、女教師がターゲットにするのは、共産主義スロバキアの中で社会的地位が低い家族です。判事や医者などは狙わない。そこに親同士を歪み合わせる分断統治が働く一つ目の契機があります。

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IMDbより)

しかし分断のポイントはそれだけに留まりません。女教師の言う事を聞く家族とそうでない家族の間にも分断を走らせます。それは片方では試験の問題を事前に教えるという利益供与の形を取り、もう一方では言う事を聞かない生徒の成績を恣意的に引き下げ陰湿ないじめを行うという形を取ります。

こうして張り巡らされた分断の網の上では、驚くほど多くの家族が表面上女教師の味方につき、女教師の振る舞いに対する違和感を表明しようとする家族に対して、あたかも女教師の代理をするかのように自らいじめの主体となってしまいます。

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東京国際映画祭HPより)

最後に付け加えるなら「こんなことは我慢ならない」と考える家族の中にもこの分断が走ってしまう。なぜでしょうか。こういう形を取ります。女教師は弱い子どもを狙います。精神的なハラスメントを繰り返し、成績を恣意的に下げることで中学に進学できない可能性をほのめかす。

すると、母親と父親の間に亀裂が走ってしまうのです。女教師に歯向かうべきか、それとも従属すべきか。元々はともに抵抗を志向していた夫婦のうちに、我が子に対するハラスメントの痛みが、女強者に対して「子どものために」従属すべきではないかという混乱を持ち込むのです。

物語は、秘密裏に開催される親たちによる会議とともに進行していきます。そこでは、女教師に対する苦情の署名をするか否かが話し合われるのですが、会議での会話の内容、議論の結末は是非この映画を観てみてほしいと思います。先ほど少しだけ構造を説明した様々な分断の様相が非常に面白く、そしてグロテスクな形で描かれています。恐怖とはどのようなものか、そして人々はそれをどのように乗り越えていくか、とても考えさせられる結末になっています。(なかなか観られるチャンスがないかもしれませんが・・) 

上映後のQ&Aでフジェベイク監督が語ったこと

次に、上映後のQ&Aセッションに移ります。フジェベイク監督が語ったことのうち特に面白いと感じた部分を中心に紹介していきます。こういったセッションは国際映画祭の醍醐味ですね。

f:id:hirokim21:20161103204148j:image『ザ・ティーチャー』上映後にQ&Aセッションを行うフジェベイク監督

会場からの質問に入る前に、フジェベイク監督自身がこの映画で表現したかったこと、この映画を今つくったことの意図について話すところからセッションは始まりました。

  • スロバキアのローカルなテーマが海外のオーディエンスからどのような反応を受けるかとても関心がある
  • この映画では恐怖のメカニズムを見せたかった。舞台は1980年代。当時はもちろんこうした内容を現地で映像化することは不可能だった
  • 1989年に共産党体制が崩壊し、90年代は民主化の時代だった。急に自由を手に入れた社会の雰囲気の中で、こうした過去に存在した恐怖をテーマとして取り上げるのはあまりふさわしくないところがあった
  • 時代が変化し、このテーマを取り上げるにふさわしいタイミングが来たと考えこの映画をつくった
  • この物語には非常に深刻な面とユーモラスでグロテスクな側面が同居している。そこに魅力を感じている

次に会場からの質問に移っていきます。

Q. 当時はこの女教師のような存在はよくあることだったのか? 

  • こういうキャラクターはよくいたと思う
  • 逆に親がこのように集まって話し合う機会は稀だったと思う
  • 映画をつくる際にはとても特別なキャラクターが必要であるのと同時に、時代を超えて今日にも通用するテーマ性があることも大切だと思っている

Q. 学校には共産党員が一人はいるものだったのか?

  • 校長先生やその代理になるためには必須の条件だったはずだ
  • その他の教員は必ずしも共産党員である必要はなかった
  • 以上は小・中・高校の話
  • 注意が必要なのは、特に1968年に「プラハの春」が鎮圧された後に言えることだが、共産党員であるということは、共産党の教義を信じているというよりも、自らのキャリアのために入党するという側面が強まっていた

Q. 旧共産圏の観客からはどういった反応があったか?

  • チェコスロバキアは1989年に共産党体制から転換しており、それから25年以上がすでに経過している。1989年より後に生まれた世代は共産党時代を自分では体験していない
  • ドイツで第二次大戦後にヒトラー時代の経験を親が子どもにあまり話さなかった、それとと同じようなことが起きていると言えると思う
  • しかし、この映画では共産党体制の姿を描き伝えたかったというよりも、恐怖がどのように生まれるか、恐怖とはどのようなものか、そのことを伝えることが重要だと考えている

Q. 映画の最後に体制転換後の女教師の姿が出てくるが、ここに意図されていることは?(※ネタバレ気味なので少しぼやかして書いています)

  • 体制は転換したが、多くの人が新体制でも生き延びた。そのアイロニーを表現した

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東京国際映画祭HPより)

Q. 先ほど「いまがこの映画をつくるのにふさわしいタイミングと考えた」と言っていたがそれはなぜか?

  • 自由の気分、雰囲気が前の時代に比べて少し減っているように思うからだ。チェコでは90年代に当時のハヴェル大統領に対して批判を言うこと、冗談であるものも含めて大統領を批判することは全く問題がなかった。ハヴェル大統領は人気もあった。
  • しかし、現在のゼマン大統領に対しては人々が多くの不満を持っているにもかかわらず、それを表明することが大きな問題になってしまう状況がある。例えば、チェコの大統領府の国旗を赤いパンツに替えた人がいたが、大きな問題になってしまった
  • (こちらの記事によると「3人は逮捕された。警察によると禁錮2年の刑に相当する可能性があるという」とある)

Q. こういった状況にある会社や学校は今の日本にも存在すると感じた。日本以外の様々な国でこういったモンスターが存在するようにも思う中で、彼らが生み出す恐怖にどう立ち向かえば良いか。声を上げること、声を上げた人にその他の人々が続くこと、その重要性を描いていると思ったのだがどうか?

  • 何に対して恐怖を感じるかは人それぞれだが、共産主義のようにある制度、システムの存在が恐怖を与えるというのは良くないことだと考えている
  • こうした恐怖に対してはいろいろな勝ち方がある。子どもがおとぎ話を読むことなどを通じてモラルの感覚を培っていくことも大事。そして、実際に恐怖に打ち勝った人々を尊重することも大切だ
  • あるいは、何かへの信仰、そして真実を信じるということもまた恐怖に打ち勝つことにつながるだろう
  • 本物の虎が目の前にいたら怖いが、人々は多くの場合本当には怖くないものを怖がっている。共産主義もそうだ。無駄に怖い思いをしないようになってほしいと思う
  • 最後に、この映画にも描いたが、共産主義の中で、親が自分の子どものことを思って、自分では本当は納得のいっていないこと、正しくないと思っていることをしてしまうことがある。しかし、子どものためというのは言い訳だ
  • 子どもはそれを見ている。そして、親を尊敬しなくなる。この映画のもう一つのテーマがこのことだった 

Q&Aの内容は以上です。フジェベイク監督の他の映画も観たくなるとても素晴らしい時間でした。東欧には素晴らしい映画監督がたくさんいますね。勇気づけられます。

↓フジェベイク監督の代表作『この素晴らしき世界』

この素晴らしき世界 [DVD]

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プロフィール

望月優大(もちづきひろき) 

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慶應義塾大学法学部政治学科、東京大学大学院総合文化研究科修士課程修了(ミシェル・フーコーの統治性論/新自由主義論)。経済産業省、Googleなどを経て、現在はIT企業でNPO支援等を担当。関心領域は社会問題、社会政策、政治文化、民主主義など。趣味はカレー、ヒップホップ、山登り。1985年埼玉県生まれ。
Twitter @hirokim21
Facebook hiroki.mochizuki

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