HIROKIM BLOG / 望月優大の日記

見えているものを見えるようにする。

ダライ・ラマ「私たちはみな必要とされることを必要としている」

数日前にダライ・ラマの寄稿記事がニューヨーク・タイムズ紙に載っていて、それがとても示唆深い内容だったので記事の一部を翻訳して紹介できればと思います。興味を持たれた方はぜひこちらのリンク先で全文を読んでみてください。

Dalai Lama: Behind Our Anxiety, the Fear of Being Unneeded / The New York Times

 

アメリカ、イギリス、そしてヨーロッパ大陸のいたるところで、人々は政治的フラストレーションや未来についての不安に身もだえしている。難民や移民はこれらの安全で豊かな国々で暮らす機会を要求するが、元々そうした約束の土地に住んでいた人々からは、少しずつ絶望に近づいていくように見える自分たち自身の未来についての大いなる不安の声が聴こえてくる。

なぜだろう?

ある興味深い研究から人々がどのように生きていくかということについての小さなヒントを得ることができる。研究者たちは、あるショッキングな実験の結果、自分が他者にとって有用であると感じていない年配の人々は、自分が他者にとって有用であると感じている人々に比べて3倍も早くに亡くなる可能性が高いということを発見したのだ。これはとても一般的な人間についての真実を示している:私たちはみな必要とされることを必要としているのだ。

 

他者に対して良いことをすることを優先するアメリカ人はそうでない人に比べて2倍も自分たちの人生について幸せだと言う傾向がある。ドイツでは、社会に貢献しようとする人々は社会貢献が大切だと考えない人々に比べて5倍も幸せだという傾向がある。無我と喜びは互いに絡み合っているのだ。私たちが自分自身以外の人類と一つであればあるほど、私たちは気分がいいのである。

このことは豊かな国々で痛みや憤慨が広がっていることを説明してくれる。問題は物質的な富の不足ではない。自分たちはもはや役立たずで、もはや必要とされておらず、もはや社会と一つではないと感じている人々の数がどんどん増えていることこそが問題なのである。

今日のアメリカでは、働き盛りの年齢で完全に失業している人々の数が50年前の3倍に上っている。このパターンは先進諸国で共通に起こっていることだ。そして、その帰結は経済的なものだけではない。余分であると感じることは人間の精神に対する痛烈な一撃である。それは社会的孤立と感情的な痛みをもたらす。そしてネガティブな感情が根づく条件を生み出してしまうのだ。

 

どんなイデオロギーや政党も全ての答えを持っているわけではない。あらゆる陣営から来る誤った考えは社会的排除をもたらし、それを乗り越えるためにはあらゆる陣営からの革新的な解決策を必要とする。実際、私たちのうちの二人を友情と協働のうちに結びつけるのは共有された政治や宗教ではない。それはもっとシンプルなもの、すなわち共感や人間の尊厳に対する共有された信念である。より良い、より意味のある世界に対してポジティブに貢献することができる、全ての人が持っているはずの固有の有用性に対する共有された信念である。私たちが直面している諸問題は伝統的なカテゴリーをまたがって存在している、だからこそ、私たちの対話、そして友情もそうでなくてはならないのだ。

歴史上安全や繁栄を謳歌してきた社会の中で野火のように広がる怒りやフラストレーションを見て、多くの人々が困惑し恐怖を感じている。しかし、身体的、そして物質的な安全に満足することを拒否する人々の存在こそが、それそのものによって実際に何か美しいものを現しているとも言えるのではないか。それこそが、必要とされることに対する人間の普遍的な飢えである。この飢えを癒やすことができる社会を一緒につくっていこう。 

 

プロフィール

望月優大(もちづきひろき) 

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慶應義塾大学法学部政治学科、東京大学大学院総合文化研究科修士課程修了(ミシェル・フーコーの統治性論/新自由主義論)。経済産業省、Googleなどを経て、現在はIT企業でNPO支援等を担当。関心領域は社会問題、社会政策、政治文化、民主主義など。趣味はカレー、ヒップホップ、山登り。1985年埼玉県生まれ。
Twitter @hirokim21
Facebook hiroki.mochizuki

 

 

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