望月優大のブログ

見えているものを見えるようにする。

「本当に困っているのは誰か?」と問う正義。大西連さんと「保護なめんな」ジャンパー問題について話したこと。

1/17に小田原市の「保護なめんなジャンパー」問題が発覚してから1週間。このテーマについてもやいの大西連さんと話したいと思い、一昨日の晩にお会いしてFacebook Liveで1時間半ほど話しました。

大西さんはNPO法人もやいの代表で、名著『すぐそばにある「貧困」』の著者でもあります。今回の件についてとてもよくまとまった記事も書かれています。

そして、実際のFacebook Liveのリンクがこちらです。ちなみに彼とのLiveは2回目で、1回目のリンクはこちらです。

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会話のなかでいくつか印象に残っているポイントをメモしておきます(順不同)。ジャンパー問題だけではなく、その周囲にあるいろいろな論点について話しました。

  • 生活保護のソーシャルワーカーという仕事とその現状
  • 生活保護の「不正受給」についての現状
  • 1946年制定の旧生活保護法に入っていた3つの除外規定(怠惰・素行不良・親族が扶養可能であること)
  • 生活保護批判(バッシング)と今回の行政批判との位置関係
  • 批判されているのは不正受給なのか、それとも生活保護なのか
  • 生活保護受給者への視線と犯罪者への視線
  • 尊重されるべき「普遍的価値」と、現状の経済・財政や自らの体験を背景にした「国民感情」のミスマッチ(異なる「正義」のすれ違い)
  • そのなかで「本当に困っているのは誰か?」という問い(≒疑い)が常に呼び出されてしまう構造(生活保護だけでなく、医療費や年金を含めたあらゆる社会支出との関係で呼び出されてきた)

これ以外にも基礎的なところからいろいろなことを話したので、興味のある方はぜひ見てみてください。自分自身、こうした会話を積み重ねることで少しずつ考えを深めていきたいと思っています。改めて動画のリンクはこちら

大西さんとはこれからもいろいろとお話していきたいなと思っているので、関心ある方は引き続きチェックいただければ幸いです。 大西さんの著書や柏木ハルコさんの漫画もオススメです。関連するテーマについては私もこのブログでいろいろと書いてきているので、そちらもぜひ。

参考文献

関連過去エントリ

プロフィール

望月優大(もちづきひろき) 

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慶應義塾大学法学部政治学科、東京大学大学院総合文化研究科修士課程修了(ミシェル・フーコーの統治性論/新自由主義論)。経済産業省、Googleなどを経て、現在はIT企業でNPO支援等を担当。関心領域は社会問題、社会政策、政治文化、民主主義など。趣味はカレー、ヒップホップ、山登り。1985年埼玉県生まれ。
Twitter @hirokim21
Facebook hiroki.mochizuki

大人になったら。大人になっても。

今日は成人の日ですね。子どもが大人に変わる通過点。大人になったら何が変わりますかね。何が変わったかな。少し、考えてみました。

大人になったら学校に行かない。

大人の特徴のひとつは学校に行かないということですよね。当たり前だけど、大きな違いです。

私は24歳まで学校にいました。そのあとこれまで何年か働いてきて、31歳になって、そのことに気づきました。最近のことです。ああ、大人は学校に行かない。

学校って何だったでしょうか。学校にはテストがありますね。これが大きいなあと思います。成績が悪いと怒られたり進級できなかったりする。だからみんな勉強します、大なり小なり。

大人になったらそういうことはありません。もちろん、勤め先の仕事内容に関わるものはあるかもしれない。xxの資格を取りなさい、とか。

でも、それ以外のことは誰も教えてくれません。誰もテストを出してくれないし、誰も自分を評価してくれない。お前はバカだとか、もっとしっかり考えろとか言われることがなくなります。

誰からも。仕事以外のことについては。

私は学校に毎日きちんと通うのが得意ではないほうだったので、大人になって学校がなくなることは嬉しいことだと思っていました。でも、大人になって、学校時代よりも長い時間仕事をする生活に慣れてきたころ、言い知れない不安に襲われました。

世の中のことがさっぱりわからない。

学校で学んできたことはどんどん忘れてしまうし、日々のニュースをきちんと追いかける時間も気力もない。いまどんな本を読むべきか、誰も教えてくれない。

知っていることが全くアップデートされていないのに、知っているべきことはどんどん増えて行くように感じました。

このままでいいんだろうか。大人にも学校があればいいのに。テストがあるからと仕方なく新しい知識を詰め込めればいいのに、なんて妄想をしていました。

大人にも学校があればいいのに。でも、そんなものは今のところなさそうです。

大人になったら選挙で投票できる。

大人になったら、選挙で投票できるようになります。去年20歳から18歳に変わったので、成人の日がいう「成人」のタイミングとは少しずれてしまいましたが。

子どもは学校でいろいろなことを勉強して、勉強し終わったころに一人前の大人になって、選挙で投票できるようになります。政治に参加できるようになります。そういう仕組みになっています。

でも、知らないことばかりです。教わっていないことばかりです。

そりゃそうですよね。教科書には過去のことが書いてある。これから起こることは自分で情報を集めて、整理して、自分の頭で考えないといけない。

大人には教科書がありません。対して、世の中にはいろいろな情報があります。日々大量に作られ続ける大量の情報があります。

だから、大人になったら「適度な警戒心」を持たないといけないと思います。頼んでもいないのにするすると入ってくる情報が良い情報とは限りません。わかりやすくて短い時間で消化できる情報が良い情報とは限りません。

何かを理解した、何かを知っている、そう思ったときが一番危ない。自分が知りうることは本当に少なく、だからこそいつだって間違えうる。できるなら間違えたくないけれど、もし間違えてしまったらなるべく早めに気づきたいものです。

でも、それがとても難しい。気づいたらいつの間にかカロリー高め、塩分高めの情報ばかり摂取して満足しています。たくさんの文字を読んだはずなのに、たくさんの動画を観たはずなのに、何も残っていない。日々そんなことの繰り返しです。 

大人になったら。大人になっても。

私がこれまで生きてきてわかったこと。特効薬はない、ということだけです。そして特効薬がないからこそ、特効薬がほしくなるんですね。でもそんなものはない。学び続けるしかない、少しずつ、打ちのめされそうになりながらも。

学び続けるのは大変です。時間もお金もかかります。精神的な負荷もかかります。わからないことに直面しますから。わからないことをわからないままに耐えなければいけない、考え続けなければいけないからです。

ただ、そのことに慣れていくしかないと思います。

これは自分に対する希望であり、これから大人になる子どもたちに対する希望でもあり、ほかの大人たちに対する希望でもあります。

学校がなくても、テストがなくても、新しいことをどんどん学び続けたいと思います。教科書に書いていなかったことが毎日起きます。現在進行形で。学び続けたいと思います。この社会から、世界から目をそらさずにいたいと思います。

会ったこともない人、文字でしか出会ったことのない人のことを想像する、もう死んでしまっているかもしれない誰かのことを、これから生まれてくるかもしれない誰かのことを想像し続けたいと思います。

本を読み、旅に出て、人と話して、考え続けたいと思います。

そのことを根気強く続けていきたいと思います。

ーーーーー

加えて、私としては、学校がなくても、テストがなくても、学び、考え続けるためのきっかけを提供し続けていけたらと思っています。大人が大人であり続けるためのきっかけを、小さくても作り続けていけたらと思っています。

ーーーーー

こちらもそんな場所のひとつ。学校ではないけれど、丁寧に準備しました。

1/13 「子どもに誰が・いつ・どう性を伝えるか」トークショー ~SmartNews ATLAS Program「社会の子ども」vol.2~ | Peatix

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プロフィール

望月優大(もちづきひろき) 

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慶應義塾大学法学部政治学科、東京大学大学院総合文化研究科修士課程修了(ミシェル・フーコーの統治性論/新自由主義論)。経済産業省、Googleなどを経て、現在はIT企業でNPO支援等を担当。関心領域は社会問題、社会政策、政治文化、民主主義など。趣味はカレー、ヒップホップ、山登り。1985年埼玉県生まれ。
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すべての若者たちへ。ミシェル・オバマ最後のメッセージ。

ミシェル・オバマ大統領夫人の最後のスピーチがとても素晴らしかったので、その後半部分、若者たちへのメッセージの部分を翻訳してご紹介します。舞台は1/6にホワイトハウスで行われた全米スクールカウンセラー・オブ・ザ・イヤーの授賞式です。英語全文はこちらに。

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ここから翻訳です。いくつかの見出しは私がつけたものです。

生い立ちや社会的地位に関係なく、あなたには居場所がある

私がホワイトハウスでの時間を終えるにあたって、ファーストレディとしての最後の公式の談話を通じて、若者たちに贈る事ができるこれ以上のメッセージはありません。この部屋にいる、そしてこの動画を観ているすべての若者たちへ、この国はあなたに属していると知ってください。これまでの生い立ちや社会的な地位には関係なく、あなたたちすべてにです。あなたやあなたの両親が移民でも、あなたは誇るべきアメリカの伝統の一部だと知ってください。新しい文化、才能、アイデアの流入、どの世代においても、それこそが私たちを地球上で最も素晴らしい国に作り上げてきたものです。

もしあなたの家族が多くのお金を持っていなくても、この国では私や私の夫を含む多くの人々がとても少ないお金とともに出発したということを忘れないでください。よく働き、良い教育を受けさえすれば、なんでも可能です。大統領になることだってできるのです。それがアメリカンドリームというものです。

あなたが信仰の人であったなら、宗教の多様性がアメリカの偉大な伝統であることも知ってください。実際それこそが最初の人々がこの国に来た理由だったのです。自由に信じるために。あなたがイスラム教徒であろうと、キリスト教徒、ユダヤ教徒、ヒンドゥー教徒、シーク教徒であろうと、これらの宗教は私たちの若者に対して正義と同情、そして正直さを教えています。だからこそ若者たちには誇りをもってそれらの価値を学び実践し続けてほしい。私たちの栄誉ある多様性、すなわち信仰、肌の色、信条の多様性、それは私たちが私たちであることに対しての脅威ではありません。それこそが私たちを私たちたらしめているものなのです。若者たちへ、他人が何と言おうとあなたという存在が大切でないなどと思ってはいけません。私たちのアメリカという物語に居場所がないなどと思ってはいけません。なぜならあなたは大切だからです。居場所があるからです。そして、あなたはあなた自身である権利を持っているのです。

権利と自由は毎日毎日獲得し続けなければならない

ただ、このこともはっきり言っておきます。この権利はただあなたに手渡されているわけではない。違います。この権利は毎日毎日獲得し続けなければならないものなのです。自由を当然のものと思ってはいけません。あなたの前の世代と同じように、あなたも自由を守るための自分たちの役割を果たさなければいけません。そして、それはまさに今、あなたが若いうちから始まるのです。

いまこの瞬間から、あなたは自分自身の声をこの国全体の議論に加えるための準備を始めなければいけないのです。あなたは市民として知識をもち関与できるように準備をしなければいけません。私たちの誇るべきアメリカ的な価値のために奉仕し、導き、そして立ち上がるために。日々の暮らしのなかでそれらの価値を大切にするために。それは、可能なかぎり最高の教育を受けることが、あなたが批判的に思考することを可能にし、自分自身を明確に表明することを可能にし、そして良い仕事を得て自分自身と家族を支えることを可能にし、コミュニティのなかのポジティブな力であることを可能にするということなのです。

あなたがこれから何かの障害に直面したらーー保証します。必ず直面します。あなたたちの多くがすでに直面しているようにーーもし困難に直面して、あきらめることを考え始めたら、私の夫や私が話してきたことを思い出してほしい。私たちがほとんど10年も前にこの旅路を始めたころから話してきたことを。このホワイトハウスのなかで、そして私たちの人生のすべての瞬間において私たちを動かしてきたものを。それは希望の力です。あなたがそのために働き、戦うつもりがあるのならば、より良いことはいつだって可能であるという信念です。

希望の力、どんな若者に対してもあきらめない

希望の力に対する私たちの根本的な信念が疑いや分断の声を乗り越えることを可能にしてきました。私たちが自らの人生やこの国の一生において直面してきた怒りや恐怖の声を乗り越えることを可能にしてきたのです。私たちの希望は、他者が私たちに課すどんな制限があっても、私たちが十分に働き、私たち自身を信頼すれば、私たちは私たちが夢見るどんなものにもなれるということです。それは、人々が私たちが真実にそうであるところを見るときには、おそらく、ただおそらくですが、彼らも自らありうる最高の自分自身に変わっていこうとするだろうという希望なのです。

これこそがカイラ(※)のように自分自身の可能性を探求し、それを世界と共有しようと戦う生徒たちの希望です。それこそがテリ(※)のようなスクールカウンセラーたち、生徒たちのあらゆる一歩を導き、どんな若者に対してもあきらめようとしない、ここにいるすべての人たちの希望なのです。そして、私の父のような人々の希望、市の水処理施設で毎日働き、いつか自分の子供たちが大学に行き、彼自身は夢にさえ見なかったような機会を手にすることへの希望なのです。(※テリは全米スクールカウンセラーオブザイヤーの受賞者、カイラはその教え子)

それは私たちすべてが、政治家であれ、親であれ、牧師であれ、私たちのすべてが若者たちに与えなければいけない希望なのです。それこそが毎日この国を前進させているもの、未来に対する私たちの希望とその希望によって鼓舞される大変な仕事だからです。

恐れずに、教育の力で、あなたの無限の可能性に価する国をつくってほしい

これがファーストレディとしての若者たちへの最後のメッセージです。シンプルです。私は私たちの若者に彼らが大切な存在だと知ってほしい。居場所があるということを知ってほしい。だから恐れないで。若者たち、私の声が聴こえる?恐れないで。フォーカスすること、ブレないこと、希望を捨てないこと、力を備えること(Be focused. Be determined. Be hopeful. Be empowered.)。良い教育であなた自身に力を備えてほしい。そしてそこから飛び出して、その教育の力を使って、あなたの無限の可能性に価する国をつくってほしい。希望をもった見本になってください。決して恐怖ではなく。そして、私はあなたとともにいます、私の残りの人生をかけてあなたを応援し、あなたを支えるために働きます、そのことを知っていてください。

そして、ここにいるすべての人々が、この国のすべての教育者たち、支持者たちが、日々心を尽くして私たちの若者たちを引き上げるために働いているということを私は知っています。私はあなたたちすべての情熱と次世代のための大変な仕事に対する献身に感謝します。そして、私はファーストレディとしての私の時間を終えるのに、あなたたちとともに祝福する以上の機会を考えることはできません。

だから、シンプルにありがとうと言って今日の話を終わりたいと思います。私たちの子どもたち、そしてこの国のためにあなたたちがしてくれるすべてのことに対して。あなたたちのファーストレディであることは私の人生で最も偉大な栄誉でした。私も、あなたたちにとっての誇りであれたらと願っています。

(※翻訳箇所は13:00ごろから最後までの部分です。"And as I end my time in the White House..."から。ぜひ動画も見ていただけたらと思います。)

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望月優大(もちづきひろき) 

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慶應義塾大学法学部政治学科、東京大学大学院総合文化研究科修士課程修了(ミシェル・フーコーの統治性論/新自由主義論)。経済産業省、Googleなどを経て、現在はIT企業でNPO支援等を担当。関心領域は社会問題、社会政策、政治文化、民主主義など。趣味はカレー、ヒップホップ、山登り。1985年埼玉県生まれ。
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関連エントリ

赤ちゃん縁組について知っておいてほしいこと

今朝こんなニュースが出ていました。

インターネット上でのかんたんな手続きで、赤ちゃんとの特別養子縁組を仲介するNPO法人がある。大阪市浪速区の「全国おやこ福祉支援センター」。効率化で「人工中絶や虐待から救える命がある」と訴えるが、「命を商品化している」と批判の声も上がる。

赤ちゃん縁組(特別養子縁組)については良く知らない方も多いと思うので、知っておいてほしい基礎的な知識と経緯についてだけ簡単にまとめました。

報道ではネガティブな側面に光が当たりがちですが、そうした側面についてはしっかりと法制度を整えることで改善する動きが進んでいます。そして、赤ちゃん縁組それ自体については、とてもポジティブで大きな可能性があるということを多くの方に知っていただけたらと思います。

以下3点にまとめています。ここだけでも読んでいただけたら嬉しいです。

  1. 赤ちゃん縁組のメリット
    理想的な状態で実施される赤ちゃん縁組(特別養子縁組)は、赤ちゃん(子ども)、生みの親、養親の3者それぞれにとって大きなメリットをもたらす。
  2. 赤ちゃん縁組を取り巻く現状の問題点
    赤ちゃん縁組は行政(児童相談所)と民間のあっせん事業者によって行なわれているが、後者については許可制ではなく、申請制になっている。そのため、業者の質にばらつきがあり、その点が問題視されている。ただし、現状でも良質な支援をしている民間事業者は一定数存在する。
  3. 赤ちゃん縁組のこれから
    12/9に成立した特別養子縁組あっせん法案は、こうした現状を改善するために、民間のあっせん事業者を許可制に変更し、国として民間事業者の質をしっかり担保していく方向に動き始めている。

それぞれについて一つずつ短く書いていきます。 

1. 赤ちゃん縁組のメリット

理想的な状態で実施される赤ちゃん縁組(特別養子縁組)は、赤ちゃん(子ども)、生みの親、養親の3者のそれぞれにとって大きなメリットをもたらす。 

特別養子縁組という制度は0歳から6歳未満の子どもについて、生みの親との親子関係を終了させ、育ての親との親子関係を開始するための制度です。これによって、主に望まない妊娠の結果産まれた子どもが、早い時期から家庭的な環境で育つことが可能になります。何はともあれ産まれてくる赤ちゃん、子どもの幸せのためにとても重要な仕組みなのです(虐待死の多くは0歳児に集中していることがよく知られています)。

そして、望まない妊娠をしてしまった生みの親、子どもがほしいけれど自分で出産することが難しい育ての親にとっても、特別養子縁組は大きなメリットがある制度です。しかし、あくまで丁寧な情報提供とカウンセリングが行われるという前提が守られていることが大切です。簡単に、スピーディーにマッチングをして済む話ではないというのは当然のことです。

2. 赤ちゃん縁組を取り巻く現状の問題点

赤ちゃん縁組は行政(児童相談所)と民間のあっせん事業者によって行なわれているが、後者については許可制ではなく、申請制になっている。そのため、業者の質にばらつきがあり、それが問題視されている。ただし、現状でも良質な支援をしている民間事業者は一定数存在する。

今朝の記事が取り上げていた大阪の団体については、これまでも繰り返し行政指導が行われ、メディアからも批判的に取り上げられてきた経緯があります。

また、今年の9月には、子どもが紹介される優先順位を上げるための費用と称して、東京都の夫婦から現金100万円を受け取っていた事業者が事業停止命令を受けるというケースも発生しました。養子あっせん団体に事業停止命令 優先紹介へ現金要求:朝日新聞デジタル

特別養子縁組をあっせんする民間団体が、優先して子どもを紹介する費用として東京都の夫婦から現金100万円をもらっていたことが分かった。事業の届け出を受けている千葉県は27日、社会福祉法で定める「不当な行為」にあたるとして団体に事業停止命令を出した。厚生労働省によると、養子あっせんの停止命令は全国初とみられる。

付言すると、縁組にかかる様々な費用それ自体を請求することには問題がありません。この事業者のように、ほかの夫婦より優先的に子どもを紹介するための費用を請求することに問題があるということです。ここは区別して理解することが必要です。

さて、問われるべきはそもそもなぜこうした問題のある事業者があっせん事業に参入できてしまっているのかということですが、その背景には民間のあっせん事業者が申請制で許可制ではないという現状の法制度上の不備があります。事業者の活動を規制し、その質を担保するための法制度がしっかり整っていないからこそ、様々な事業者が参入できてしまうという問題が発生しているわけです。

もちろん、こうした状況でも、思いを持って丁寧な情報提供と時間をかけたサポートを行う良質な事業者は存在します。私も、そうした事業者の一つである、認定NPO法人フローレンスの赤ちゃん縁組事業を支援するなかで、特別養子縁組を取り巻く正しい情報や経緯について学ぶ機会を得ることができました。ぜひこうした知識が社会のなかで少しずつ広がっていってほしいと願っています。

3. 赤ちゃん縁組のこれから

12/9に成立した特別養子縁組あっせん法案は、こうした現状を改善するために、民間のあっせん事業者を許可制に変更し、国として民間事業者の質をしっかり担保していく方向に動き始めている。

問題の根本にある法制度上の不備が解消される方向に進んでいることは素晴らしいことです。成立した新法の内容については、こちらの日経新聞の記事がわかりやすくまとまっていたので紹介します。養子縁組あっせん業を許可制に 新法成立 :日本経済新聞

「悪質業者の排除に向け、従来の届け出制から都道府県知事による許可制とした点が柱。無許可事業者には1年以下の懲役か100万円以下の罰金も設けた。2年以内に施行される。」

「新法は事業者の許可要件を(1)必要な財政基盤がある(2)営利目的ではない(3)実親・養親の個人情報を適切に管理できる――などと規定。社会福祉士の資格を持つ人などを責任者とするよう義務付けた。許可を得た事業者には国や自治体が財政支援できるようにした。」

「実親の出産費用などの実費は厚生労働省令で「手数料」と定め、養親らからの受け取りを認めるが、それ以外の報酬を得ることは禁止。養親希望者の選定、面会、養育に入る前の3段階にわたり実親側から同意を得るよう定め、家庭裁判所の審判を経た養子縁組の成立後も子供や養親、実親の支援をすることを努力義務とした」

「既に届け出をしている事業者も新たに行政の許可を得る必要があるが、施行から半年は経過措置期間とする。事業者は都道府県への事業報告書提出が求められ、行政は許可取り消しもできる。厚労省によると、昨年10月時点の届け出事業者は22だった。」

この法改正によって、いま存在している問題点がしっかり解決され、より多くの赤ちゃん、子どもたちが家庭的な環境で育っていける社会につながっていくことを願います。

特別養子縁組という制度が持つ可能性をしっかりと花開かせていくためにも、私たち自身が知るべき情報を知り、良いものとそうでないものを見分ける力をつけていくことが大切です。私も引き続き自分が学んだことを様々な形で発信していければと思います。

これから特別養子縁組についてもっと学びたいという方には、最近出版されたこちらの本をおすすめします。実際に特別養子縁組の制度を活用した人たちのストーリーや、特別養子縁組の仕組みの詳細について紹介されていて、とても勉強になります。

産まなくても、育てられます 不妊治療を超えて、特別養子縁組へ (健康ライブラリー)

産まなくても、育てられます 不妊治療を超えて、特別養子縁組へ (健康ライブラリー)

 

プロフィール

望月優大(もちづきひろき) 

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慶應義塾大学法学部政治学科、東京大学大学院総合文化研究科修士課程修了(ミシェル・フーコーの統治性論/新自由主義論)。経済産業省、Googleなどを経て、現在はIT企業でNPO支援等を担当。関心領域は社会問題、社会政策、政治文化、民主主義など。趣味はカレー、ヒップホップ、山登り。1985年埼玉県生まれ。
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「ラストベルトの反乱」という神話。白人労働者たちがトランプに寝返ったというのは本当か。

Slateに「ラストベルトの反乱という神話」という記事があがっていました。面白い記事だったので内容を紹介します。著者は南カリフォルニア大学法学部の教授とヨーク大学博士課程の学生の二人です。

The myth of the Rust Belt revolt.

トランプが勝った理由、クリントンが負けた理由として、白人労働者階級の反乱が頻繁に語られました。すなわち現状に不満を抱える白人労働者たちによる民主党から共和党への寝返りが起きたのではないか、というストーリーです。

特に地理的には「ラストベルト rust belt」と呼ばれる、カナダに近い中西部から大西洋岸にわたって広がるかつての工業地帯でこうした反乱が集中的に起こり、それがトランプの勝利を帰結したのではないか、という考えが多く語られました。

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改めてアメリカの州名を眺めてみる

先の記事では、2012年と2016年の両大統領選挙における、アイオワ、ミシガン、オハイオ、ペンシルバニア、ウィスコンシンというラストベルト5州の出口調査と投票率のデータを活用し、この「ラストベルトの反乱」というストーリーの信憑性が検証されています。

著者の考えはシンプルなものです。

  • 2012年と比較して、民主党は年収10万ドル以下(特に5万ドル以下)の人々からの票を失った(155万票ほど)。
  • 人種・エスニシティという観点では、白人の95万票、黒人など白人以外(BIPOC)の40万票を失った。(※BIPOC = Black, Indigenous and Other People of Color)
  • では共和党がこの155万票を根こそぎ持っていたかというとそうではなく、2012年と比較して、年収10万ドル以下での共和党の得票数は36万票しか増えていない。
  • では残りの100万以上の票はどこに行ってしまったのか。
  • 一つには民主党でも共和党でもない「第三党」に行った。その数51万票。
  • もう一つの要因は棄権の増加である。50万増えている。
  • したがって著者はこう結論する。民主党に投票しなかった人々の多くは、トランプに投票するよりも第三党の候補に投票するか、そもそも誰にも投票しない傾向のほうが大きかった

著者が記事中で示したグラフは以下の2つです。

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年収別に見た各政党投票者数の増減(2012→2016年)

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人種別に見た各政党投票者数の増減(2012→2016年)

著者の分析は非常に興味深いと思います。というのも、これまで民主党支持者だった人たちが一気に共和党、あるいはトランプ支持者になったわけではなく、彼らの多くはクリントンにもトランプにも投票することができず、棄権するか第三党に投票したということを言っているからです。

ニューヨークタイムズの以下の図を見たことがある人も多いかもしれません。赤い矢印は2016年のトランプの得票数が、2012年のロムニーの得票数を上回った地域を示しています。同様に、青い矢印は2016のクリントンの得票数が2012年のオバマの得票数を上回った地域です。

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(New York Times - How Trump Reshaped the Election Map

一目見てわかる通り赤ばかりです。これは共和党候補への投票者数が増えたことを意味していますが、今回の分析が示唆することはそれよりももっと大きな変化が起きていたということです。それが、民主党支持者が民主党候補に投票せず、第三党に投票したり、そもそも棄権してしまった、という可能性でした。

したがって、著者たちが言うように「白人労働者たちが民主党から共和党に寝返った」というストーリーは一部正しいものの、より大きな変化を覆い隠してしまっている可能性があります

前回11/13にアメリカ大統領選について書いたこちらの記事(ドナルド・トランプの勝利と「新しい世界」について)でも、投票率が鍵になっている可能性を指摘していました。ただ、第三党への投票者が増えているだろう可能性については見過ごしていました。

最後に投票率です。これもCNNから数字が出ています。ただし、人種・エスニシティ別の投票率はまだ出ていないと思います。

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2008年と2016年の投票率を比較するとわかりやすいのですが、全体の投票率は63.7%から55.4%に8.3%下がっています。2008年の選挙の盛り上がりがよくわかる変化です。政党別に見ると、2008年から2016年にかけて特に民主党候補に対する投票率の低下が著しく、33.7%から26.5%へと7.2%も低下しています(共和党は2.8%の低下)。

もちろんこれだけでは、民主党の支持層がトランプに移ったのか単に投票に行かなかっただけなのかを判断することはできませんが、先に触れたオバマ時代(2008年、2012年)の黒人の投票率の高さを見ると、今回も彼らが同様の働きをしたかどうかは気になるところです。

いずれにせよ、今回の大統領選では、トランプ・共和党が勝ったという側面よりもクリントン・民主党が負けたという側面のほうが大きいことが明らかになってきているように思います。

逆に言えば、2008年、2012年についてはオバマだったからこそ民主党が勝てたという側面が大きいのではないでしょうか。

関連過去エントリ

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慶應義塾大学法学部政治学科、東京大学大学院総合文化研究科修士課程修了(ミシェル・フーコーの統治性論/新自由主義論)。経済産業省、Googleなどを経て、現在はIT企業でNPO支援等を担当。関心領域は社会問題、社会政策、政治文化、民主主義など。趣味はカレー、ヒップホップ、山登り。1985年埼玉県生まれ。
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7歳の少女バナ・アラベドによるツイート。シリア政府軍攻囲下にあるアレッポ東部の状況。

アレッポはダマスカスに次ぐシリア第二の都市であり、シリア内戦で最も大きなダメージを受けた場所の一つでもある。

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アレッポは現在東西に分断されており、西側をシリア政府が、そして東側を反政府勢力が支配している。アレッポ東部はシリア政府が支配する領域の中で「陸の孤島」と化している。

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(11/8 BBC News - Why are people still living in east Aleppo?

10月のものだが、この動画を見ると、アレッポ西部が美しい風景を保っているのとは対照的にアレッポ東部がひどく荒廃している様子がわかる(西アレッポの動画はアサド政権の観光局によるもの)。

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(10/5 The Guardian - Drone footage of west and east Aleppo - video

現在もアレッポ東部に暮らす20万人強の人々は、食料の欠乏や医療機関の不足の中を暮らしている。深刻な人道危機と言える。そして、現在も、そのアレッポ東部を奪還するために、シリア政府軍が日々激しい空爆を繰り返し、ついには地上攻撃も開始している。

最新のニュースではアレッポ東部の反政府勢力が支配していた地域の3分の1がすでに政府軍によって占領されているようだ。以下の図のうち、ピンクが反政府勢力の支配するエリアであり、その中で濃いブルーの地域が政府軍によって奪還されたとされる部分である。

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(11/28 BBC News - Aleppo siege: The third of rebel-held Syria city taken by forces

こうした空爆の結果、多数の市民が犠牲になる事態が発生し、反政府勢力の支配地域からシリア政府の支配地域への大規模な脱出が起こっている。

こうしたアレッポ東部の状況を現地から伝える一つのツイッターアカウントがある。バナ・アラベド(Bana Alabed)という7歳の少女のアカウントがそれだ。

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2016年9月に開始されたこちらのアカウントはすでに10万以上のアカウントからフォローされている。

バナと母親のファティマによるツイートが投稿されているが、アカウントは母親が管理している(Account managed by mom)という記載がプロフィール上になされている。

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現地時間11/27日曜日の夕方から11/28月曜日の夕方にかけての、このアカウントによる5つのツイートを紹介する。

シリア時間 11/27 15:22(日本時間 11/27 22:22)

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軍が入ってきました。これが私たちにとって最後の日々になるかもしれません。インターネットはありません。私たちのために祈ってください。ファティマ。#アレッポ

②11/27 15:44(日本時間 11/27 22:44)

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最後のメッセージ。大量の爆撃を受けています。もうこれ以上生きられません。もし私たちが死んだら、まだこの中にいる20万人に対して話しかけ続けてください。さようなら。ファティマ。

③11/27 22:15(日本時間 11/28 5:15)

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今夜は家がありません。家は爆撃され、がれきの下敷きになりました。人々が死ぬのを見て、私も死にかけました。バナ。#アレッポ

④11/28 10:09(日本時間 11/28 17:09)

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いま激しい爆撃を受けています。いま、死と生の間にいます。私たちのために祈ってください。#アレッポ

⑤11/28 15:13 (日本時間 11/28 22:13)

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メッセージ。多くの人々が激しい爆撃で今も殺されています。私たちは逃げています。私たちは私たちの命のために戦っています。いまもあなたたちと共に。ファティマ。

バナ・アラベドのツイッターアカウントに対しては、7歳の彼女が英語を話せること、またアサド政権やプーチン大統領に爆撃を止めるようにという写真を載せた投稿をしていることなどから、偽のアカウントなのではないかという非難も寄せられているという。

母親のファティマはBBCのインタビューに以下のように答えている。

嘘をついていると非難されるのは心外です。「すべての言葉は心からのものです」とファティマは言う。「すべては真実です」。

Being accused of lies is disappointing, she said. "All the words come from the heart," Fatemah said. "All are the truth".

同じインタビュー記事によると、ファティマは大学時代にジャーナリズムや政治のコースを履修していた。しかし、現在はシリアのメディアからの支援を受けているわけではなく、何らかの慈善団体に参加しているわけでもないという。

アレッポはシリア内戦において反政府勢力が最初に支配下に置いた地域であり、シリア政府軍がアレッポを完全に奪還することの戦略的かつ象徴的な意味は大きい。言うまでもなく、昨年からのロシアによるシリア政府軍への加勢が力になっているのは間違いない。

国連のデミストゥラ特使は「クリスマスまでにアレッポ東部は崩壊してしまうだろう」と述べた。深刻な人道危機がいま起きている。

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トルコというダムは決壊するのか - HIROKIM BLOG / 望月優大の日記

プロフィール

望月優大(もちづきひろき) 

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慶應義塾大学法学部政治学科、東京大学大学院総合文化研究科修士課程修了(ミシェル・フーコーの統治性論/新自由主義論)。経済産業省、Googleなどを経て、現在はIT企業でNPO支援等を担当。関心領域は社会問題、社会政策、政治文化、民主主義など。趣味はカレー、ヒップホップ、山登り。1985年埼玉県生まれ。
Twitter @hirokim21
Facebook hiroki.mochizuki

トルコというダムは決壊するのか

いまトルコについて考えることは本質的なことである。

トルコについて考える経験を通じて、自由民主主義を奉じる先進諸国に生きる人々は、自分たちの暮らしがどんな基盤に拠って立っているのかを理解する。それはひどく脆弱な基盤であり、少しの変化で動揺してしまうほどのものだ。

そして、いままさにその基盤が危機にさらされようとしている。

直接的に言えば、今年の3月に結ばれたEU-トルコ間での合意によってトルコ経由でのEU諸国への難民流入が大きく抑制されていたのだが、その合意自体が現在危機に瀕している。

この記事ではその危機について書いていく。

  1. 「EU-トルコ間合意」の成立と動揺
  2. 難民の「ダム」としてのトルコ
  3. 世界はトルコに何を求めるのか

具体的にはこういうことが起きている。

1. 「EU-トルコ間合意」の成立と動揺

時系列順に経緯を追っていく。

  • 2015年、シリア→トルコ→ギリシャを経てドイツにまで至る「バルカンルート」を通って中東から大量の難民がヨーロッパに押し寄せた
  • その結果、EU諸国はドイツを中心とした受入肯定派とハンガリーなど東欧諸国を中心とした反対派に分断された
  • しかし、大量の難民受入後にEU諸国で発生したいくつかのテロ事件やそれに伴う極右勢力の伸張に伴い、ドイツにおいても、政権側から何らかの手を打たなければ国内的にもたない状況が現出した
  • 関連する重要なスケジュールについて確認する。2015年9月6日にハンガリーとオーストリアで足止めを受けていた大量の難民がドイツ南部のミュンヘンに到着し、同月11日にメルケルが「難民に対する上限はない」と発言。その後、同年11月13日にパリ同時テロ事件が発生し、12月31日にケルンでの暴行略奪事件が発生した。それぞれの事件の容疑者に難民申請者が含まれていたことが世論の硬化を招いた
  • こういった情勢を受けて、EUはドイツ主導でトルコとの外交的合意を成立させる。2016年3月18日のことだ。そこではこういった取引がなされた
  • まずはトルコからEUへのオファー。トルコからギリシャ(EU及び域内移動の自由を認めるシェンゲン協定加盟国)に入って滞留している難民のトルコへの送還を認め、加えてトルコ・ギリシャ間の国境警備の強化を行う
  • 次にEUからトルコへのオファー。トルコ国内の難民支援にかかる費用を支援する、トルコからEUにシリア難民を一定数再定住させる、トルコ国民がEU渡航する際のビザを免除する、トルコのEU加盟交渉を加速させる
  • この合意の結果、トルコ・ギリシャ間の国境警備が強化され、バルカンルート経由でのEUへの難民流入はかなり抑制された。トルコ側からも、EUに対して合意内容の履行が要求された。特にビザなし渡航やEU加盟交渉の加速についてその履行を要求された
  • 2016年7月15日、トルコ国内でクーデタが発生する。クーデタそのものはすぐに押さえられたが、非常事態宣言下のトルコでは、エルドアン政権による様々な人権侵害が横行する。反体制派の人々が数多く逮捕され、何万人もの公務員が解雇され、数百のNGOやメディアが解散させられ、大学の学長指名にまで政治介入が行なわれた
  • EUはクーデタ後のトルコにおけるこうした状況を強く非難した。EU加盟交渉との関係においては、人権や法の支配が尊重されていない状況は論外であり、EU加盟のために2002年に廃止された死刑制度の復活についてエルドアンが好意的に語り始めるという状況にいたっては、EU側からのトルコに対する態度を硬化させるに十分であったように思われる
  • こうした経緯を経て、去る11月24日の木曜日、EU議会はトルコのEU加盟交渉凍結を求める採択を決議した。この決議はその性格上拘束力をもつものではなかったが、エルドアン大統領はこれに対して強く反発し、EU(具体的にはギリシャ)との国境警備を緩和し、中東からの難民流入を放置する姿勢に転換する可能性を示唆した
  • これは難民受入が国内の正統性危機に直結しかねないEU諸国(特にドイツ)にとって、バーゲニング手段として強く機能してしまう可能性がある。
  • 時系列を少しだけ遡ると、その数日前、11月20日の日曜日にエルドアンは中国とロシアを中心とする「上海協力機構」への加盟を示唆した。これは、EU加盟がトルコにとっての絶対的な希望であるわけではないと示すことを意図したものであり、11月24日の欧州議会での決議を見越して、EU-トルコ間合意履行についての賭け金を高めるための発言だったと考えられる

ここまでが現在の危機に至る経緯の簡単なまとめである。

2. 難民の「ダム」としてのトルコ

問題の在り処を整理する。

まずシェンゲン協定について確認する。シェンゲン協定とは、協定の加盟国間での国境検査を不要にする仕組みであり、それは一つの加盟国の国境さえ通過できてしまえばその他の加盟国には国境検査なしに移動することができるということを含意する。

現在の加盟国数は26であり、そのほとんどがEU加盟国である。しかし、ノルウェーやスイスなどEUには加盟していない国も少数含まれる。また、その反対に、イギリスのようにEUには加盟しているがシェンゲンには入っていない国もいくつか存在する。

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(水色と青色の国がシェンゲン協定加盟国 / European Commission - Migration and Home Affairs

上記の図を見ると明らかな通り、このシェンゲン圏の東端を成すのがギリシャであり、そのギリシャと国境を接し、かつその先にシリアやイラク、イランと国境を接しているのがトルコ、ということになる。

したがって、ある難民がトルコからギリシャに入国するということは、彼がシェンゲン圏の中に入るということ、それによってシェンゲン圏内を自由に移動できるようになるということを意味する。

ドイツが主導してEU-トルコ間合意を推し進めたのはまさにこのシェンゲン協定の仕組みを前提としてのことであり、それは言葉そのものの意味で、トルコに難民流入の防波堤としての役割を期待するということであった。

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(UNHCRによる地中海周辺での日別の難民・移民の流入数推計 / UNHCR - Refugees/Migrants Emergency Response - Mediterranean

実際のところ、この合意が成立する以前からトルコは世界最大の難民受入国であった。

トルコが受け入れる難民の数は膨大で、2015年末時点で254万人にのぼる。トルコの人口が7900万人弱であるから、人口の3%を超える数の難民を受け入れているということになり、その規模はドイツなど積極的に難民を受け入れていると言われている国と比較しても桁違いと言ってよいレベルのものだ。

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(難民の受入数国別ランキング / UNHCR - Global Trends : Forced Displacesment in 2015

理由の一つは地理的なものである。すなわち、トルコはその他の国々よりも難民発生国からの距離が圧倒的に近い。

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(難民の発生数国別ランキング / UNHCR - Global Trends : Forced Displacesment in 2015

近年における世界最大の難民発生国はシリアであり、トルコはその南部にシリアとの長い国境を有している。逆の視点で見れば、シリアが国境を接している国はトルコ、レバノン、ヨルダン、イラク、イスラエルの5カ国しかなく、シリアから陸路で国境を越えようとする場合の選択肢は非常に限られている。

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難民受入国のランキング上位の多くはこうした難民発生国の近隣国が占めており、トルコを始めとするこうした国々はそれらより地理的に遠くに存在する国との関係ではある種の緩衝地帯、言い換えれば巨大な「ダム」のような役割を果たしている。

2015年に起きたことは、このダムからの放流の量が増加し、下流であるヨーロッパに流れ込む難民の量が増加したと理解することができる。逆に言えば、2016年3月のEU-トルコ間合意においてEU側が企図したことは、このダムの放流の量を改めて抑制しようということであった。

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(UNHCR - Refugees/Migrants Emergency Response - Mediterranean

今回のエルドアンの「脅し」は、まさにこのEU側の意図に逆らう形で、そちらが合意内容を履行しないのであればこちらもそうしますよ、すなわちこれまで抑制していた放流の量を増やしますよ、ということを言っているわけである。

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(UNHCR - Refugees/Migrants Emergency Response - Mediterranean

2016年3月以降の合意以降、一気に難民流入の数が減少しているという現実を背景にした、非常に強い脅しであると言えるだろう。

3. 世界はトルコに何を求めるのか

問題を改めて振り返ってみる。EU-トルコ間合意という名の取引における最も重要な矛盾はどこにあるか。

それは、人権規範の守護者たるEUが、人権侵害を主な理由としてEU加盟を認めていないトルコに対して難民を送り返し、しかもそのことと引き換えにトルコのEU加盟交渉を加速させるという約束をしたという点にある。

どういうことか。

EU諸国における難民受入の困難は、難民を受け入れたからには自らが奉じる人権規範を彼らにも適用し、人間らしい暮らしができるように最大限の努力をしなければならない、というところにある。

なぜなら、それを実現することが実際に存在するリソースの観点から本当に難しいかどうかということとは別にして、特にEU諸国内で相対的に貧しい暮らしをしている人々の想像力においては、日々増加する難民の利益と自らの利益が背反しているというストーリーを思い描くのを止めることがとても難しいからだ。

近年ヨーロッパの各国で極右勢力が同時に大きく伸長しているのは決して偶然ではなく、彼らやその支持者たちの存在は政権運営上、そして政治的正統性の調達という観点でもはや無視しえないレベルまで大きくなっているのである。

そこで、受け入れたからにはきちんと保護しなければならない、しかしそれが難しいからそもそも受け入れる量を抑制する、そういう論理が根底の部分でどうしても必要になってしまう。難民受入に積極的なドイツこそが合意の推進者であったのはそうした意味においてであろう。

では、なぜトルコはEU諸国よりはるかに多くの難民を国内に抱え続けることができるのか。それは何よりも、人権規範を遵守しなければならないという制約からのフリーハンドがEU諸国に比べて相対的に大きいからである。

例えば、トルコにいるシリア難民の子どもたちが、ZARAやマークス&スペンサーなどグローバルなアパレル企業関連の工場で不法に長時間労働させられていたことがわかっているが、これはEU圏内では「できない」し「やってはならない」ことだ。

さらに重要な論点として、日本も加入している難民条約における「追放及び送還の禁止」について触れておきたい。これは、「ノン・ルフールマン原則(non-refoulement)」と呼ばれる原則に基づくもので、難民条約の締約国は、祖国であれ第三国であれ、安全でない国へと難民を追放・送還してはならないという大原則があるのだ。

第33条【追放及び送還の禁止】

1. 締約国は、難民を、いかなる方法によっても、人種、宗教、国籍もしくは特定の社会的集団の構成員であることまたは政治的意見のためにその生命または自由が脅威にさらされるおそれのある領域の国境へ追放しまたは送還してはならない。

さて、ではトルコは難民にとって「安全」な国なのだろうか。EU-トルコ間合意が結ばれたということは、EUはトルコが安全であると判断したということを意味する。しかし、その判断に対しては様々な形で疑義が呈されている。

詳細は2016年6月のヒューマン・ライツ・ウォッチによるレポート「EU:シリア難民のトルコ送還を停止すべき」をご覧いただきたいが、トルコ国内で難民の権利がきちんと保障されておらず、公共サービスが整備されていない難民キャンプでの生活を余儀なくされる可能性も高いこと、またシリアとの国境でシリア難民の追い返しを行っていることなどが指摘されている。

しかし、私たちは一体誰を非難すれば良いのだろうか。

根本原因はシリアが壊れていることである。シリアでは2011年ごろから始まった「アラブの春」を端緒として、シリアはいまに続く終わりの見えない内戦に陥ってしまった。

いまではシリア政府軍、反政府武装勢力、イスラム国、クルド人系武装勢力という四つ巴の内戦に、欧米やロシア、トルコ、その他の中東諸国が複雑に交差するという泥沼の状況を呈している。

アラブの春は、アラブ諸国の独裁体制を自由民主主義的なそれへと体制転換していくことを切望する同時多発的な運動だった。しかし、その体制転換はどの国でもあまりうまくいかず、特にシリアでは大きな無秩序状態の出現を促す形になってしまった。

そうして、シリアが壊れたことで発生した大量の難民の存在が、自由民主主義を奉じる先進諸国に対して、大きな問いを投げかけている。

それは「人権」や「法の規範」といった自らの体制を根本的に規定する価値が現実的に適用される人々の「範囲」とその限定についての問いであり、さらに、その範囲の限定を実行化していくために自らの外側に必要な国家の体制についての問いである。

重要なことに、この問いは、歴史的に常に存在しながら長きにわたって見えにくい状態にあった、あるいはこれまでは見ないでいることができた、そうした種類の問いだったのである。

中東における政治的自由の不在、人権の侵害や民主化の遅れを、西欧諸国は批判し、導く立場であり続けてきた。しかし独裁政権は、言語や宗教・宗派といったエスニシティ構成もまちまちな中東の諸国を強権的な手法で統治することで、国境を維持し、武装集団の大規模な出現を阻止してきた。西欧にとって、アラブ諸国やトルコは、地中海の東岸や南岸で、アラブ世界やその背後のサブサハラ・アフリカ、あるいは南アジアから流れ着く移民・難民を、人権や自由の理念・原則からは疑わしい手法を用いながら、食い止めてきた「ダム」か「壁」のような存在だった。この「壁」があったからこそ、西欧諸国は第二次世界対戦後、かつての植民地からの大量難民の波に襲われることもなく、紛争の影響が及ぶこともなく、経済発展に必要な移民のみを、ある程度選択して受け入れることが可能だった。

このダムあるいは壁の存在は、綻びがない間は意識されにくいものだった。しかし「アラブの春」によって中東の諸国家が次々に揺らぎ、領域の管理が弛緩することで、西欧の安定と繁栄を可能としていた条件を、あからさまに示すことになったのである。

(池内恵『サイクス=ピコ協定 100年の呪縛』122-3頁)※太字強調は引用者

トルコが最初にEU加盟の申請を行ったのは1987年のことだ。それからすでに30年近くの年月が経過している(当時はEUではなくEC)。

これまでEUは一貫してトルコがEU的な価値観に適応すること、人権や法の支配を尊重することを求めてきた。トルコもそれに呼応して、2002年の死刑制度廃止など、少しずつ国内の人権問題を片付けてきた。

しかし、いま起きていることはそれとは真逆の動きであるように見える。

トルコはEUだけが選択肢ではないということをあからさまに発言するようになり、EU側もそれに応じてトルコを仲間に加えることを諦める兆しを見せ始めている。未来のことを予測することは難しいが、世界で起きている変化の流れを理解しようとすることはできる。

トルコのダムが決壊しないという保証はどこにもない。私たちの暮らしや価値観が拠って立つ基盤は想像以上に脆く、日々動揺している。だから、常に見て、考え続ける必要がある。

参考文献

ユーロ危機、難民危機、安全保障危機、イギリスEU離脱という4つの複合危機としてヨーロッパの危機を捉え説明する稀有な一冊。非常に勉強になる本。

欧州複合危機 - 苦悶するEU、揺れる世界 (中公新書)

欧州複合危機 - 苦悶するEU、揺れる世界 (中公新書)

 

やや保守的な論調にときたま違和を感じることもあるが、現在発生している難民問題にまつわる様々な事実や論点を一気に勉強にするには最適の一冊。

難民問題 - イスラム圏の動揺、EUの苦悩、日本の課題 (中公新書)

難民問題 - イスラム圏の動揺、EUの苦悩、日本の課題 (中公新書)

 

民族や難民という視点でトルコの歴史を振り返るのに最適な一冊。池内先生の著書はどれもおすすめ。

【中東大混迷を解く】 サイクス=ピコ協定 百年の呪縛 (新潮選書)

【中東大混迷を解く】 サイクス=ピコ協定 百年の呪縛 (新潮選書)

 

関連過去エントリ

プロフィール

望月優大(もちづきひろき) 

f:id:hirokim21:20160904190326j:image
慶應義塾大学法学部政治学科、東京大学大学院総合文化研究科修士課程修了(ミシェル・フーコーの統治性論/新自由主義論)。経済産業省、Googleなどを経て、現在はIT企業でNPO支援等を担当。関心領域は社会問題、社会政策、政治文化、民主主義など。趣味はカレー、ヒップホップ、山登り。1985年埼玉県生まれ。
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